42 / 44
第四章 ヴァスキアの再興
42.あなたが離れてゆけないように
しおりを挟む
毒殺未遂から三カ月が過ぎた頃、後遺症も失せたエカルトにようやく復帰の許可がおりた。
毒を盛られた直後の、激しい痛みや吐き気それに高熱は一晩で収まった。その後にひどい倦怠感と眩暈が残り、医師からしばらく安静にしているようにと言われてしまうと、ラウラが頑として仕事復帰を許してくれなかったのだ。そうなると周りの者もラウラに従う。「少しずつ身体を慣らしたい」、どんなに言っても誰も聞いてはくれなかった。
これでやっと元の生活が戻って来る。
ほぼ制服と化した黒の騎士服に、一人で着替える。近侍は今のところいない。
あの事件以来城内の警備は強化されて、新規雇用は当分見送られることになっている。ハーケが総督を務めていた頃に、城内の使用人を必要最小限に絞っていたようで、それを引き継いだ現在、かなりの人手不足は否めないのにだ。
当分の間、自分の事は自分でするようにと、テオバルトから言われたばかりだ。
「人手がありません。身のまわりのことくらい、おできになりますよね」
近衛騎士団長のテオバルトは、国王の補佐官のようなことまで兼任している。国王代行のラウラは人使いが荒いらしく、テオバルトはいつも慣れない書類仕事に頭を抱えていた。そのせいか最近特に機嫌が悪い。
本当なら宰相をおきたいが、今すぐには無理だ。国王に次ぐナンバー2の地位を、適当に埋めるわけにはゆかない。今のところ空席にしたまま、国王代行の王妃ラウラが兼任することになるだろう。
ラウラ、そうそのラウラこそが、現在エカルトの一番の気がかりだった。
三カ月の間、彼女はエカルトを拒み続けている。
触れ合うのは最低限。身を起こす時に助けてもらう程度で、その手を引き寄せようとするとやんわりと拒まれる。
夜はおやすみの挨拶をした後、別の寝台で眠ってしまう。
一度エカルトが手を出そうとしたら、そうされた。
「まだ治ってないから」
ラウラは困ったように眉を下げて言った。
三カ月、三カ月もだ。
まだ新婚と言って良い期間にこれだけ干され続けたら、不安にもなる。
ラウラに心境の変化があったのではないか。まさかとは思うが、マラークの先王にもしや心が揺り戻されたのではないか。
仕事も取り上げられ、ひがな一日やることもなくぼやぼやしていると、思考はどんどん悪い方へ悪い方へと向かうのだ。
それも今日で終わる。ようやく解禁だ。
今夜こそラウラも拒まないでいてくれる。いや拒ませない。
急を要する仕事は、すべて優秀な王妃が片づけてくれている。国王としてはいささか複雑だったが、夫としてはありがたい。これでこの三カ月の処理案件の証跡を辿るだけで、今日の仕事は終わるのだ。
夜が待ち遠しかった。
その夜、国王夫妻の寝室。
意味不明の唸り声をあげて、ぶんぶんと頭を振るエカルトの姿がある。
強めの酒を口にして、なんとか落ち着こうとしてみるがダメだ。胸がどきどきうるさくて、そわそわと落ち着かない。
初夜の余裕のなさとは違う。あの時はただ、ラウラに触れたくて欲しくてすべてを自分のものにしたい。その思いでいっぱいだった。その後、毎夜身体を重ね愛を囁いたのに、エカルトは不安でたまらない。
三カ月も干された理由は、エカルトの身体を気遣ってだと知っている。そうに違いないと思いながらも、心のどこかで「もしかしたら俺を嫌になったのか」と不安が声を上げる。
エカルトは銀の分銅の姫の伴侶だ。出会った瞬間に、ラウラを彼の唯一、最愛だと認識した。そしてそれは今も変わらず、ラウラはこの世でただひとりの愛しい妻だ。本当なら一瞬でも離れていたくないくらいに。けれどラウラは、己の伴侶をかぎ分けられないと聞く。もしかしたら毒ごときで倒れるような、弱い男は嫌いかもしれない。
「ラウラに嫌われたら、俺は生きてゆけない」
ぼそりとこぼした時、寝室の扉が開いた。
燭台のほのかな灯りにぼんやりと浮かぶ姿に、エカルトの心臓はどくんと大きく跳ね上がる。
白くてろりとした絹のガウンを緩く合わせて、その肩に背に見事な銀の髪を自然に下ろしている。足下の部屋履きは銀の飾りのついた小さなミュールで、白く細い足首をさらに魅力的に見せていた。
こんなラウラを、エカルトは見たことがない。
清らかで、同時に艶やかで。
小さなミュールの足が軽やかに動いて、紫の瞳がエカルトを間近で捉える。
次の瞬間、エカルトの唇は塞がれていた。
さわやかで甘いイチゴの香りがエカルトを包む。
小さな舌がするりと入ってくると、エカルトは驚きながらも夢中で吸い上げた。
いつものラウラと違う。
これまでのラウラは、自分から仕掛けてくることはなかったのに。
(まさか……、俺が下手だからか? いや、別れの前に思い出をくれようとしているのか?)
