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第五章 嵐のその後で
44.この感情は現実だから
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ラーシュはあれから7日経った今も、こんこんと眠り続けている。
その間にリヴシェたちは急いでヴィシェフラドの王宮へ戻った。
たった2日でヴィシェフラド南の港まで着いたのは、ハータイネンの国王が高速船を出してくれたおかげだ。
カビーアのこと、ラーシュのこと、重要なことはラスムスに知らせを飛ばしたが、ラスムスまで前線を離れることはできない。往きと同様の転移魔法を使ってもらうこともできず、馬車での行程を覚悟していたリヴシェには、ハータイネンの厚意は何よりありがたいものだった。
王宮へ戻ってすぐ、カビーア皇子を聖殿の地下に幽閉した。
強力な魔力を持つ者を封印し無力化するための施設だから、この皇子の収監場所としては最適で、様子を見て二コラもここへ移すつもりだ。
ハータイネンに同行した神官が言うには、ラーシュは現在の状況も覚悟していたらしい。自分の意識がなくなった後でも、必ずカビーアを幽閉し、そこに二コラを放り込めと厳しくいいつけていたという。
「わたくしどもがどんなにお止めしても、聞いてはいただけませんでした。ただの人が女神にあれだけの願いをするとき、その代償として何を求められるのか。最も大切なもの、それは命だと考えるのが至極普通のことかと」
まあそうだよなと、リヴシェも頷いた。
すると神官はとても言いにくそうに、次の言葉を何度かためらっている。
「なに? 言いにくいこと?」
「いえ、ラーシュ様の思いの深さをあらためて知ったと申しますか……。
最初はもちろん命をとおっしゃったのですが、女神は人の命は受け取れぬと仰せでした。
もっと大切なものがあるだろうと問いかけられて、ラーシュ様は青い顔をしておいででしたが……」
早く続きを言って。気持ちは焦ったけど、さらに促すのは堪えた。
「陛下がなによりも大切だと。
それならばその未来を賭けよと女神は仰せで、願いは聞き届けられたのです」
ラーシュにとってリヴシェは最も大切なもの。
あらためて聞かされると、胸がぎゅっとしぼられて痛い。
親同士が政略的な思惑で決めた婚約だ。リヴシェもラーシュも共に幼くて、自分たちが将来結婚するのだとは知っていても、愛だ恋だには縁のない友達のような関係だったのに。
ラーシュは違った?
最も大切なものと、いつからそんな風に思ってくれていたのだろう。
囁かれた甘いセリフも態度も、貴公子としてのラーシュの嗜みだと思っていた。
けど違ったのか。
本当だった。本心からラーシュは、リヴシェを愛おしいと思ってくれていた。
だから今、こうして眠ったままでいる。
生きてはいるけど、その青い瞳にリヴシェを映すことはない。リーヴと、優しく呼びかけることも。
そうまでしてカビーア皇子を封じ込めてくれた。
ヴァラートの侵攻は事実上撤退に終わるだろうし、二度と攻め入ってくることはないはずだ。
ヴィシェフラドも大陸諸国もすべて、ラーシュが身体を張って護ってくれた。
そんなこと、リヴシェにはおくびにも出さず。
「ラーシュ、起きて。目を覚まして。ねぇ、覚ましなさい!」
ゆさゆさと身体を揺さぶって、ラーシュの身体に取りすがる。
神官がいつ退出したのか気づきもせず、リヴシェはラーシュの名を呼び続けた。
「ラーシュ、お願いだから。帰ってきて。目を覚まして」
傍にいるのが当たり前で、それがリヴシェの普通になっていた。ハータイネンやセムダール、ノルデンフェルトへ向かった時も、忙しいスケジュールを調整してついてきてくれたし、ヴァラートとの戦の最前線にも当然のようについてきてくれた。
父を幽閉した時もそうだ。
あれこれ煩く構いつけこそしなかったけど、いつもリヴシェが傷つかないように先回りして気配りをしてくれたのもラーシュだった。
今になってわかる。
