上 下
6 / 44
第一章 義務と忍耐と決意まで

6.あまりにも予想どおりで

しおりを挟む
 結婚式前のことで、ラウラが通されたのは貴賓室だった。
 荷物をようやく運び終えてほっと息をつく間もなく、その女性はやってきた。片付くのを見計らっていたかのように。
 
「ノルリアンの王女殿下にご挨拶を申し上げます」

 ウラリー・ド・ベキュと名乗ったその人は、濃茶の長い髪を大きくうねらせて腰まで垂らしていた。ほっそりした腰に大きな胸と尻、身体の曲線は見事としか言いようがない。
 黒目がちの大きな瞳でひたとラウラをみつめて、綺麗に唇の端を上げている。
 
 オルガの視線の温度が下がる。護衛のテオはかろうじて不機嫌と呼べるレベルを保っているが、ルトの視線にいたっては氷点下に近い。
 ラウラの許しなく姿勢を直し、あろうことか正面から見据えてくるなど、あってはならない無礼だ。彼らの反応はしごくまともだった。
 ラウラは無表情のまま、ウラリーを観察している。
 国王に礼儀作法を教えた乳母であれば、己の行動が無礼であることなど承知のはずだ。あえてそうする意味はなにか。
 王妃であるラウラより自分の方が上と、示しておきたいのだろう。

 ラウラがなんの反応もしないでいると、ウラリーは口元の微笑をさらに濃くして勝手に続ける。

「わたくしは陛下ご幼少のみぎりよりお世話申し上げてきた者です。王宮の暮らし一切について、おそれおおくも陛下よりわたくしが承っております。なにかご希望がおありでしたら、ご遠慮なくお申しつけくださいませ」

 王宮の暮らしの差配権は最高位の女性が掌握するもので、現在のマラークでいえば王太后がそれにあたる。王太后から任されたというのならまだしも、国王から受けたというあたり、王妃となるラウラへの敵意を隠すつもりもないようだ。
 自分に下ればよし。そうでなければ容赦はしないと、まあそんなところか。

(ばかばかしい)

 最初から政略結婚を承知で嫁いできているのだ。愛妾であるウラリーの存在も承知の上だ。寵を競うつもりなど、これっぽっちもない。むしろ勝手にどうぞと願うばかりなのだから、下手に関わらないでほしい。

「オルガ」
「はい、殿下」
「挨拶大儀と伝えて。それからわたくしは、休みたいので下がれと」

 直接言葉をかけるのも面倒だ。答えればその先、またきっと不毛な問答をしかけてこよう。
 次期の王妃となるラウラなら、国王の乳母であれ愛妾であれ、直答を許さなくても不思議ではない。むしろ下の身分であるウラリーが、ラウラに先んじてあれこれ言ってくること自体が不敬なのだ。
 面倒ごとは避けるに限る。
 ウラリーに一言も与えないで、ラウラはさっさと続きの間に消えた。

 その後、彼女ウラリーがどんな表情をしていたのか、ラウラは知らない。オルガやルト、テオは何も言わなかったし、聞く必要もないと思っていた。
 どうやらかなり怒らせてしまったらしい。
 その証はその夜、わかりやすい形をもってラウラの前に現れた。


「これを……、殿下に召し上がれと?」

 オルガの眉が吊り上がっている。
 夕食のテーブルに並べられた料理。それが原因だ。

 一度に乱雑に並べられた皿も問題外であったが、それよりもだ。載せられた料理の見てくれの方が問題だった。
 ぐちゃぐちゃに崩れている。
 まるでネコか犬が食べ散らかした後のように、ほぼ原型をとどめていないものがそこにある。
 元は鶏の蒸し焼きであったらしきもの、元はスープであったらしきもの、サラダであったらしきもの……。

「お毒見済みのものばかりでございます。殿下には、どうぞ安心してお召し上がりください」

 ずらりと並んだ給仕のメイドの一人、いちばん年かさに見える女性が意地の悪い笑みを浮かべている。
 オルガの眉がさらに吊り上がり、テオやルトの身体から殺気が立ち上り始めたのを、ラウラは視線だけで抑えた。
 兵糧攻めのつもりらしい。
 犬や猫の餌を食べるのが嫌なら、自分に逆らうなということだ。王宮に務める使用人は、皆自分の側の人間だ。おまえに勝ち目はないと。
 いやがらせにももう少し品格を意識すればいいのにと、ため息が出る。
 着いた初日くらいは、王宮の食堂で黙って食べてやろうと思っていたが、我慢してやる義理はない。
 そのまま席を立った。
 