「いや……だ」
涙があふれていた。
三カ月の間に、ラウラに何が起こったのか。どんな心境の変化があったのか。たとえ何があったにせよ、エカルトがラウラを放してやることはない。
それでもラウラの心が離れていくのは辛い。
三カ月前までは、確かに愛していると言ってくれていたのに。
「ラウラ、どうしてですか?」
勝手に答えを出したエカルトに、紫の瞳が蠱惑的に輝いた。
「よくわかったからよ。あの時エカルトを失いそうになって、どれだけあなたを愛しているか。生きてゆけないと思ったから」
白くやわらかな腕がエカルトの首を抱き寄せる。
「あなたが離れてゆけないように、わたくしも努めるわ。そう決めたの」
薄い唇の端を綺麗に上げて、ラウラは艶然と微笑した。
毒を盛られた直後の、激しい痛みや吐き気それに高熱は一晩で収まった。その後にひどい倦怠感と眩暈が残り、医師からしばらく安静にしているようにと言われてしまうと、ラウラが頑として仕事復帰を許してくれなかったのだ。そうなると周りの者もラウラに従う。「少しずつ身体を慣らしたい」、どんなに言っても誰も聞いてはくれなかった。
これでやっと元の生活が戻って来る。
ほぼ制服と化した黒の騎士服に、一人で着替える。近侍は今のところいない。
あの事件以来城内の警備は強化されて、新規雇用は当分見送られることになっている。ハーケが総督を務めていた頃に、城内の使用人を必要最小限に絞っていたようで、それを引き継いだ現在、かなりの人手不足は否めないのにだ。
当分の間、自分の事は自分でするようにと、テオバルトから言われたばかりだ。
「人手がありません。身のまわりのことくらい、おできになりますよね」
近衛騎士団長のテオバルトは、国王の補佐官のようなことまで兼任している。国王代行のラウラは人使いが荒いらしく、テオバルトはいつも慣れない書類仕事に頭を抱えていた。そのせいか最近特に機嫌が悪い。
本当なら宰相をおきたいが、今すぐには無理だ。国王に次ぐナンバー2の地位を、適当に埋めるわけにはゆかない。今のところ空席にしたまま、国王代行の王妃ラウラが兼任することになるだろう。
ラウラ、そうそのラウラこそが、現在エカルトの一番の気がかりだった。
三カ月の間、彼女はエカルトを拒み続けている。
触れ合うのは最低限。身を起こす時に助けてもらう程度で、その手を引き寄せようとするとやんわりと拒まれる。
夜はおやすみの挨拶をした後、別の寝台で眠ってしまう。
一度エカルトが手を出そうとしたら、そうされた。
「まだ治ってないから」
ラウラは困ったように眉を下げて言った。
三カ月、三カ月もだ。
まだ新婚と言って良い期間にこれだけ干され続けたら、不安にもなる。
ラウラに心境の変化があったのではないか。まさかとは思うが、マラークの先王にもしや心が揺り戻されたのではないか。
仕事も取り上げられ、ひがな一日やることもなくぼやぼやしていると、思考はどんどん悪い方へ悪い方へと向かうのだ。
それも今日で終わる。ようやく解禁だ。
今夜こそラウラも拒まないでいてくれる。いや拒ませない。
急を要する仕事は、すべて優秀な王妃が片づけてくれている。国王としてはいささか複雑だったが、夫としてはありがたい。これでこの三カ月の処理案件の証跡を辿るだけで、今日の仕事は終わるのだ。
夜が待ち遠しかった。
その夜、国王夫妻の寝室。
意味不明の唸り声をあげて、ぶんぶんと頭を振るエカルトの姿がある。
強めの酒を口にして、なんとか落ち着こうとしてみるがダメだ。胸がどきどきうるさくて、そわそわと落ち着かない。
初夜の余裕のなさとは違う。あの時はただ、ラウラに触れたくて欲しくてすべてを自分のものにしたい。その思いでいっぱいだった。その後、毎夜身体を重ね愛を囁いたのに、エカルトは不安でたまらない。
三カ月も干された理由は、エカルトの身体を気遣ってだと知っている。そうに違いないと思いながらも、心のどこかで「もしかしたら俺を嫌になったのか」と不安が声を上げる。
エカルトは銀の分銅の姫の伴侶だ。出会った瞬間に、ラウラを彼の唯一、最愛だと認識した。そしてそれは今も変わらず、ラウラはこの世でただひとりの愛しい妻だ。本当なら一瞬でも離れていたくないくらいに。けれどラウラは、己の伴侶をかぎ分けられないと聞く。もしかしたら毒ごときで倒れるような、弱い男は嫌いかもしれない。
「ラウラに嫌われたら、俺は生きてゆけない」
ぼそりとこぼした時、寝室の扉が開いた。
燭台のほのかな灯りにぼんやりと浮かぶ姿に、エカルトの心臓はどくんと大きく跳ね上がる。
白くてろりとした絹のガウンを緩く合わせて、その肩に背に見事な銀の髪を自然に下ろしている。足下の部屋履きは銀の飾りのついた小さなミュールで、白く細い足首をさらに魅力的に見せていた。
こんなラウラを、エカルトは見たことがない。
清らかで、同時に艶やかで。
小さなミュールの足が軽やかに動いて、紫の瞳がエカルトを間近で捉える。
次の瞬間、エカルトの唇は塞がれていた。
さわやかで甘いイチゴの香りがエカルトを包む。
小さな舌がするりと入ってくると、エカルトは驚きながらも夢中で吸い上げた。
いつものラウラと違う。
これまでのラウラは、自分から仕掛けてくることはなかったのに。
(まさか……、俺が下手だからか? いや、別れの前に思い出をくれようとしているのか?)
