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第四章 嵐の最中

41.聖女は仕事をする

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 ラスムスの転移術はさすがに強力で、リヴシェとラーシュ、ラチェスの精鋭騎士10名、それに聖殿神官3名をハータイネン神殿に跳ばしてくれた。

「聖女様! お待ちしておりました。本当によく来てくださいました」

 ハータイネンの神官長が、泣きながらリヴシェの手に縋りついてくる。
 くるりと見渡せば、広間という広間には力なく横たわった人々の姿があって、看病しているらしい神官たちもふらふらよろけている。

「この病、どうも大人の方が酷くなるのです。幼い子供は7日もすれば落ち着くようなのですが」

 次席の神官が現在の状況を説明してくれる。
 やはりそうか。多分、水疱瘡。
 でもそれを口にするのは控えた。リヴシェは医師ではない。医学も薬学もまるで門外漢で、かろうじてあるのは前世、職場で健康管理センターからのお知らせメールをわりと真面目に読んでいたからその知識と、後はやはり前世の母から聞いたことくらいだ。

「赤いぶつぶつに全部瘡蓋かさぶたができて、お医者様が良いよっておっしゃったら、お外に出ても良いよ」

 5歳下の妹が水疱瘡にかかった時、確か母はそんなことを言っていたと思う。
 水疱瘡は感染力が強いので、発症したらとにかく自宅で大人しくさせておかないとダメだって。
 前世のリヴシェも確か5歳くらいの時に罹った覚えがあるから、多分免疫はあるんだろう。二度三度かかることもあるから、完全に安心とは言えないけど。

 潜伏期間にあってまだ無症状の人もいるだろうから、発症した人だけを治療してもダメだ。
 すっごく力を使うけど、ハータイネン全土に力をいきわたらせるのが最適解だと思う。

「倒れたら、後はお願いね」

 ラーシュにそう言って、神殿中央で跪いた。
 こういう時のポーズって、自然に指を組んで祈りの姿勢になるんだけど、別にこうしなければダメという決まりがあるわけではない。女神に力を貸してくださいとお願いするのだから、やっぱり「お願い=祈り」かなと、このポーズになってしまうだけだ。
 
 白い光がいつもより強い。
 ぱぁっと、まるで工事現場の照明のような強い光が辺りを白く染めて、急速に拡がっていく。
 空を染め海を染め、山や草地や森を染めて、銀の粒がキラキラと降る。
 人々は空を見上げ、その銀の粒を両手に受けて感嘆の息を漏らした。

(多分国境まで届いてるはず)

 エンプティランプがチカチカとしてるみたいだ。力を根こそぎもってゆかれたようで、体幹が頼りない。いますぐ眠ってしまいたい感じだ。

「治ってる……。斑点も瘡蓋かさぶたもなんにもない」

 神殿広間に寝かされていた人々の声が、最初はぽつぽつと、次第に重なって上がり、聖殿中が女神ヴィシェフラドを褒めたたえる声で溢れた。

「女神ヴィシェフラドの奇跡だ!」

「女神が我らをお助けくださった」

 ヴィシェフラドから同行した神官たちはとても得意そうで、ハータイネンの神官たちはただただ泣きむせんでいる。
 良かったと、リヴシェはほっとする。
 女神の寵力があるのはもちろん知っているけど、いざとなったら効かないかもしれない。こんな大がかりなの、初めてだったし。
 もし効かなかったら、医学や薬学の知識のないリヴシェには、どうすることもできない。
 ほんっとにファンタジー小説設定ありがとうだ。



 
「聖女様には、甘いものがお好みと記憶しております」

 一段落した後、神殿客間に通されたリヴシェとラーシュ一行には、北の大陸から輸入した超レアものの紅茶が供されていた。
 希少な牛の乳で作ったバターをふんだんに使った焼き菓子、生クリームの飾られたケーキやタルトも一緒に。
 前に訪問した際、リヴシェが好んで口にしたものが、ずらりと並んでいる。

 いつもならすぐにでも手を出す。間違いない。
 けどさすがにエンプティランプがチカチカしている今は、お菓子やお茶よりベッドが恋しい。
 青い顔をして言葉少なでいるリヴシェに代わって、ラーシュが神官の相手をしてくれる。

「お気遣い、いたみいります。
 そしてハータイネンに元の平穏が戻りましたこと、お喜び申し上げます」

(戦の最中に女王を呼びだしたんだよ。それに応じたヴィシェフラドの寛容、わかってるよね)

 そう聞こえたのは、リヴシェだけじゃないだろう。
 極上の微笑を外交の場で見せる時、ラーシュの声は副音声付になると思う。

「さて今後のことですが、事態の収束を確認して後、急ぎ国へ戻るつもりでおります。
 治療法や予防については、ノルデンフェルト皇帝より任せよとお言葉を賜りましたので、どうぞご安心を」

 事態がとりあえず落ち着く、その確認がなにより優先。だから王宮へのご挨拶をご遠慮したいと、ラーシュはすらすらと並べてくれた。
 助かる。
 でも叶うだろうか。
 これが逆の立場であったなら、リヴシェだってはるばる来てくれた聖女を歓待しないではいられない。国1つまるごとお世話になったのに、それを歓待しないようなことをしたら、周りが黙っていないだろう。

「そ……それだけは、どうか。お察しください。
 国王陛下より、必ずお礼のパーティにはおいでいただくようにと、厳しく申しつけられております」

 まあそうだろうな。こっそりとため息をつきながら、仕方ないとあきらめる。

「わかりました。喜んでご招待をお受けいたしますわ」

 とにかく早く眠りたい。
 行くから、だから早く解放して。
 思いが通じたのか、それでやっと神官たちは帰ってくれた。



 翌朝、目を覚ますと既に太陽は中天にあった。
 昼過ぎ? 少なくとも朝ではない。
 だいたい朝6時には目が覚めるのに、よほど疲れていたらしい。
 うーっと声を出しながら伸びをすると、気配に気づいたらしいラーシュが続きの間から声をかけてくる。

「目がさめたの?」

 入って良いかと聞かれて、慌てる。
 昨夜はものすっごく疲れていて、お風呂にも入っていない。
 そういえばと気づいて見下ろすと、着替えは済ませている。
 誰が着替えさせてくれたんだろう。
 王族なら着替えに他人の手を借りるなんて当たり前なんだろうけど、前世の庶民感覚が根っこにあるリヴシェには、どうにも恥ずかしい。

「どうしたの?」

 返事をしないリヴシェを心配したのか、もう一度声がかかって観念する。

「いいわ」

 手で撫でつけただけの髪には、多分そんなひどい寝ぐせはついていないと信じたかった。



「今夜、王宮へ招かれてる。
 しんどいだろうけど、行くって言っちゃったんだから。
 夕方迎えの馬車が来るって。仕度してね」

 口調こそ元のとおりっぽいけど、ラーシュは前より笑うことが少なくなった。
 こんな事務的な連絡でも、前なら時々冗談を交えながら微笑んでくれていたのに。まだあの夜の魅了を引きずっているんだと思う。

「今夜は絶対に、僕の傍から離れちゃダメだよ。
 あの男、狙うとしたらきっと今夜だから」

 夕方、すっかり日が沈んで夜になろうかという時刻に、王宮から迎えの馬車が来た。
 白い騎士服で盛装したラーシュは最高に美しい貴公子だったけど、その表情はどこかほの暗く怖ろしい。
 リヴシェにもわかっている。
 多分月の皇子カビーアは来る。
 何が起こるのか、それもなんとなく。
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