上 下
19 / 96
第一章 それは終わりから始まった

19. パウラ、風竜の聖使に会う

しおりを挟む

今回の訪問では、少しばかり日程に余裕を持たせた。 
訪問者ヴィトの情報を、できるだけ集めたいと思ったからである。
そのためには、城の外にも出てみたかった。
早速大公に願い出てみたところ、拍子抜けするほどあっさりと認めてくれる。

「護衛をおつけいたしましょう。
 どこにでもお出かけになると良い」

朝の稽古を済ませると、パウラはナナミに護衛を頼んだ。
ヴェストリーの護衛を信じていないわけではないが、身近についてもらうのに、ナナミに勝る者はない。
それに外出の主な目的は、ナナミに関係することだから。
 

ヴェストリーの城から馬車で1時間ほどの港町シェンタ。
そこにはナナミの前に現れたという訪問者ヴィト所縁の者が、今も住んでいると聞いた。
シェンタは、世界中のありとあらゆるものが集まる街。
この世にあるもので、ここにないものはないと言われるところだ。
その街の中でも一番大きな商会を、訪問者ヴィトの末裔にあたる男が経営しているらしい。
訪ねてみようと思う。

「シェンタという港町に出かけてみたいわ。
ここから少し、あるのだけれど。」

パウラの希望にナナミは頷くと、ヴェストリーの騎士に馬を借りに行った。
パウラを護るなら、馬車の外の方が良いからなのだろう。
狭い馬車内に並んで座りでもしたら、危急の時に動きが制約される。
ヴェストリーの護衛騎士がつくというのに、ナナミもまた生真面目な性質だとパウラは思う。


城から南東へくだること1時間ほど。
開け放った馬車の窓から、あたたかな陽の光と潮の匂いが入り込む。
荷馬車のさかんに行き交う音、そこかしこにある露店から聞こえる呼び込みや、売り買いする勢いのある声がにぎやかで、なるほど聞いたとおりヴェストリーの城下町より栄えているらしいとわかる。

露店の並ぶ雑然とした通りを抜けると、大きな帆船が並ぶ港につきあたる。
舳先に木彫りの竜を飾った船は、4公家お抱え商船の証である。
それぞれの公家の色の旗をマストに高々と掲げ、意気揚々と背後についた主家の威勢を誇っているように見える。

(ヘルムダールの銀の旗は、ないわね)

維持には莫大な費用がかかるからと、ヘルムダールでは固有の商船を抱えていない。
もっぱらヴェストリーの商船に、交易のあれこれを依頼して用を済ませていた。
ヴァースキーは青、ゲルラの赤、ヴォーロフの緑、そしてヴェストリーの橙。
はためく公家の旗の中で、最も目立つのはやはりヴェストリーの橙である。

交易の盛んなこの国は、5公国中1番の経済大国である。
異文化に対する抵抗も少なく、学術、芸術とあらゆるものの先進国でもあった。
ここに係留中の橙の旗を掲げる大型船は、富と文化と進取の気風を積んで、海を渡りまた戻ってくるのだろう。


石造りの灰色の建物が並ぶ大通りに入ると、しばらくして馬車が止まる。

「姫様、到着いたしました」

ナナミの声にパウラが馬車を下りると、通りの中でもひときわ目立つ大きな建物が目の前にあった。
通りに面した窓は贅沢なガラス張りで、しかもほとんど地面から天井までの大きなサイズである。
窓際には、珍しい木製の楽器らしきものが飾られている。
細い弦が、10本以上は張られている。
丸く膨らんだ胴体に細い首。
見たこともない珍しいフォルムだった。


<ヴェサーケレ商会>

入り口につるされた真鍮のプレートは小ぶりだったが、通りの他の建物にも似たようなものがあったから、これがこの辺りの規格なのだろう。
ヴェサーケレ、旧い言葉で訪問者を意味する。
やはりナナミの前の訪問者ヴィトの末裔がここの主人だというのは、本当らしいと思う。

厚いガラスに格子をかけた重い扉を開く。

「いらっしゃいませ。
お待ちしておりました」

感じの良い笑顔の青年が、パウラを出迎えてくれた。



黒い髪に黒に近い茶の瞳の外見で、ここの主人なのだと一目でわかった。
黒い色の髪や瞳は、この世界ではとても珍しいから。

「ヘルムダールの公女殿下に、ご挨拶申し上げます。
この商会の主人、イェーリク・ヴェサーケレでございます」

深々と頭を下げた青年に、パウラは頭を上げるように言った。

「パウラ・ヘルムダールです。
お忙しいあなたに無理をお願いしたのはわたくしなのですから、どうぞもっと気楽になさって」

お忍びなのだから、あまり堅苦しくされるとかえって目立つ。
小声でそんな感じのことを付け加えると、イェーリクは愛嬌のある笑顔で頷いた。

「助かります。
正直なところ、身分の高い方は得意ではないので」

本音なのだろうが、あまりにも正直過ぎる。
顧客のほとんどは、その「身分の高い方」だろうに。
だがその正直さに、パウラは彼を好ましく感じた。
それはどうやら、後ろで控えるナナミも同じだったようで。
くすりと笑う気配がした。

