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第一章 それは終わりから始まった
19. パウラ、風竜の聖使に会う
しおりを挟む今回の訪問では、少しばかり日程に余裕を持たせた。
訪問者の情報を、できるだけ集めたいと思ったからである。
そのためには、城の外にも出てみたかった。
早速大公に願い出てみたところ、拍子抜けするほどあっさりと認めてくれる。
「護衛をおつけいたしましょう。
どこにでもお出かけになると良い」
朝の稽古を済ませると、パウラはナナミに護衛を頼んだ。
ヴェストリーの護衛を信じていないわけではないが、身近についてもらうのに、ナナミに勝る者はない。
それに外出の主な目的は、ナナミに関係することだから。
ヴェストリーの城から馬車で1時間ほどの港町シェンタ。
そこにはナナミの前に現れたという訪問者所縁の者が、今も住んでいると聞いた。
シェンタは、世界中のありとあらゆるものが集まる街。
この世にあるもので、ここにないものはないと言われるところだ。
その街の中でも一番大きな商会を、訪問者の末裔にあたる男が経営しているらしい。
訪ねてみようと思う。
「シェンタという港町に出かけてみたいわ。
ここから少し、あるのだけれど。」
パウラの希望にナナミは頷くと、ヴェストリーの騎士に馬を借りに行った。
パウラを護るなら、馬車の外の方が良いからなのだろう。
狭い馬車内に並んで座りでもしたら、危急の時に動きが制約される。
ヴェストリーの護衛騎士がつくというのに、ナナミもまた生真面目な性質だとパウラは思う。
城から南東へくだること1時間ほど。
開け放った馬車の窓から、あたたかな陽の光と潮の匂いが入り込む。
荷馬車のさかんに行き交う音、そこかしこにある露店から聞こえる呼び込みや、売り買いする勢いのある声がにぎやかで、なるほど聞いたとおりヴェストリーの城下町より栄えているらしいとわかる。
露店の並ぶ雑然とした通りを抜けると、大きな帆船が並ぶ港につきあたる。
舳先に木彫りの竜を飾った船は、4公家お抱え商船の証である。
それぞれの公家の色の旗をマストに高々と掲げ、意気揚々と背後についた主家の威勢を誇っているように見える。
(ヘルムダールの銀の旗は、ないわね)
維持には莫大な費用がかかるからと、ヘルムダールでは固有の商船を抱えていない。
もっぱらヴェストリーの商船に、交易のあれこれを依頼して用を済ませていた。
ヴァースキーは青、ゲルラの赤、ヴォーロフの緑、そしてヴェストリーの橙。
はためく公家の旗の中で、最も目立つのはやはりヴェストリーの橙である。
交易の盛んなこの国は、5公国中1番の経済大国である。
異文化に対する抵抗も少なく、学術、芸術とあらゆるものの先進国でもあった。
ここに係留中の橙の旗を掲げる大型船は、富と文化と進取の気風を積んで、海を渡りまた戻ってくるのだろう。
石造りの灰色の建物が並ぶ大通りに入ると、しばらくして馬車が止まる。
「姫様、到着いたしました」
ナナミの声にパウラが馬車を下りると、通りの中でもひときわ目立つ大きな建物が目の前にあった。
通りに面した窓は贅沢なガラス張りで、しかもほとんど地面から天井までの大きなサイズである。
窓際には、珍しい木製の楽器らしきものが飾られている。
細い弦が、10本以上は張られている。
丸く膨らんだ胴体に細い首。
見たこともない珍しいフォルムだった。
<ヴェサーケレ商会>
入り口につるされた真鍮のプレートは小ぶりだったが、通りの他の建物にも似たようなものがあったから、これがこの辺りの規格なのだろう。
ヴェサーケレ、旧い言葉で訪問者を意味する。
やはりナナミの前の訪問者の末裔がここの主人だというのは、本当らしいと思う。
厚いガラスに格子をかけた重い扉を開く。
「いらっしゃいませ。