 部屋へ戻るとすぐ、待ちかねたとばかりにテオが口を開く。

「あの女、殺していいですか?」

 右手のこぶしをバシバシと左手にぶつけている。怒りが収まらないらしい。

「俺が行く」

 ぽそりと漏らしたのはルトで、テオのよりも長い手袋をした右の手首を、ぎゅっと左手で掴んでいる。

「バレないように始末してきます」

 本気で言っているから怖い。ラウラを傷つけるものに、ルトは昔から容赦がない。

「いいから、放っておきなさい」

 笑いながらラウラは二人を止めた。

「かえって気が楽になったわ。食堂へ行かなくても良くなったんだから。明日からここで食べましょう」

 そうすれば万が一にでも、国王に会うことはない。挙式当日まで、できるなら会いたくもないのだから、城内をうろつかないに限る。
 けれどそれには、食材の調達や厨房の準備が必要だ。
 貴賓室にいる身、つまり客分扱いの待遇では、厨房への出入りも自由にはならない。
 当面はノルリアンから持ち込んだ非常食でしのぐとして、火を使えないのはいろいろと不自由だ。
 この様子では入浴に使う湯も用意しないつもりかもしれない。

 どうしたものかと庭に目をやって、閃いた。
 ばば様の元で暮らした二十年、いざとなればなんでも一人でできるようにと、掃除洗濯炊事に薪割りまで仕込まれたのが役に立ちそうだ。
 王妃として嫁いでも、いつその地位を失うかもしれない。高い地位にいる者ほど、その危機感を強く持て。ばば様は繰り返しラウラにそう教えてくれた。
 地位を失ってはいないが、生き残るために今、ばば様に教わった技が必要だった。

「庭にかまどを作りましょう」
「そうですね。火は必要でしょう」

 ラウラの発案に、すぐにテオが反応する。

「レンガがあれば簡単なんですが……。この花壇の周りの縁石、使っていいですかって、使うしかないですね」

 さっさと縁石を引っこ抜き始めた。無言でルトも、手伝う。怒っているらしいのは、引っこ抜く速度が速いのでわかる。
 庭師が丹精こめて作った庭を壊すのは申し訳ないが、今は目に美しいことより火を熾すことの方が優先だ。

「風呂の湯まで用意するのであれば、竈はひとつじゃ足りませんね」

 テオがそう言えば、「調理場を制圧するか」とルトは平然と言う。ラウラはオルガと顔を見合わせて笑った。

「物置で生活しなさいと放り出された時のこと、憶えてる? 自分でなんとか暮らしてみせよと、たしか七日だったかしら。ばば様に感謝するわ」

 王宮で暮らす用の上等なドレスは邪魔だった。裾はひらひらしているし、丈は長すぎる。さっさと脱いで、動きやすい普段着に着替えた。コルセットを外すにはオルガの助けが必要だったが、後は一人でできる。これもまた、ばば様にしこまれた王妃サバイバル教育のたまものだ。
 ドレッサーの引き出しから適当なリボンを取り出して、長い髪を束ねる。
 これでずいぶん動きやすくなった。
 

「オルガ、買い出しを頼める? テオはオルガの護衛について行って。荷物持ちもお願い」

 ウラリーの悪意が明確になったからには、今後もなにかと邪魔だてしてくるだろう。例えば飲料水、生活用水、下水処理、新鮮な食糧。
 結婚式当日、ぼろぼろに疲れ果てたラウラが惨めな姿をさらすのを、楽しみに待っているらしい。きっと城から出るのも、戻ってくるのも邪魔をする。
 ここは王太后に頼むしかないか。

「城下へ買い物に出たい。その許可をと、王太后陛下に願い出るわ」

 オルガを使者として送ると、即座に許可は下りた。自分の馬車を使えと、願ってもないオマケ付きで。
 貴賓室での生活ぶりを聞いた王太后は、「さすがエドラ様の薫陶よろしきを得た王女だ」と喜んでいらしたらしい。
 ともあれこれで当面の、挙式までの買い出しルートは確保できた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

人形な美貌の王女様はイケメン騎士団長の花嫁になりたい

青空一夏
恋愛
美貌の王女は騎士団長のハミルトンにずっと恋をしていた。 ところが、父王から60歳を超える皇帝のもとに嫁がされた。 嫁がなければ戦争になると言われたミレはハミルトンに帰ってきたら妻にしてほしいと頼むのだった。 王女がハミルトンのところにもどるためにたてた作戦とは‥‥

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

処理中です...