「いや……だ」
涙があふれていた。
三カ月の間に、ラウラに何が起こったのか。どんな心境の変化があったのか。たとえ何があったにせよ、エカルトがラウラを放してやることはない。
それでもラウラの心が離れていくのは辛い。
三カ月前までは、確かに愛していると言ってくれていたのに。
「ラウラ、どうしてですか?」
勝手に答えを出したエカルトに、紫の瞳が蠱惑的に輝いた。
「よくわかったからよ。あの時エカルトを失いそうになって、どれだけあなたを愛しているか。生きてゆけないと思ったから」
白くやわらかな腕がエカルトの首を抱き寄せる。
「あなたが離れてゆけないように、わたくしも努めるわ。そう決めたの」
薄い唇の端を綺麗に上げて、ラウラは艶然と微笑した。
5
お気に入りに追加
102
あなたにおすすめの小説
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

隻眼の騎士王の歪な溺愛に亡国の王女は囚われる
玉響
恋愛
平和だったカヴァニス王国が、隣国イザイアの突然の侵攻により一夜にして滅亡した。
カヴァニスの王女アリーチェは、逃げ遅れたところを何者かに助けられるが、意識を失ってしまう。
目覚めたアリーチェの前に現れたのは、祖国を滅ぼしたイザイアの『隻眼の騎士王』ルドヴィクだった。
憎しみと侮蔑を感情のままにルドヴィクを罵倒するが、ルドヴィクは何も言わずにアリーチェに治療を施し、傷が癒えた後も城に留まらせる。
ルドヴィクに対して憎しみを募らせるアリーチェだが、時折彼の見せる悲しげな表情に別の感情が芽生え始めるのに気がついたアリーチェの心は揺れるが………。
※内容の一部に残酷描写が含まれます。
契約結婚のはずが、幼馴染の御曹司は溺愛婚をお望みです
紬 祥子(まつやちかこ)
恋愛
旧題:幼なじみと契約結婚しましたが、いつの間にか溺愛婚になっています。
夢破れて帰ってきた故郷で、再会した彼との契約婚の日々。
★第17回恋愛小説大賞(2024年)にて、奨励賞を受賞いたしました!★
☆改題&加筆修正ののち、単行本として刊行されることになりました!☆
※作品のレンタル開始に伴い、旧題で掲載していた本文は2025年2月13日に非公開となりました。
お楽しみくださっていた方々には申し訳ありませんが、何卒ご了承くださいませ。
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
(完)子供も産めない役立たずと言われて・・・・・・
青空一夏
恋愛
グレイス・カリブ伯爵令嬢である私は、家が没落し父も母も流行病で亡くなり借金だけが残った。アイザック・レイラ準男爵が私の美貌を気に入って、借金を払ってくれた。私は、彼の妻になった。始めは幸せだったけれど、子供がなかなかできず義理の両親から責められる日々が続いた。
夫は愛人を連れてきて一緒に住むようになった。彼女のお腹には夫の子供がいると言う。義理の両親や夫から虐げられ愛人からもばかにされる。「子供も産めない役立たず」と毎日罵られる日々だった。
私には歳の離れた兄がいて、その昔、父と諍いを起こし家を出たのだった。その兄が生きていて、チートな冒険者になっており勇者と共に戻って来た。だが、愛人が私のふりをして・・・・・・ざまぁ。納得の因果応報。
虐げられる美貌の主人公系。
大14回恋愛大賞で奨励賞をいただきました。ちなみに順位は37位でした。投票して頂きありがとうございました。
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
勘違い妻は騎士隊長に愛される。
更紗
恋愛
政略結婚後、退屈な毎日を送っていたレオノーラの前に現れた、旦那様の元カノ。
ああ なるほど、身分違いの恋で引き裂かれたから別れてくれと。よっしゃそんなら離婚して人生軌道修正いたしましょう!とばかりに勢い込んで旦那様に離縁を勧めてみたところ――
あれ?何か怒ってる?
私が一体何をした…っ!?なお話。
有り難い事に書籍化の運びとなりました。これもひとえに読んで下さった方々のお蔭です。本当に有難うございます。
※本編完結後、脇役キャラの外伝を連載しています。本編自体は終わっているので、その都度完結表示になっております。ご了承下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる