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第三章 暗雲
27.父は最初からいなかった
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夜半、国王は寝所で捕らえられた。
表面上は「別室へお移りいただいた」ことになっているが、捕らえられ幽閉されたのが本当のところだ。
現在、王宮の外れにある塔の最上階に閉じ込められている。
国王の幽閉劇は、ラチェスの精鋭騎士団によるものだった。
彼らの無駄のない素早い動きに誰も手出しできなかったのは事実だが、手出しできなかったというより出さなかったという方が事実に近い。
国王を護るべき近衛の騎士は、彼らの邪魔をしなかった。
そして連行される本人である国王でさえ、驚いてはいたが抵抗はしなかったらしい。
かくして無血の幽閉劇は完了した。
たった一晩のうちに、王権はリヴシェに移った。
突然の国王退位に騒然とする王宮を、王妃とラチェス公爵家が取りしきった。
新国王としてリヴシェが立つ。
ヴァラートの脅威が迫る中でもあり、盛大な戴冠式は省かれて形ばかりの式が行われた。
「リヴシェ女王即位を公表する。
できるだけ派手にね」
女王の婚約者であるラーシュは、既に王配の権限を女王から与えられていた。
平時であれば女王の前に出ることはできない王配だが、今は非常時だ。
王宮と聖殿しか知らないリヴシェより、ラーシュの方が見識が広いだけ即戦力になる。
「先王陛下には、ご不自由のないように。
塔内およびその敷地からお出にならない限り、ご自由にさせて差し上げるよう」
行き届いた配慮だ。
リヴシェは感心するしかない。
父を退位させると決めたあの夜、ラーシュはすぐさまラチェス公爵家を動かしてくれた。
どうやらラチェスの実権も、ラーシュが手中に収めているようだ。
「会ってくるかい?」
父が幽閉されて2日後、ラーシュは心配そうに眉を下げて聞いた。
的確な指示を飛ばし続ける颯爽とした姿との落差がおかしかったけど、リヴシェにだけ向けられるその表情が嬉しい。
「会ってくる」
国王としてはホントにだめな人だったけど、父は父だ。幽閉された先での様子が気になった。
近衛の騎士に護られて塔へ入る。
清潔に整えられた部屋には、さんさんと日が差し込んでいて。
部屋の最奥に置かれた揺り椅子に、ぼんやり窓の外を眺める父がいた。
「お父様」
「リーヴか、どうした。
忙しいのだろうに」
ゆっくりと顔を向けた父は、思いの他憔悴した様子もない。
リヴシェはどこかでほっとしていた。
強行手段をとったことに後悔はない。ああしなければ、この父は自分から退位するとは言わなかっただろうから。
でもほんの少しだけ、仮にも父親に酷いことをしたと、心に痛みがないわけではない。
「ご不自由はありませんか?」
「いいや、皆よくしてくれてるよ」
嫌味でも怒った風でもない。
本当にそう思っているんだろう。
「ありがとう、リーヴ」
黒い髪、菫色の瞳。
自分のパーツと同じ色をその人に見つけて、ああやはり父なんだとリヴシェが思っていると、突然不意打ちをくらった。
「二コラは何か言ってきてやしないか?
あれの母からも。
慣れない異国暮らしだから、さぞ不自由なことだろう」
この人は。
最も気にかかるのは、二コラとあの人のことなの?
