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第一章 義務と忍耐と決意まで

7.初夜のすっぽかし

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 一週間の後、ラウラの結婚と王妃戴冠の日を迎えた。
 国を挙げての豪勢な式が予定されて、ノルリアンからは国王夫妻も招かれていた。
 マラーク入りしてから今日まで、貴賓室とは名ばかりの離れ小島部屋に押し込められていたラウラたちだが、サバイバルスキルのおかげで大してやつれもせず、それどころかよく身体を動かしたのでむしろコンディションは良いくらい。
 今朝は早くから四人がかりで湯を沸かし、式の準備にとりかかった。
 ばば様の用意してくれたウェディングドレスは、マラークから贈られた最高級の絹地で仕立てられたものだ。細いチュールのヴェールは限りなく薄く、それに合わせて作られたティアラは繊細な銀の台座に煌めくダイヤが星のように散りばめられている。

 「綺麗だ」と涙ぐんで見せる両親に、ラウラは白けた思いで形ばかりの礼を言う。生まれてから二十歳で嫁ぐまで、ほとんど顔を合わせたことのない関係なのに。
 特に母からはバケモノと疎まれた。十二歳で鱗が剥がれた後で、「会いに来て良い」と言われたが、今さらなにをとラウラは面会を拒んだ。
 それでも年に一度の誕生日には、ノルリアンあげての行事だからと仲の良い親子のフリをしたものだ。ノルリアンの王族として体裁を整えてやるために。
 それも今日で最後。お役御免だ。

 七日ぶりに見たマラーク国王シメオンは、やはりとびきりの美青年だった。
 マラーク軍元帥の白い礼装がよく似合う。青い肩帯に胸の勲章、金色のモール。腰には銀の剣を佩いている。
 少し下がった目元が柔らかく色っぽくて、もしなにも知らなければ好きになっていたかもしれないくらいには魅力的だ。
 祭殿の前で待つシメオンは、極上の微笑でラウラを迎えてくれる。

「この日を幼い頃から待っていましたよ」

 これもまた、何も知らなければ蕩けそうに甘い言葉だ。息をするようにきっと、この男はこういう言葉を吐くのだろう。
 けれど睨みつけられたり、愚弄されたりするよりはマシだ。既に心身ともに捧げただろう愛妾がいる身で、国のために形だけの妻を娶らなければならないのだから、幼稚な男なら悪態のひとつもつくかもしれない。
 いちおう政略結婚の礼儀を、心得ていてはくれる。それならばラウラも礼儀を守らなくてはなるまい。

「わたくしも楽しみにしておりました」

 心にもない言葉はお互い様だ。

 それでも誓いのキスは優しくて、頬にそっとあてられた手は温かい。
 胸がどきんとした。

(本当に待っていてくれた?)

 そんなはずはないと即座に否定する。現実を見ろと自分に言い聞かせた。
 この会場のどこかに、あの愛妾もいるはずだ。
 甘い夢をみれば、期待した量だけ後悔もまた大きくなる。

(知ってるはずだわ。そんなことくらい)

 滞りなく式を終えて、披露のパーティも盛況のうちに終わる。
 そしてその後、ラウラは王妃宮へ移った。

 
 その夜のこと。
 いわゆる初夜だ。政略上の結婚であれば、事がなったかを見届ける立会人が侍るのは普通のこと。
 ラウラにもその覚悟はできていた。
 目を閉じて息を止めていれば、多分すぐに終わってくれる。長くてもせいぜい一時間くらいのものだろう。これを済ませれば、務めは終わる。そこから先は、なるべく関わりを絶って数年後には離宮へ移り住めれば重畳。跡継ぎをとどうしても求められれば、条件次第でその時に考えれば良い。
 
 オルガに手伝ってもらって入浴を済ませると、白い夜着に着替えて夫を待った。
 待った。
 時計の針の進む音が、やけに大きく煩く響く。
 ついに零時を回った。

「陛下はどうなさったのか」

 さすがに立会人が騒ぎ出した。

「だれか陛下を探してこい」

 ばたばたと慌ただしい足音が数度して、ようやく事の次第がラウラに伝えられたのは午前三時を過ぎた頃だった。

「陛下には、急なご用がおできになりましたようで……。今宵はおいでになれぬそうです」

 目を合わせないまま言いにくそうに、侍従長が告げてくる。
 嘘のつけない男だと、こんな時なのにラウラは彼に好意を持った。

「わかりました。みなも遅くまでご苦労でした。戻っておやすみなさい」

 立会人の消えた寝室で、ラウラはほっと安堵の息をつく。
 助かった。
 これで今夜はとりあえずこのまま眠れば良いのだ。
 覚悟していたとはいえ、座学で習った閨の事を、他の女と既に済ませた男とするのはどうにも気持ち悪かった。それでも契約なのだと言い聞かせて、我慢して待っていた。
 つまりラウラは悪くない。責められるのは、来なかったシメオンの方なのだ。
 
「姫様、お休みください」

 ラウラの気持ちがわかるらしいオルガも、ほっとした顔で笑って促した。

「温かいミルクでもお持ちいたしましょうか」
「いや、いい。もう寝るわ。安心したから、よく眠れそう」

 そのとおり、ラウラはすぐに眠りに落ちた。



「陛下、ラウラ様……」

 オルガの声で目が覚める。

「国王陛下がおいでになります。急いでお召しかえを」

 寝台脇の時計を見ると、午前十時を少し回っている。訪問されても文句は言えない時間だ。
 オルガによれば、来訪時間は午前11時だというから、後一時間もない。
 飛び起きて入浴を済ませ、着替えを済ませた。

「昨晩のお詫びをと、急いで伺ったのです」

 オルガの淹れたお茶を前に、シメオンは眉を寄せて申し訳なさそうな顔をしている。

「乳母のベキュ伯爵夫人、あなたもお会いになったでしょう? その彼女が昨晩急に、ひどく体調を崩したのです」

 昨夜の侍従長の様子から、だいたいのことは察していた。やはりかと、さして驚きはしない。

「彼女は私の乳母なのです。体の弱かった私を、母の代わりにいつくしんで育ててくれました。他には代えがたい存在なのだと、どうかご理解ください」

 テオとルトの視線に殺気がこもる。
 二人の気持ちはありがたいが、そうまで怒る必要などないのだ。
 
「さようでございましたか」
「やはり怒っておいでですか?」

 薄い青の瞳がうかがうように、ラウラを見上げてくる。まるで怒っていてほしいと、期待しているような表情に見えるのは気のせいか。
 悪いが、本当に怒っていないのだ。呆れているだけで。

「いいえ、怒っておりません」

 さすがに呆れているとは言えないから、前半部分のみ正直な気持ちで答える。嘘ではないから。

「そうですか。では気にしてはいないと? 寛大なお心に感謝しなくてはならないのでしょうが……」

 複雑な心境のようだ。シメオンの美貌であれば、これまでの女は皆、彼に夢中になってきたのだろう。だからこんな風に素っ気なくされることなど、経験がないのかもしれない。

「今宵の夜会でお目にかかりましょう。楽しみにしていますよ」

 気を取り直したように言い残して、シメオンはラウラの部屋を出た。
 カップのお茶は、すっかり冷めきっている。
 手つかずのままだった。
 
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