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第一章 それは終わりから始まった
17. パウラ、借りを作る
しおりを挟む言葉どおり、セスランはすぐに戻ってきた。
後ろに控えているのは、おそらくゲルラ大公。
セスランのものよりやや色調の暗い、赤い髪に明るい緑の瞳の青年である。
「お初にお目にかかる。
ヘルムダールのパウラ姫。
私はゲルラ大公シルヴェストレ。
本日はお迎えにも出ず、大変失礼した。
お許しいただきたい」
長い腕を胸に引き寄せて、深々と頭を垂れる。
ヘルムダールは黄金竜に最も近い血を継ぐ家として、4公家より格上であるが、パウラはいまだ当主ではないので、ゲルラの当主が過剰に謙る必要はない。
けれどさすがに、昼間の不手際は詫びざるをえないようだ。
4公家の中で最も気位の高いゲルラの男、しかも大公が、小娘とも言えない幼いパウラに頭を下げるなど、滅多にあることではない。
「ヘルムダール公女パウラでございます。
お国の大事と伺っております。
大公陛下のご心労、いかばかりかと案じておりました」
腰を落として礼をとるパウラに、大公の緑の瞳が面白そうな表情を浮かべる。
続けて何かを口にしかけるところを、冷えたテノールの声が遮った。
「挨拶は後にせよ。
それよりも先に、すべきことがあろう」
セスランは、眉間にシワを寄せている。
それもかなり深い縦皺で、何かが気にさわったらしい。
ああ、とパウラは思いつく。
本来なら聖使が関わることのない、世俗の争いに引きずり込まれたのだ。
彼にとって面白いはずはない。
パウラの頼みだからと、不承不承関わったのだ。
さっさと済ませてしまいたいのだろう。
「御意」
瞬く間に、その表情に謹み深さを上書きして、大公は聖使セスランに頭を垂れる。
「そろそろ白虎の迎えが来る。
パウラ姫、ヤツをこちらへ」
パウラがヴィートをかくまったことについては、不問に付すつもりらしい。
大公の淡々とした声に、一切の表情はなかった。
だがセスランを引っ張り出したことについては、いかに事を穏便に片付ける為であったとはいえ、ゲルラにはゲルラの思いがあるはずで、パウラも少なからず後ろめたい。
「ヴィート」
名を呼ぶと、緊張した面もちのヴィートがパウラの隣に立った。
唇をしっかり引き結んで、ゲルラ大公を無言で見上げている。
「3日前に捕らえたと聞いたが、間違いないか?」
緑の瞳が、ヴィートを見下ろす。
明らかに、パウラに向けたものとは違う色をのせて。
「ああ、そうだ」
ぶつかる視線。
サファイアブルーの瞳も、逸らされることはない。
瞬きもせず、彼にとっての敵を直視し続けている。
「誰か、こやつに着替えを。
その後、白虎の迎えに引き渡す」
視線はヴィートに向けたまま、ゲルラ大公は近侍に命じた。
控えていた騎士がヴィートを促して、連れ出そうと肩に手をかけた瞬間。
「オレにさわるな!」
ぴしりと言い放つ声は、それほど大きなものではなかったが、従わざるを得ない怒気と気概が含まれていた。
弾かれたように手を離した騎士の指が触れた肩を、ヴィートは右手でぱんと払う。
そしてパウラの前に出ると、はじめて微笑んだ。
「世話になったな、パウラ」
サファイアブルーの瞳が、少しだけ上からパウラを見下ろしている。
「おまえには、また会いたいと思う。
オレが今みてぇなガキじゃなくなって、おまえももう少しオトナの女になったらな。
きっと会いに行く」
うわっと、声が出そうになった。
攻略対象外のヴィートにわかりやすい反応をもらって、心の内は動揺しまくりである。
かぁっと頬に血が上るのを、コントロールできないでいる。
困った…。
なにしろ8+数千年の人生経験はあれど、この手の免疫取得はできていない。
ほんわりとやわらかい温かみに、パウラが微笑みかけた時のこと。
「何をしている。
早く連れて行かぬか」
冷えたテノールの声が、辺りの空気を凍らせた。
「御意」
大公近侍の騎士が、ヴィートを促す。
「触れられたくなくば、自分で歩け」
有無を言わせぬ高圧的な調子で命じられると、ヴィートの細い頤がわずかに動く。
かちゃりと騎士の帯剣が鳴る。
革のブーツの靴音が続いて、扉が閉まる。
「わたくしも御前、失礼を」
ゲルラの大公もそれに続くと、静寂が戻った。
「白虎のオスが、それほどに気になるか」
パウラが目を上げると、眉間に深い縦皺を刻んだセスランの白い顔があった。
白虎族がそれほどに厭わしいのか。
火竜の血を何よりも誇りに思う彼ならば、竜以外を始祖とする一族に寛大ではいられないのだろうが。
それにしても少し狭量すぎやしないか。
(こういうとこなのよね…。
正しいと信じたことを疑いもしない。
まっすぐすぎるというか、融通がきかないというか)
パウラは内心でため息をつく。
だから前世、エリーヌにやすやすともっていかれたのだろうと、詰りたくなる。
その方面に疎いパウラが見ても、いかにもあからさまなエリーヌの誘いに、簡単にのせられたセスランを思い出す。
それでもこれがセスランだ。
受け容れて、これを前提に攻略するしかない。
攻略。
身も蓋もない。
ちくりと心が痛むが、そんな甘いことを言っていたらまた飼殺しルートである。
「セスラン様、ありがとうございます」
感謝しているのは本当だから、その気持ちを母アデラをまねた微笑とともに伝えると、セスランの翡翠の瞳が、甘やかな色に滲む。
「ようやく私を見てくれたか」
まるでダンスを申し込む礼のように、優雅に膝を折ってセスランは跪く。
小さなパウラの視線に合わせる為とわかっていても、心臓がドクンと大きくはね上がった。
「言ったはずだ。
パウラの願いなら、なんでも叶えると」
バクバクと、心臓の鼓動がうるさい。
だから免疫がないと、さっきから自覚しまくりなのに。
前世、大人になったパウラでさえ聞いたことのない、甘い艶っぽいテノールは、刺激が強過ぎる。
シモンの時と同じ違和感を、ここでも感じた。
セスランには、幼い外見のパウラが本当に見えているのだろうか。
銀糸の髪に明度の高いエメラルドの瞳。
確かにパーツは同じだが、身体の有り様は8才の子供でしかないはずだ。
なのにカゴいっぱいのキャンディのような、この甘さはなぜだ。
まるで、そう。
セスランの目には、成長したパウラが映っているような。
そしてそのパウラを特別なものとして、見ているような。
(ありえないわ)
即座にばかげた考えを否定する。
気のせいだ。
少しだけ、ほんの少しだけ気になっていたセスランだから、そしてパウラよりエリーヌを選んだ彼だから、それで過剰に反応しているに違いない。
これは多分、トラウマの一種。
冷静になれ、頭を冷やせと、パウラは何度も繰り返す。
それでも赤く染まったままのパウラの顔に、翡翠の瞳が嬉しそうに甘く揺れて。
「だが…、これは貸しにさせてもらうぞ」
珍しくからかうような口調で、セスランは微笑んだ。
「次に会う時、返してもらおう。
楽しみだ」
これ、本当にセスランか。
前世のヘタレのセスランと、同じ男にはとても思えない。
次に会う時。
おそらくそれは9年後、黄金竜の泉地で。
精神修行をもっと厳しくしなくては。
ナナミに訓練メニューを追加してもらおう。
あらためて敵の怖さを知る、パウラであった。
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