お待ちしておりました」
感じの良い笑顔の青年が、パウラを出迎えてくれた。
黒い髪に黒に近い茶の瞳の外見で、ここの主人なのだと一目でわかった。
黒い色の髪や瞳は、この世界ではとても珍しいから。
「ヘルムダールの公女殿下に、ご挨拶申し上げます。
この商会の主人、イェーリク・ヴェサーケレでございます」
深々と頭を下げた青年に、パウラは頭を上げるように言った。
「パウラ・ヘルムダールです。
お忙しいあなたに無理をお願いしたのはわたくしなのですから、どうぞもっと気楽になさって」
お忍びなのだから、あまり堅苦しくされるとかえって目立つ。
小声でそんな感じのことを付け加えると、イェーリクは愛嬌のある笑顔で頷いた。
「助かります。
正直なところ、身分の高い方は得意ではないので」
本音なのだろうが、あまりにも正直過ぎる。
顧客のほとんどは、その「身分の高い方」だろうに。
だがその正直さに、パウラは彼を好ましく感じた。
それはどうやら、後ろで控えるナナミも同じだったようで。
くすりと笑う気配がした。
ナナミに気づいたのか、イェーリクは「おや」という顔をする。
なるほど…と、なにか納得したらしい。
「ここは店先ですから、奥へどうぞ。
お話はそこで伺いましょう」
通された応接室は、ヴェサーケレ商会の豊かさを十分に語っていた。
沈んだ赤の絨毯は、毛足が長くふかふかとしているし、すすめられたソファはどれも厚手の絹地張りで、しかもクッションの柔らかいこと。
調度はどれも磨き上げられたマホガニー材で、かなり古いもののようだった。
アンティークというものだろうと、この方面にまるで知識のないパウラにでもわかる。
「砂糖菓子はお好きですか?」
紫の小さな花を砂糖漬けにしたものか。
銀の皿に取り分けられたものが、パウラの前にある。
出された茶器も銀製で、身分の高い貴族は苦手と言いながらもイェーリクが気遣ってくれているのがわかる。
毒など入っていないから、安心して手をつけてください。
そういう意味だろう。
それでも念のためにと、ナナミが先に手をつける。
彼女が頷いて、はじめてパウラはカップを手にとった。
「失礼ながら、ナナミ様も私の先祖と同じとお見受けする。
おそらくその件でしょう。
姫君がこちらへおいでになったのは」
パウラの正面に座ったイェーリクは、ゆったりと脚を組んでカップを手にしていた。
いやしくも公女の前でとるにはかなり行儀が悪い振る舞いで、セスランあたりが目にすれば、たちまち不機嫌になるだろう無作法さなのだが、不思議と嫌悪感がない。
「お察しのとおりですわ。
訪問者のことを、詳しく知りたくて。
………。
帰る方法とか、そういうことを」
パウラの意図を察していたのか、背中に立つナナミの気配はちらとも動かない。
ほっとして、続ける。
「ここなら他の訪問者の情報も、きっとご存知だろうと思いましたの」
パウラがそう答えるとほぼ同時に、扉が3度、控えめにノックされる。
「おいでになりました」
扉の向こうから告げられる言葉に、主語はない。
口にするのを憚られる名前なのだろうと、察せられる。
「ああ、こちらへお通しして」
躊躇いもなくイェーリクが応えるのに、パウラは驚いた。
無礼講でとはお願いしたが、パウラはまがりなりにもヘルムダール公家の跡継ぎ公女である。
つまりこの世界で最高位に近い身分の女性で、その彼女に断りもなく、同席を許す人物があるとは信じられなかった。
「やあ、イェーリク。
めずらしいね。
こっちへ君がこもっているなんて」
その声。
パウラの心臓は、どくんと跳ねた。
「あれ、先客かい?」
意外そうにこちらに向けた、青に近い緑の瞳。
鮮やかなオレンジの、長い髪。
間違いない。
西の聖使、オリヴェルだった。
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