「リーヴ、あれらのことを頼むよ。
何か言ってきたら、いや言って来なくとも、不自由のないように気遣ってやってほしい」
なんだろう。この腹立たしさは。
二コラやあの人を側に侍らせて、リヴシェと母を遠ざけてきた父に、娘らしい期待などとうに捨てたと思っていたのに。
黙ったままのリヴシェに、父は無邪気なまでに鈍感だ。
「二コラの母には、悪いことをした。身を護るだけの地位を与えてやれなかったからね。
二コラも同じだ。私の娘なのに、王女と呼ばれることもなくて。
本当にかわいそうなことをしたよ」
「お……母様は……、わたくしはかわいそうではなかったのですか?」
声が掠れた。
「え……」
父はきょとんとしている。よほど意外な問いかけだったのだろう。
「リーヴは王女だし、王妃は王妃だろう。
どうしてかわいそうなんだい」
怒っても無駄。よけいに情けなくなるだけだ。
この人には、リヴシェや母に対する愛情はない。
わかってはいたけど、こうも露骨に示されるとけっこう堪えるものだ。
小説の中のリヴシェが、二コラを執拗に虐めた理由が今のリヴシェにはよくわかる。
早くに母を失って、生きてこそいるが父はいないも同然で、その人がリヴシェに向けられることのない愛情を、ただひたすら二コラに注ぎ続けるのを目の前にして。
婚約者の心を奪われ、寵力まで発現するとあっては救われようがない。
リヴシェの悲しみは、どれだけ深かっただろう。
それを思えば、今のリヴシェはまだ幸せだ。
母は生きていて、リヴシェを愛してくれている。婚約者のラーシュも、今のところリヴシェの味方だ。
ラチェスの伯父もヴィシェフラドの臣下も、リヴシェに敬意をもって接してくれている。
もう良い。
リヴシェには父はいない。最初からいなかった。
血のつながりのある男はいたけど、ただそれだけだ。親ではない。
親だと思うから、期待してしまう。二コラにばかり愛情を注ぐとか、母を蔑ろにして他の女を側におくとか、傷ついたりもする。
目の前にいるこの人は、血のつながりのある他人だ。
事実を正面から見据えれば、きっと楽になる。
「お父様。そうお呼びするのは、今日で最後にいたします。
そしてお目にかかるのも、これが最後です。
お父様のお身のまわりのことだけは、ご不自由のないようによくよく言いつけておきますので、どうかお心安らかにお過ごしくださいませ」
他人を見るよりも冷たい表情を、リヴシェは意識して作った。
もう会わない。父とも呼ばない。
あえて言葉にしたのは、自分に言い聞かせるためでもある。
「なっ……。私だけって、二コラは?
おまえのいも……」
妹と言いかけた父を、リヴシェは遮ってかぶせた。
「あなたは、系譜上わたくしの父です。
ですから義務として、お世話はいたします。
けれどそれ以外は、わたくしに関わりのないことですから」
もう父と呼ぶことはない。
いなくなった娘とあの女性を懐かしんで、一生過ごすと良い。
好きにすれば良い。
リヴシェはもう、この男になんの期待もしないと決めた。
扉を閉めて長い長い階段を下りてゆく。
どうしてだろう。勝手に涙があふれてくる。
近衛の騎士はラーシュの言いつけで下げられていたから、安心して泣けた。
ひくひくとしゃくりあげ、胸につかえた黒い滓を滂沱の涙で洗い流した。
騎士の待つ階段下へ着くまでに、涙は止める。
かつて父と呼んだ男のことは、今日限りきれいに忘れるのだから。
表面上は「別室へお移りいただいた」ことになっているが、捕らえられ幽閉されたのが本当のところだ。
現在、王宮の外れにある塔の最上階に閉じ込められている。
国王の幽閉劇は、ラチェスの精鋭騎士団によるものだった。
彼らの無駄のない素早い動きに誰も手出しできなかったのは事実だが、手出しできなかったというより出さなかったという方が事実に近い。
国王を護るべき近衛の騎士は、彼らの邪魔をしなかった。
そして連行される本人である国王でさえ、驚いてはいたが抵抗はしなかったらしい。
かくして無血の幽閉劇は完了した。
たった一晩のうちに、王権はリヴシェに移った。
突然の国王退位に騒然とする王宮を、王妃とラチェス公爵家が取りしきった。
新国王としてリヴシェが立つ。
ヴァラートの脅威が迫る中でもあり、盛大な戴冠式は省かれて形ばかりの式が行われた。
「リヴシェ女王即位を公表する。
できるだけ派手にね」
女王の婚約者であるラーシュは、既に王配の権限を女王から与えられていた。
平時であれば女王の前に出ることはできない王配だが、今は非常時だ。
王宮と聖殿しか知らないリヴシェより、ラーシュの方が見識が広いだけ即戦力になる。
「先王陛下には、ご不自由のないように。
塔内およびその敷地からお出にならない限り、ご自由にさせて差し上げるよう」
行き届いた配慮だ。
リヴシェは感心するしかない。
父を退位させると決めたあの夜、ラーシュはすぐさまラチェス公爵家を動かしてくれた。
どうやらラチェスの実権も、ラーシュが手中に収めているようだ。
「会ってくるかい?」
父が幽閉されて2日後、ラーシュは心配そうに眉を下げて聞いた。
的確な指示を飛ばし続ける颯爽とした姿との落差がおかしかったけど、リヴシェにだけ向けられるその表情が嬉しい。
「会ってくる」
国王としてはホントにだめな人だったけど、父は父だ。幽閉された先での様子が気になった。
近衛の騎士に護られて塔へ入る。
清潔に整えられた部屋には、さんさんと日が差し込んでいて。
部屋の最奥に置かれた揺り椅子に、ぼんやり窓の外を眺める父がいた。
「お父様」
「リーヴか、どうした。
忙しいのだろうに」
ゆっくりと顔を向けた父は、思いの他憔悴した様子もない。
リヴシェはどこかでほっとしていた。
強行手段をとったことに後悔はない。ああしなければ、この父は自分から退位するとは言わなかっただろうから。
でもほんの少しだけ、仮にも父親に酷いことをしたと、心に痛みがないわけではない。
「ご不自由はありませんか?」
「いいや、皆よくしてくれてるよ」
嫌味でも怒った風でもない。
本当にそう思っているんだろう。
「ありがとう、リーヴ」
黒い髪、菫色の瞳。
自分のパーツと同じ色をその人に見つけて、ああやはり父なんだとリヴシェが思っていると、突然不意打ちをくらった。
「二コラは何か言ってきてやしないか?