ナナミに気づいたのか、イェーリクは「おや」という顔をする。
なるほど…と、なにか納得したらしい。

「ここは店先ですから、奥へどうぞ。
お話はそこで伺いましょう」



通された応接室は、ヴェサーケレ商会の豊かさを十分に語っていた。
沈んだ赤の絨毯は、毛足が長くふかふかとしているし、すすめられたソファはどれも厚手の絹地張りで、しかもクッションの柔らかいこと。
調度はどれも磨き上げられたマホガニー材で、かなり古いもののようだった。
アンティークというものだろうと、この方面にまるで知識のないパウラにでもわかる。

「砂糖菓子はお好きですか?」

紫の小さな花を砂糖漬けにしたものか。
銀の皿に取り分けられたものが、パウラの前にある。
出された茶器も銀製で、身分の高い貴族は苦手と言いながらもイェーリクが気遣ってくれているのがわかる。

毒など入っていないから、安心して手をつけてください。

そういう意味だろう。
それでも念のためにと、ナナミが先に手をつける。
彼女が頷いて、はじめてパウラはカップを手にとった。

「失礼ながら、ナナミ様も私の先祖と同じとお見受けする。
おそらくその件でしょう。
姫君がこちらへおいでになったのは」

パウラの正面に座ったイェーリクは、ゆったりと脚を組んでカップを手にしていた。
いやしくも公女の前でとるにはかなり行儀が悪い振る舞いで、セスランあたりが目にすれば、たちまち不機嫌になるだろう無作法さなのだが、不思議と嫌悪感がない。

「お察しのとおりですわ。
訪問者のことを、詳しく知りたくて。
………。
帰る方法とか、そういうことを」

パウラの意図を察していたのか、背中に立つナナミの気配はちらとも動かない。
ほっとして、続ける。

「ここなら他の訪問者ヴィトの情報も、きっとご存知だろうと思いましたの」

パウラがそう答えるとほぼ同時に、扉が3度、控えめにノックされる。


「おいでになりました」

扉の向こうから告げられる言葉に、主語はない。
口にするのを憚られる名前なのだろうと、察せられる。

「ああ、こちらへお通しして」

躊躇いもなくイェーリクが応えるのに、パウラは驚いた。
無礼講でとはお願いしたが、パウラはまがりなりにもヘルムダール公家の跡継ぎ公女である。
つまりこの世界で最高位に近い身分の女性で、その彼女に断りもなく、同席を許す人物があるとは信じられなかった。

「やあ、イェーリク。
めずらしいね。
こっちへ君がこもっているなんて」

その声。
パウラの心臓は、どくんと跳ねた。

「あれ、先客かい?」

意外そうにこちらに向けた、青に近い緑の瞳。
鮮やかなオレンジの、長い髪。

間違いない。
西の聖使、オリヴェルだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

転生令嬢、死す。

ぽんぽこ狸
恋愛
 転生令嬢、死す。  聖女ファニーは暇していた。それはもう、耐えられないほど退屈であり、このままでは気が狂ってしまいそうだなんて思うほどだった。  前世から、びっくり人間と陰で呼ばれていたような、サプライズとドッキリが大好きなファニーだったが、ここ最近の退屈さと言ったら、もう堪らない。  とくに、婚約が決まってからというもの、退屈が極まっていた。  そんなファニーは、ある思い付きをして、今度、行われる身内だけの婚約パーティーでとあるドッキリを決行しようと考える。  それは、死亡ドッキリ。皆があっと驚いて、きゃあっと悲鳴を上げる様なスリルあるものにするぞ!そう、気合いを入れてファニーは、仮死魔法の開発に取り組むのだった。  五万文字ほどの短編です。さっくり書いております。個人的にミステリーといいますか、読者様にとって意外な展開で驚いてもらえるように書いたつもりです。  文章が肌に合った方は、よろしければ長編もありますのでぞいてみてくれると飛び跳ねて喜びます。