あれがどれほど心強く安心だったか。
どれほど彼を必要としているのか。
ラーシュを失いそうになって、ようやく気づく。
遅い、遅すぎる。
「君は僕を愛していないから」
二コラに魅了されたラーシュの言葉を思い出すと、後悔で涙が滲んだ。
あれは多分、ラーシュの本音だ。
リヴシェは自分を愛していないと、いつもどこかで思っていた。正気を失ったあの時、日ごろの自制心のタガが外れてそれが零れ落ちた。
あれを言わせたのは、カビーアや二コラのせいだけではない。
リヴシェのせいだ。
愛だの恋だの、そんなのは面倒くさいと本当は怖がって、自分を守ってきただけの臆病な自分のせい。
向けられた愛情をまっすぐに見ないフリ、気づかないフリをしてきたリヴシェ自身の。
「ごめんなさい、ラーシュ。今度はもう逃げないから。きっと真面目に受け止めるから。
だから目を覚まして。帰ってきて。お願い」
横たわったままのラーシュは、精緻な細工ものの蝋人形のようだ。綺麗に揃った金色のまつ毛、通った鼻筋、薄いけれど大きくて形の良い唇も、すべてがラーシュそのものなのに、まるで反応がない。
ただすうすうと軽い呼吸を繰り返しているから、ようやく生きているのだとはわかるけど。
もう、このまま目覚めないのではないか。
そう思うと、ぞくりと寒気がした。
怖い。
「あ……愛してるのよ、ラーシュ。お願いだから、戻ってきて」
言葉にして、ようやく気づいた。
見ないフリをしてきた、自分の胸の奥にある思いに。
この世界の現実を生きる一人の人間として、リヴシェはラーシュを愛している。
こんな単純なこと、どうして認めないで来たのだろう。
後悔の涙がぼろぼろとこぼれて、両手で握りしめたラーシュの左手を濡らす。
「そ……れ、本当?」
かすれた声。
はっと顔を上げて、夢かと思う。
海の色をした青の瞳が、じれじれと焦がれるような表情でリヴシェを見つめていた。
その間にリヴシェたちは急いでヴィシェフラドの王宮へ戻った。
たった2日でヴィシェフラド南の港まで着いたのは、ハータイネンの国王が高速船を出してくれたおかげだ。
カビーアのこと、ラーシュのこと、重要なことはラスムスに知らせを飛ばしたが、ラスムスまで前線を離れることはできない。往きと同様の転移魔法を使ってもらうこともできず、馬車での行程を覚悟していたリヴシェには、ハータイネンの厚意は何よりありがたいものだった。
王宮へ戻ってすぐ、カビーア皇子を聖殿の地下に幽閉した。
強力な魔力を持つ者を封印し無力化するための施設だから、この皇子の収監場所としては最適で、様子を見て二コラもここへ移すつもりだ。
ハータイネンに同行した神官が言うには、ラーシュは現在の状況も覚悟していたらしい。自分の意識がなくなった後でも、必ずカビーアを幽閉し、そこに二コラを放り込めと厳しくいいつけていたという。
「わたくしどもがどんなにお止めしても、聞いてはいただけませんでした。ただの人が女神にあれだけの願いをするとき、その代償として何を求められるのか。最も大切なもの、それは命だと考えるのが至極普通のことかと」
まあそうだよなと、リヴシェも頷いた。
すると神官はとても言いにくそうに、次の言葉を何度かためらっている。
「なに? 言いにくいこと?」
「いえ、ラーシュ様の思いの深さをあらためて知ったと申しますか……。
最初はもちろん命をとおっしゃったのですが、女神は人の命は受け取れぬと仰せでした。
もっと大切なものがあるだろうと問いかけられて、ラーシュ様は青い顔をしておいででしたが……」
早く続きを言って。気持ちは焦ったけど、さらに促すのは堪えた。
「陛下がなによりも大切だと。
それならばその未来を賭けよと女神は仰せで、願いは聞き届けられたのです」
ラーシュにとってリヴシェは最も大切なもの。
あらためて聞かされると、胸がぎゅっとしぼられて痛い。
親同士が政略的な思惑で決めた婚約だ。リヴシェもラーシュも共に幼くて、自分たちが将来結婚するのだとは知っていても、愛だ恋だには縁のない友達のような関係だったのに。
ラーシュは違った?