あれの母からも。
慣れない異国暮らしだから、さぞ不自由なことだろう」
この人は。
最も気にかかるのは、二コラとあの人のことなの?
「リーヴ、あれらのことを頼むよ。
何か言ってきたら、いや言って来なくとも、不自由のないように気遣ってやってほしい」
なんだろう。この腹立たしさは。
二コラやあの人を側に侍らせて、リヴシェと母を遠ざけてきた父に、娘らしい期待などとうに捨てたと思っていたのに。
黙ったままのリヴシェに、父は無邪気なまでに鈍感だ。
「二コラの母には、悪いことをした。身を護るだけの地位を与えてやれなかったからね。
二コラも同じだ。私の娘なのに、王女と呼ばれることもなくて。
本当にかわいそうなことをしたよ」
「お……母様は……、わたくしはかわいそうではなかったのですか?」
声が掠れた。
「え……」
父はきょとんとしている。よほど意外な問いかけだったのだろう。
「リーヴは王女だし、王妃は王妃だろう。
どうしてかわいそうなんだい」
怒っても無駄。よけいに情けなくなるだけだ。
この人には、リヴシェや母に対する愛情はない。
わかってはいたけど、こうも露骨に示されるとけっこう堪えるものだ。
小説の中のリヴシェが、二コラを執拗に虐めた理由が今のリヴシェにはよくわかる。
早くに母を失って、生きてこそいるが父はいないも同然で、その人がリヴシェに向けられることのない愛情を、ただひたすら二コラに注ぎ続けるのを目の前にして。
婚約者の心を奪われ、寵力まで発現するとあっては救われようがない。
リヴシェの悲しみは、どれだけ深かっただろう。
それを思えば、今のリヴシェはまだ幸せだ。
母は生きていて、リヴシェを愛してくれている。婚約者のラーシュも、今のところリヴシェの味方だ。
ラチェスの伯父もヴィシェフラドの臣下も、リヴシェに敬意をもって接してくれている。
もう良い。
リヴシェには父はいない。最初からいなかった。
血のつながりのある男はいたけど、ただそれだけだ。親ではない。
親だと思うから、期待してしまう。二コラにばかり愛情を注ぐとか、母を蔑ろにして他の女を側におくとか、傷ついたりもする。
目の前にいるこの人は、血のつながりのある他人だ。
事実を正面から見据えれば、きっと楽になる。
「お父様。そうお呼びするのは、今日で最後にいたします。
そしてお目にかかるのも、これが最後です。
お父様のお身のまわりのことだけは、ご不自由のないようによくよく言いつけておきますので、どうかお心安らかにお過ごしくださいませ」
他人を見るよりも冷たい表情を、リヴシェは意識して作った。
もう会わない。父とも呼ばない。
あえて言葉にしたのは、自分に言い聞かせるためでもある。
「なっ……。私だけって、二コラは?
おまえのいも……」
妹と言いかけた父を、リヴシェは遮ってかぶせた。
「あなたは、系譜上わたくしの父です。
ですから義務として、お世話はいたします。
けれどそれ以外は、わたくしに関わりのないことですから」
もう父と呼ぶことはない。
いなくなった娘とあの女性を懐かしんで、一生過ごすと良い。
好きにすれば良い。
リヴシェはもう、この男になんの期待もしないと決めた。
扉を閉めて長い長い階段を下りてゆく。
どうしてだろう。勝手に涙があふれてくる。
近衛の騎士はラーシュの言いつけで下げられていたから、安心して泣けた。
ひくひくとしゃくりあげ、胸につかえた黒い滓を滂沱の涙で洗い流した。
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