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第二章 ヴァスキアの王子

18.番の姫

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 八年が過ぎて、ラウラの輿入れが近づいたある日。
 ルトは太王太后エドラに呼ばれた。

「ルト、いやエカルトとあえて呼ぼうぞ。そなた、ほんにラウラについて行けるのか?」

 エドラの私室、ごく限られた者しか入室を許されない空間だ。カウチソファに右ひじをあずけた姿勢で、エドラはまっすぐにルトを見つめてくる。

「気づいておるのだろう? そなたの想い。自分でもどうしようもないその想いが、愛やら恋やら人の言う並のものではないことくらい」

 ぐさりと核心を突いて来る。この貴婦人は回りくどいことが嫌いだ。
 そしてさすがの慧眼で、彼女にはいずれバレると思っていたがそのとおりだった。

「ラウラは銀の分銅ソルヴェキタの姫じゃ。あれはまだ知らぬことだが、銀の分銅ソルヴェキタの姫には必ずただ一人の男が現れる。古来よりそう言われておる。そなたであったとはの」

 銀の分銅ソルヴェキタの姫。世の均衡がどうしようもなく乱れ崩れた時に、その均衡をとるために現れるという。
 ノルリアン王女の中でも特別の娘で、その夫と共に国を隆盛に導き、名君となる後継者を産む。いかなる病にも侵されず健やかな生を全うするために、幼少期には銀の鱗で身体を覆い強い内臓を育てるのだそうだ。
 その夫は生まれ出た瞬間から決まっている。けれど悲しいことに、姫が自ら夫を探すことはできない。生涯ただ一人の相手をみつけ出す本能は、夫の方にしかないからだ。
 ルトはすぐに気づいた。そして焦がれた。今も焦がれ続けている。

「マラークへの輿入れは、いかなわたくしでも止められぬ。仮にあれに真実を告げたとしようぞ。苦しめるだけじゃ。そなたにマラークと戦う力はない」

 マラークからノルリアンへ渡された支度金は途方もない額だと聞くが、財力の問題だけではない。
 今のルトには故国さえない。ラウラを連れて帰り護ってやる基盤が何もないのだ。

「おおせのとおりかと」
「おのが唯一の姫を、みすみす他の男に渡さなくてはならぬ。わたくしは銀の分銅ソルヴェキタではなかったゆえにわかるとは言わぬ。だがそなたの苦悩、察して余りあるぞ」

 曽孫にあたるルトにエドラは慈愛深い哀しみを見せてくれる。けれど婚姻を覆すとは、けして言ってはくれない。

「だからこそ問う。マラークへ共に行ってほしいとわたくしは願う。が、それが酷なことだと知るゆえに、そなたに選ばせてやろう。共に行きやるか?」
「はい」

 迷わず答える。ラウラの側を離れる以上に辛いことはないと、ルトは知っていたから。

「そうか。ではそなた、真実を必ず隠しとおせ。しかと心せよ」

 厳しく言い渡されて、ルトはきつく目を閉じた。
 マラーク国王を夫と呼び、妻と呼ばれるラウラを見なければならない。それも間近で。
 身体中の細胞が沸騰するような怒りと嫉妬で、息がつまる。
 それでもラウラと離れることだけは、けしてできない。

「承りました。太王太后陛下」
「そうか。ではさらに命じよう。向こうに着いたらの、アングラード侯爵と懇意にせよ。ただし気は許すでない」

 よいなと釘を刺されて、退出を許可された。
 騎士団長仕込みの最敬礼をして、太王太后エドラの私室を出る。
 ほう……と重いため息をついた。



「殿下、国王陛下がお呼びでございます」

 エドラの離宮、ラウラの私室は相変わらずそこにあった。
 王宮で国王に仕える侍従長が、わざわざ離宮にまで呼び出しに来る。
 頑としてラウラが呼び出しに応じないからだ。

「おそれながら殿下、陛下の御命でございます。どうかわたくしとご一緒に」

 白髪まじりの頭をきれいに撫でつけた神経質そうな中年の男だ。
 脅すような口調に、ルトはじろりと睨めつける。
 国王だと? その名にどれほどの重みがあると思っているのかと。
 
