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第二章 ヴァスキアの王子

23.告げる

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 アングラード侯爵配下の騎士五千、うち家族を持たない者は三千だ。
 そのほとんどは八年前に一族すべてを失っていた。マラーク国王には恨みしかない。
 ではそのすべてが信頼に足る騎士かとなると、違う。
 時間が経てばどんな恨みや憎しみも薄れゆく。負の激しい感情を抱えたまま、生きてゆくのは苦しいものだ。だからそうなっても不思議ではない。
 人として責めることではない。が、戦力としてはあてにならない。
 ルトとテオは、激しい恨みや怒りの感情を残したままの者、あるいは故国ヴァスキアの再興を強く望む者を三千の騎士から注意深く選んでいった。
 残ったのはおよそ二千。思ったより多かった。


 「貴公はいったい何者だ?」

 アングラード侯爵配下の騎士団長の名はクラシー。黒に近い茶の髪に同じ色の瞳をした壮年の騎士だ。右目の上から下にかけて大きな刀傷がある。
 その彼は主君アングラード侯爵に指示された部屋へ入るなり、ルトをまっすぐにみつめて聞いた。
 騎士団の要になる男だ。彼の信頼と忠誠は、なんとしてでも得たい。
 ルトは騎士服の上着、その下のシャツを黙々と取り去った。その下にある醜い火傷の引きつれ、それを見せるために。
 
「この傷は八年前のものだ」

 右首下から腰にかけてひきつれた、ひどい火傷の痕。
 はっと息を飲んだクラシーが、すぐさま跪いた。

「クラウス・フォン・ブラウンフェルスと申します。ブラウンフェルス騎士団長でございました」

 顔を上げぬまま肩を震わせている。

「よく……よくご無事で。グレイグ神のご加護に感謝いたします」

「ブラウンフェルス伯爵? あなたこそよくご無事で!」

 抱きつかんばかりの勢いで近寄ったテオが、クラウスの隣に座りこむ。

「テオバルトです。あなたに鍛えていただいたこともある。憶えておいでですか?」
「ドナウアー辺境伯のご子息か。たしか2番目の。生きていらしたか」

 図体の大きな男が抱き合って泣く姿は、少し趣味の違う人々には良いものなのだろうが。あいにく三人が三人とも、おとこに酔う趣味はない。
 感動の再会を果たした後は、あっさりと話を戻した。

「殿下は我らを指揮なさるのですな。そのおつもりで私をお呼びになったのでしょう」

 ルトには答えるまでもない問いだ。発したクラウスも質問したというより、確認だったろう。

「鉄の絆を守れる者をあらためて選抜してくれ。アングラード侯爵の工作と併せて、遅くとも3年以内に決着をつけたい」
「承知いたしました」

 帰れるのですねと、クラウスの目が潤んだ。



 王妃宮のラウラは相変わらず清らかな日々を送っていた。
 逃げきってみせると表明した日から、腹痛だの胃痛だの気分が悪いのと理由をつけてはシメオンの訪れを拒み、それではと医師を送られても拒む。銀の分銅ソルヴェキタの姫の不調は特別な医師によらねば治らないなどと言いはって、診察も受けない。
 どうやら仮病だとバレても良いと開き直っているようだ。そもそも銀の分銅ソルヴェキタの姫は病気になどならない。
 だがさすがにこれで三年過ごすのは無理だ。ラウラもわかっているようで、もうはっきり嫌だと言葉にするしかないかと最近では口にしている。
 国王と愛妾との仲は切れてはいないから、夫婦不和の責任は夫側にある。一夫一婦の教えを守らない夫に、神殿は冷たいのだ。
 本当のところ、熱心な求愛を拒んでいるのはラウラの方だ。数か月の間、シメオンは愛妾のもとへ通っていない。それでも愛妾を放逐していないのだから、王宮内で妻妾同居という罰当たりでふしだらな暮らしを送っているには違いなく、神殿は諫言を繰り返していた。

「本当に放逐なんてされたら困るわ」

 政略結婚である以上、そうなれば受け容れなくてはならないとラウラはため息をつく。
 
「このまま三年逃げ切って、修道院へ駆け込もうと思ってるのに」

 俗世にいるままだと、また他の誰かに嫁げと言われる。それなら世を捨てるのが一番いい。そういう計画のようだ。


 3カ月近く妻に拒否され続けているシメオンが、その日は珍しく強引で、力づくでラウラの部屋へ入ってきた。

「お引き取りください」
 
 力で騎士にかなうはずもない。楽々と取り押さえられてあえなく追い出された。
 不敬だと騒ぎ立てていたが、主の安全を護ることが護衛騎士の役目なのだから相手が誰であろうと関係ない。むしろ国王だからこそ、殴りはしなかったのだ。感謝してほしい。
 その後のこと。
 疲れ切った表情で首を振りながら、ラウラが言った。

「最初からあんな風に熱心だったら、少しは違ったのかもしれないけれど。いまさら……どうしようもないのにね」

 ぴくりと、ルトの眉がはね上がる。
 最初から今のようにラウラに執着していれば、ラウラの気持ちが動いたと?
 考えたくもなかった。

「陛下だってわたくしと同じ。王族の義務として、この結婚を受け容れたはずなのに。このザマでしょう?
 のぼせあがって決まり事を破ったり、果ては国を傾けたり。恋とか愛とか、とても迷惑な感情ね」

 ラウラのこれまでを思えば、仕方のない言葉だ。
 だがルトにはこたえる言葉だった。
 故国への責任と番への恋慕。このふたつがルトをここまで生かしてくれた。
 特に番への恋情はけして悟らせてはならなかった。国のために他に夫を持つ身の彼女に、ルトこそが番なのだと知らせてはならないと厳に戒められた。
 七歳からこれまで、ルトがどれほど自分を抑えてきたか。
 ラウラは番をかぎ分けらない。だから仕方ないと理屈ではわかっている。
 それでも哀しくて悔しい。

「違う」

 抑えきれなかった。
 あふれ出した激情が、理性を駆逐する。

「そんなものと一緒にするな」

 押し殺した熱が、声の温度を低くする。
 目が熱い。濡れてあふれて、目の前のラウラの顔が滲んだ。

「ルト?」

 ラウラが頬に指を伸ばしてくる。
 触れられた箇所が、かあっと熱を持った。

「優しい子ね。わたくしのために泣いてくれる」

 自分が泣いているのだと、初めて気づいた。
 あふれ出す涙には、抑え込んだ思いも載っている。
 ついに口を開いた。
 
「七歳からです。俺はずっとあなただけを見ていました」
「え……」

 ラウラの紫の瞳がこぼれんばかりに見開かれている。薄く開いた唇がはくはくと動いて、彼女の動揺を伝えてくれる。

「同じだけの愛をとは望みません。今はただ、俺があなたを愛していると、それだけを知っていてほしい」

 おろした銀の髪をひとすくいして、ルトはそっと唇を押しあてる。
 ふわりとイチゴの優しく甘い香りが鼻先をかすめて、さらに涙がこみあげた。
 ようやく告げることのできた思いに胸は熱く、今すぐにでも抱きしめて口づけたい。
 その衝動に、ルトは必死で耐えていた。

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