最も大切なものと、いつからそんな風に思ってくれていたのだろう。
囁かれた甘いセリフも態度も、貴公子としてのラーシュの嗜みだと思っていた。
けど違ったのか。
本当だった。本心からラーシュは、リヴシェを愛おしいと思ってくれていた。
だから今、こうして眠ったままでいる。
生きてはいるけど、その青い瞳にリヴシェを映すことはない。リーヴと、優しく呼びかけることも。
そうまでしてカビーア皇子を封じ込めてくれた。
ヴァラートの侵攻は事実上撤退に終わるだろうし、二度と攻め入ってくることはないはずだ。
ヴィシェフラドも大陸諸国もすべて、ラーシュが身体を張って護ってくれた。
そんなこと、リヴシェにはおくびにも出さず。
「ラーシュ、起きて。目を覚まして。ねぇ、覚ましなさい!」
ゆさゆさと身体を揺さぶって、ラーシュの身体に取りすがる。
神官がいつ退出したのか気づきもせず、リヴシェはラーシュの名を呼び続けた。
「ラーシュ、お願いだから。帰ってきて。目を覚まして」
傍にいるのが当たり前で、それがリヴシェの普通になっていた。ハータイネンやセムダール、ノルデンフェルトへ向かった時も、忙しいスケジュールを調整してついてきてくれたし、ヴァラートとの戦の最前線にも当然のようについてきてくれた。
父を幽閉した時もそうだ。
あれこれ煩く構いつけこそしなかったけど、いつもリヴシェが傷つかないように先回りして気配りをしてくれたのもラーシュだった。
今になってわかる。
あれがどれほど心強く安心だったか。
どれほど彼を必要としているのか。
ラーシュを失いそうになって、ようやく気づく。
遅い、遅すぎる。
「君は僕を愛していないから」
二コラに魅了されたラーシュの言葉を思い出すと、後悔で涙が滲んだ。
あれは多分、ラーシュの本音だ。
リヴシェは自分を愛していないと、いつもどこかで思っていた。正気を失ったあの時、日ごろの自制心のタガが外れてそれが零れ落ちた。
あれを言わせたのは、カビーアや二コラのせいだけではない。
リヴシェのせいだ。
愛だの恋だの、そんなのは面倒くさいと本当は怖がって、自分を守ってきただけの臆病な自分のせい。
向けられた愛情をまっすぐに見ないフリ、気づかないフリをしてきたリヴシェ自身の。
「ごめんなさい、ラーシュ。今度はもう逃げないから。きっと真面目に受け止めるから。
だから目を覚まして。帰ってきて。お願い」
横たわったままのラーシュは、精緻な細工ものの蝋人形のようだ。綺麗に揃った金色のまつ毛、通った鼻筋、薄いけれど大きくて形の良い唇も、すべてがラーシュそのものなのに、まるで反応がない。
ただすうすうと軽い呼吸を繰り返しているから、ようやく生きているのだとはわかるけど。
もう、このまま目覚めないのではないか。
そう思うと、ぞくりと寒気がした。
怖い。
「あ……愛してるのよ、ラーシュ。お願いだから、戻ってきて」
言葉にして、ようやく気づいた。
見ないフリをしてきた、自分の胸の奥にある思いに。
この世界の現実を生きる一人の人間として、リヴシェはラーシュを愛している。
こんな単純なこと、どうして認めないで来たのだろう。
後悔の涙がぼろぼろとこぼれて、両手で握りしめたラーシュの左手を濡らす。
「そ……れ、本当?」
かすれた声。
はっと顔を上げて、夢かと思う。
海の色をした青の瞳が、じれじれと焦がれるような表情でリヴシェを見つめていた。
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