 ここノルリアンでは、現在事実上の国王はエドラだ。
 ヴァスキアに嫁いだ彼女は故国ノルリアンに帰ってきた後、しばらくは静かな隠居生活を送っていた。
 が、先代国王が在位中のある事件以降、表舞台に引きずり出されることになる。
 当時王太子だったラウラの父が長年の婚約者であった侯爵令嬢を捨てて、王宮で侍女をしていた現王妃を妻に迎えた。既成事実を先行させて強引に進められた結婚に、先王は呆れて怒り、娘を辱められた侯爵家は当然ながら激怒した。侯爵領の港とマラークへ続く幹線道路について、無償での提供制度を廃止したのだ。利用の度ごとに、通常の倍額を支払うように王家に求めた。わかりやすいいやがらせだ。
 中継貿易で成り立つ国だ。そんなことをされればどうなるか。先王は頭を抱えて、ヴァスキアの王太后であったエドラ王女に泣きついた。
 結果、エドラの仲裁で侯爵令嬢はヴァスキア王族への輿入れが決まり、とりあえずの解決をみた。けれど先王は自分亡き後がとても心配であったらしい。
 エドラに準王太后の位を与えて、次代の国王が国に混乱をもたらす場合、エドラに裁可をあおぐべしと言い置いた。
 現王の代になって傾き続けた財政がついに限界を迎えた時、宰相をはじめとする大臣すべてが先王の命に従うことを決意する。
 最初こそ面倒だと渋っていたエドラがため息をつきながらも受けてくれたのは、ラウラ王女を任されて以降のことだ。放っておけばラウラの支度金その莫大な額すべてが、国王夫妻の無能によって費えると思ったからだという。
 なるほど先王は、やはり賢君だった。
 
「ご用のおもむきは? 今ここでおまえがお言い」

 ラウラは膝の上の本に視線を落としたまま、冷たく命じた。
 この夏二十歳になった彼女は、花なら満開手前の艶やかさだ。こぼれかかる銀の髪はつややかで、宝石のような紫の瞳には大人びた憂いがある。

「わたくしにはわかりかねます」

 たじろぐ侍従長に「では聞いておいで」とたたみかけて、ラウラは面倒そうにため息をつく。話はもう終わりだと、手をひらひらとやる。
 取り付く島もないラウラに侍従長があきらめて退散するのはいつものことで、もう何度も目にした光景だった。
 
「会いたくない。はっきり言わないとダメかしらね」

 やっと本から視線を上げたラウラが、ルトに向って肩をすくめてみせる。
 やれやれとでもいう感じに首を左右に振ると、極上の絹糸のような銀の髪がさらりと揺れて辺りの空気をきらきらと染めてゆく。
 こうしてラウラを目にする度、いつも新鮮な歓びがルトを痺れさせてくれる。
 何をしても何を言っても、ラウラがラウラであるだけで良い。それがルトの幸せだった。
 そのラウラを悩ませる親など、いなくとも良い。まして無能な国王であるのなら、いるだけで罪だ。

「言ってきます」

 口にするやいなや、くるりと踵を返したルトをラウラの笑い声が止める。

「気が短いのは変わらない」

 透きとおるような心地良い声が、楽しそうにルトをからかう。
 
「おとなしいとみんな思ってるみたいだけど、とんでもない」

 やんちゃな弟を見るように優しく笑っている。
 七歳の時に拾われてからずっと、ルトはラウラにとって保護すべき対象で、今もきっとその時のままなのだ。
 あれから厳しい訓練を受け自ら鍛錬を繰り返して、体格だけならテオにだって負けていない。身長も伸びたし、身体中のいたるところにしなやかな筋肉がついている。
 もう子供じゃない。
 男として見てほしい。そう思いながら、そうなるのが怖くもあった。
 もしそうなれば……。
 エドラにした約束、けして真実を告げぬというあの約束を守れるはずなどない。
 そのことをルトはよく知っていたから。
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