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第三章 シモンの章(シモンEDルート)

38. 烽火(のろし)をあげる

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 翌朝目覚めると、カーキ色の布張り天井が目に入った。
 ぱらぱらと、天幕を叩く小さな音がする。
 雨が降っているのか。
 ぼんやり考えていると、すぐ間近に人の気配。

「ひゃっ」
 
 あられもない声をあげてしまった。

「おはよう、パウラ」

 淡い緑の瞳が至近距離にある。
 寝起きのかすれた声が、いつにもまして艶っぽい。

「よく眠れた?」

 シャツの胸元がはだけて、褐色の肌がのぞいている。
 パウラはたまらず目を逸らす。

「つれないな。
昨夜、僕あんなに一生懸命くどいたのに」

 昨夜のことは、とびとびにしか覚えていない。
 なにしろ一気に、膨大な量の情報を流されたのだ。
 しかもそれらはかなり衝撃的な内容で、パウラの頭はハングアップしてしまった。

「ごめんなさい。
わたくし、昨夜のことはよく覚えていませんの」

 正直に打ち明けると、シモンはため息をついて首を振る。

「仕方ないね。
じゃあ肝心なとこだけ、もう一度言うよ」

 横たわったままのパウラを、シモンは抱き寄せる。

「愛しているよ、パウラ。
君を悲しませるものは、全部僕が取り除くから」

 いや、そこは覚えていますと、パウラの頬に血が上る。
 そこに至るまでのもろもろの情報が衝撃的過ぎて、記憶の整理がつかないだけで。

「あ……の、やっぱりおぼえてたみたいですわ。
だから……放して」

 腕をつっぱって、褐色の胸を遠ざけようとすると、さらに強い力で抱き寄せられる。

「だめ。
おぼえていないなんて言ったパウラが悪い。
僕、傷ついたよ」

 しょんぼり悲し気な声に不似合いの、美しい笑顔が怖い。
 薄い唇の端が片方だけ上げられて、淡い緑の瞳はまっすぐにパウラの瞳を覗き込む。

「ね、しちゃおうか?」

 え?
 さすがに「何を」とは聞かずともわかる。

「今の水竜には、もう話を通してあるんだよ。
遡った時、すぐに話したから。
喜んで協力するってさ」

 さすがにシモンは仕事が速い。
 段取り8分の仕事2分。
 前世にも感じていたことだが、シモンは切れ者だとあらためて思う。
 きわどい質問をされている最中だというのに、妙に感心してその顔を眺めてしまう。

「だからね、パウラは安心して僕のものになって?」

 ボンっ!
 煙が出そうだ。
 一気に頭に血が上り、熱をもって爆発する。

「あ……、いきなり……」

 意味をなさない言葉しか出てこない。
 狼狽するとは、こういうことかとパウラは実感する。

「もう朝……ですわ。
そういうことは……朝からするものではありませんでしょう?」

 苦し紛れではあったが、淑女としてはしごくもっともで、まともな答えだろう。
 雨のせいで薄暗くはあるけれど、もう朝には違いない。
 前世、今生通して初めての体験が、朝というのには抵抗がある。
 というよりその前提としての、パウラ自身の気持ちの整理がまだついていない。

「あの……シモン。
わたくしまだ、あなたのことを……」

 言いかけた言葉ごと、パウラの唇が塞がれる。
 あたたかく柔らかい感触が、遅れてやってくる。
 ふにゃりと、身体の芯が溶けてゆくようだ。
 力の抜けた身体は、自分のものとは思えない。

 これが噂に聞くキスというものか。
 他人の経験を聞くばかりで、パウラにはまったく縁のないものだったが、確かに悪くない。
 それどころか、かなり良い。
 ブランデー入りの温かい紅茶を飲んでいるみたいな感じ。
 温かく、優しく、ほんのり良い香りがして、酔うようで。

「パウラ、その顔は反則だよ」

 ほんのわずかの間、唇が離されて至近距離で淡い緑の瞳が困ったように笑っている。

「押し倒そうとしてるんだよ?
 わかってる?
 僕、すっごく悪いことしてるみたいな気になるじゃない」

 ふぅと息をひとつついて、シモンは目を閉じた。

「ねぇパウラ。
 今の状況、わかってる?
 君、僕と一晩ひとばん、こんな狭いテントで過ごしたんだよ?
 昨夜我慢してあげただけでも、僕、すっごくほめられていいと思うんだけど」

 再び開かれた淡い緑の瞳は、ほんの少しの苛立ちをのせて、パウラを追い詰めてくる。

「余裕がなくて、僕、今とってもカッコ悪いのはわかってるよ。
 だけど、ごめん、パウラ。
 もう、待ってあげられない」

 再び重ねられた唇は、シモンの言葉どおり余裕のない、まるで暴風雨のように激しく荒々しいもので、その熱量にパウラの意識はたちまちもってゆかれてしまう。
 ようやくぎりぎり保った正気をフル稼働させて、最後にパウラは拒むことをやめた。
 シモンの必死の告白が、その表情が、己の存在を望まれることはこんなにも嬉しいのだと、初めて教えてくれたから。
 黄金竜オーディの力を知ってなお、彼女を追いかけてくれた命がけの逆行を、その彼の感情を、なんと呼べば良いのか、パウラは知らない。
 けれどそれがなんという名であろうとも、パウラには初めて向けられた激しい感情で、それにこんなにも心が震えるのは確かなこと。
 
 それで良い。
 十分だ。

 そう思い至ると、身体から抗う力が抜けた。

「パウラ?」

 わずかに離された唇の間に、不安げなシモンの声が漏れる。

「せめて着替える間を……、いただけませんか?」

 昨夜はそのまま眠ってしまった。
 せめて下着は着替えておきたい。
 「初めて」に昨日の下着で臨むなど、あまりにも悲しい。
 
 ぷ……と、こらえきれぬ様子のシモンが噴き出して、この上もなく嬉しそうに、幸せそうに笑う。
 けれどそれも秒の速度で変化して、続く微笑はまさしくシモンらしい妖しく艶っぽい、恐ろしいもので。
 
「すぐに脱がせるんだから、いらないよね」

 だめだよと囁かれ、唇が三度重ねられ、抱きしめられる。
 そしてパウラの初めては、朝、新しいかわいらしい下着もなしに始まる。
 あふれるような愛情をただただ注がれ続け、溺れて、ついには意識が遠くなる。
 
 恋とか愛とか、知りたいと切望していたそのことを、何千年分まとめてパウラは知った。
 こんなにも幸せで、優しく甘やかな感情を呼び起こすものだったのだと。
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