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第一章 義務と忍耐と決意まで
1.退位の夜
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「退位のご署名を」
夜半、マラーク国王シメオンの執務室。
成人男子が一人、十分に横たわれるほど大きな机の上に、上質な厚紙が一枚置かれている。
白い羽のついたペンを差し出されて、国王シメオンは首を振る。
「いや……だ」
天井まで届く高いアーチ状の窓から、白々と冷たい月の光が射しこんで、シメオンの顔をいっそう青白く染めていた。
すっと通った切れ長の、薄い青の瞳が揺れている。
長い白のまつ毛も小刻みに震えている。
「なぜ私が退位など……」
羽ペンを差し出したまま王妃ラウラは、ため息をつく。
「おそれながら陛下、ことここに至ってそのような問いを口になさる。それこそが退位いただく理由でございます」
夜が明ければ、アングラート侯爵率いる精鋭軍が攻め寄せてくる。王城を護るわずかの近衛騎士では、数分ともつまい。
「アングラート侯の膝下に引き据えられて、毒か署名かと詰められる辱め。陛下は甘んじて受けるとおおせですか?」
はっきり言わねばわからないのならばと、逃げられない未来を見せてやった。途端、ぶるぶるとシメオンの身体が震えだす。
「あ……、あなたはついてきてくださるのでしょう?」
すがりつくような薄い青の瞳に、ラウラは顔色ひとつ変えずに首を振った。
「いいえ、陛下。わたくしは既に陛下の妃ではございませんから」
三年だ。
このセリフを言うためにだけ我慢し続けた三年を思って、ラウラは内心で快哉を叫ぶ。
「嘘だ……」と乾いた声で返すシメオンの前に、婚姻無効証明書をひらりと置いた。
「今、退位宣言書にご署名なさるなら、最後の務めとしてわたくしがアングラート侯爵にお届けいたしましょう。
お選びください、陛下。どちらでも」
がくりと項垂れたシメオンは、ようやくペンを受け取る。
のろのろと署名した。
夜半、マラーク国王シメオンの執務室。
成人男子が一人、十分に横たわれるほど大きな机の上に、上質な厚紙が一枚置かれている。
白い羽のついたペンを差し出されて、国王シメオンは首を振る。
「いや……だ」
天井まで届く高いアーチ状の窓から、白々と冷たい月の光が射しこんで、シメオンの顔をいっそう青白く染めていた。
すっと通った切れ長の、薄い青の瞳が揺れている。
長い白のまつ毛も小刻みに震えている。
「なぜ私が退位など……」
羽ペンを差し出したまま王妃ラウラは、ため息をつく。
「おそれながら陛下、ことここに至ってそのような問いを口になさる。それこそが退位いただく理由でございます」
夜が明ければ、アングラート侯爵率いる精鋭軍が攻め寄せてくる。王城を護るわずかの近衛騎士では、数分ともつまい。
「アングラート侯の膝下に引き据えられて、毒か署名かと詰められる辱め。陛下は甘んじて受けるとおおせですか?」
はっきり言わねばわからないのならばと、逃げられない未来を見せてやった。途端、ぶるぶるとシメオンの身体が震えだす。
「あ……、あなたはついてきてくださるのでしょう?」
すがりつくような薄い青の瞳に、ラウラは顔色ひとつ変えずに首を振った。
「いいえ、陛下。わたくしは既に陛下の妃ではございませんから」
三年だ。
このセリフを言うためにだけ我慢し続けた三年を思って、ラウラは内心で快哉を叫ぶ。
「嘘だ……」と乾いた声で返すシメオンの前に、婚姻無効証明書をひらりと置いた。
「今、退位宣言書にご署名なさるなら、最後の務めとしてわたくしがアングラート侯爵にお届けいたしましょう。
お選びください、陛下。どちらでも」
がくりと項垂れたシメオンは、ようやくペンを受け取る。
のろのろと署名した。
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