光の王太子殿下は愛したい

葵川真衣
恋愛
王太子アドレーには、婚約者がいる。公爵令嬢のクリスティンだ。 わがままな婚約者に、アドレーは元々関心をもっていなかった。 だが、彼女はあるときを境に変わる。 アドレーはそんなクリスティンに惹かれていくのだった。しかし彼女は変わりはじめたときから、よそよそしい。 どうやら、他の少女にアドレーが惹かれると思い込んでいるようである。 目移りなどしないのに。 果たしてアドレーは、乙女ゲームの悪役令嬢に転生している婚約者を、振り向かせることができるのか……!? ラブラブを望む王太子と、未来を恐れる悪役令嬢の攻防のラブ(?)コメディ。 ☆完結しました。ありがとうございました。番外編等、不定期更新です。

逆行令嬢は何度でも繰り返す〜もう貴方との未来はいらない〜

みおな
恋愛
 私は10歳から15歳までを繰り返している。  1度目は婚約者の想い人を虐めたと冤罪をかけられて首を刎ねられた。 2度目は、婚約者と仲良くなろうと従順にしていたら、堂々と浮気された挙句に国外追放され、野盗に殺された。  5度目を終えた時、私はもう婚約者を諦めることにした。  それなのに、どうして私に執着するの?どうせまた彼女を愛して私を死に追いやるくせに。

〘完〙前世を思い出したら悪役皇太子妃に転生してました!皇太子妃なんて罰ゲームでしかないので円満離婚をご所望です

hanakuro
恋愛
物語の始まりは、ガイアール帝国の皇太子と隣国カラマノ王国の王女との結婚式が行われためでたい日。 夫婦となった皇太子マリオンと皇太子妃エルメが初夜を迎えた時、エルメは前世を思い出す。 自著小説『悪役皇太子妃はただ皇太子の愛が欲しかっただけ・・』の悪役皇太子妃エルメに転生していることに気付く。何とか初夜から逃げ出し、混乱する頭を整理するエルメ。 すると皇太子の愛をいずれ現れる癒やしの乙女に奪われた自分が乙女に嫌がらせをして、それを知った皇太子に離婚され、追放されるというバッドエンドが待ち受けていることに気付く。 訪れる自分の未来を悟ったエルメの中にある想いが芽生える。 円満離婚して、示談金いっぱい貰って、市井でのんびり悠々自適に暮らそうと・・ しかし、エルメの思惑とは違い皇太子からは溺愛され、やがて現れた癒やしの乙女からは・・・ はたしてエルメは円満離婚して、のんびりハッピースローライフを送ることができるのか!?

【完結】悪役令嬢に転生したようです。アレして良いですか?【再録】

仲村 嘉高
恋愛
魔法と剣の世界に転生した私。 「嘘、私、王子の婚約者?」 しかも何かゲームの世界??? 私の『宝物』と同じ世界??? 平民のヒロインに甘い事を囁いて、公爵令嬢との婚約を破棄する王子? なにその非常識な設定の世界。ゲームじゃないのよ? それが認められる国、大丈夫なの? この王子様、何を言っても聞く耳持ちゃしません。 こんなクソ王子、ざまぁして良いですよね? 性格も、口も、決して良いとは言えない社会人女性が乙女ゲームの世界に転生した。 乙女ゲーム?なにそれ美味しいの?そんな人が…… ご都合主義です。 転生もの、初挑戦した作品です。 温かい目で見守っていただければ幸いです。 本編97話・乙女ゲーム部15話 ※R15は、ざまぁの為の保険です。 ※他サイトでも公開してます。 ※なろうに移行した作品ですが、R18指定され、非公開措置とされました(笑)  それに伴い、作品を引き下げる事にしたので、こちらに移行します。  昔の作品でかなり拙いですが、それでも宜しければお読みください。 ※感想は、全て読ませていただきますが、なにしろ昔の作品ですので、基本返信はいたしませんので、ご了承ください。

悪役令嬢はSランク冒険者の弟子になりヒロインから逃げ切りたい

恋愛
王太子の婚約者として、常に控えめに振る舞ってきたロッテルマリア。 尽くしていたにも関わらず、悪役令嬢として婚約者破棄、国外追放の憂き目に合う。 でも、実は転生者であるロッテルマリアはチートな魔法を武器に、ギルドに登録して旅に出掛けた。 新米冒険者として日々奮闘中。 のんびり冒険をしていたいのに、ヒロインは私を逃がしてくれない。 自身の目的のためにロッテルマリアを狙ってくる。 王太子はあげるから、私をほっといて~ (旧)悪役令嬢は年下Sランク冒険者の弟子になるを手直ししました。 26話で完結 後日談も書いてます。

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

処理中です...