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第一章
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それは伊織が小学三年生になったばかりのことだった。
おばあちゃんは伊織にせがまれ、授業参観に出席することになった。参観日当日、教室には若い父兄ばかりいて、おばあちゃんの居心地はすこぶる悪かったらしい。それでも伊織は、おばあちゃんが学校に来てくれたことをとても喜んでくれたのだという。
しかし、事件は授業中に起きた。ある男子生徒が、伊織のことを馬鹿にし始めたのだ。その男子は、クラスの友達は皆両親のどちらかが出席しているのに、何でお前のところはばあちゃんなんだよ、というようなことで伊織を揶揄した。小さな火種は瞬く間に教室内に広がり、後ろに立っている父兄も伊織とおばあちゃんを見てこそこそと話していた。
孫に辛い思いをさせたくなかったおばあちゃんは、伊織を連れて教室を出ようとした。そこで思わぬ事態が起きた。
突然立ち上がった伊織は、担任が黒板に書いた十個の問題のうち一問だけを残し、残り九問すべてを鮮やかに解いたのだ。そして先ほど自分のことを揶揄した男子のところに行き、こう言った。
――私やおばあちゃんを馬鹿にするのなら、こんな問題だって簡単に解けるんでしょうね?
クラスが静寂に包まれた。担任も新任だったようで、今の状況を終息させることができずに固唾を呑んで伊織の行動を見入っていた。
皆の注目を集めたその男子は、ゆっくりと立ち上がり、版書してある最後の一問を解こうとチョークを持った。しかし彼は教壇に立ったまま微動だにせず、終いには足を震えさせながら先生に、分かりません、と言って席に戻された。
伊織の反撃はそこで終わらなかった。彼女はこの機を逃すまいと、再び彼に牙をむいた。
――よくもまあその悪い頭で、私やおばあちゃんのことを馬鹿にできたわね。あなたがどれだけ恵まれているか知らないけど、私はあなたに負けることはないでしょうね。きっと、これから先もずっと。
周囲から奇異の目で見られていた伊織は、誰もが目を伏せてしまいたくなるような絶望的な状況で起死回生の一手を打ち、目障りだった男子を断罪したのだ。
それから伊織は、勉強以外でも誰もがやりたがらなかった飼育小屋の掃除や、学級委員などを率先して行い、強いものに対抗し弱いものに手を差し伸べた。彼女がクラス内で絶対的な地位を確立せるのにそう時間は必要なかった。
おばあちゃんの話を聞いて、現在の確立された彼女のキャラクターの片鱗を垣間見た気がした。同時に、そんなに幼い頃からおばあちゃんと二人暮らしをしていたということに疑問を感じた。でも、おばあちゃんにそのことは言わなかった。なんとなく、聞いてはいけないような気がしたのだ。
味噌を団子状にし終えると、それをひとつずつパッキンが付いている袋に入れた。空気の層ができるとカビが発生する原因になるので、隙間ができないよう押しつぶしながら、袋に塗り固めるように入れなければならない。団子の味噌をすべて入れ終わったら袋から空気を抜き、パッキンを絞めて作業終了だ。
「やっと完成ですね」
額の汗を拭いながら言うと、おばあちゃんが、完成は最低でも半年後だよ、と言った。
「そんなに待たないといけないんですか?」
「発酵させないといけないからね」
袋に入れた味噌は冷蔵庫に入れず、人と一緒の生活圏内に置いておかないといけないそうだ。時間が経つと徐々に水分が出てくるので、袋をずっと置きっぱなしにせず、こまめにひっくり返してその水分を味噌全体に浸透させなければならない。発酵が進むと袋が膨らんでくるので、空気を抜いてカビの発生を防止する必要があるのだ。
「勉強になりました。ありがとうございました」
「こちらこそ、手伝ってくれてありがとうね。休憩しましょうか」
その後僕らは居間でスイカを食べた。スイカはよく冷えており、一口かじるとみずみずしい食感と、夏を実感させる甘さが口の中に広がった。
一仕事終えた後ということもあり、僕は他人の家だということも忘れて夢中でスイカを食べた。三つ目のスイカを取ろうとした時、おばあちゃんの視線を感じ我に返った。
「すいません。こんなに食べちゃって」
おばあちゃんは優しく笑いながら、いいのよ、と言った。
「伊織ちゃんもね、スイカを食べる時は夢中になって食べるの」
僕は伊織がスイカを食べている場面を想像した。伊織のことだ。自分の分だけでは満足できず、おばあちゃんの分まで食べてしまうのだろう。僕は何度も彼女に、自分が食べたり飲むはずだったものを盗られている。
おばあちゃんは伊織にせがまれ、授業参観に出席することになった。参観日当日、教室には若い父兄ばかりいて、おばあちゃんの居心地はすこぶる悪かったらしい。それでも伊織は、おばあちゃんが学校に来てくれたことをとても喜んでくれたのだという。
しかし、事件は授業中に起きた。ある男子生徒が、伊織のことを馬鹿にし始めたのだ。その男子は、クラスの友達は皆両親のどちらかが出席しているのに、何でお前のところはばあちゃんなんだよ、というようなことで伊織を揶揄した。小さな火種は瞬く間に教室内に広がり、後ろに立っている父兄も伊織とおばあちゃんを見てこそこそと話していた。
孫に辛い思いをさせたくなかったおばあちゃんは、伊織を連れて教室を出ようとした。そこで思わぬ事態が起きた。
突然立ち上がった伊織は、担任が黒板に書いた十個の問題のうち一問だけを残し、残り九問すべてを鮮やかに解いたのだ。そして先ほど自分のことを揶揄した男子のところに行き、こう言った。
――私やおばあちゃんを馬鹿にするのなら、こんな問題だって簡単に解けるんでしょうね?
クラスが静寂に包まれた。担任も新任だったようで、今の状況を終息させることができずに固唾を呑んで伊織の行動を見入っていた。
皆の注目を集めたその男子は、ゆっくりと立ち上がり、版書してある最後の一問を解こうとチョークを持った。しかし彼は教壇に立ったまま微動だにせず、終いには足を震えさせながら先生に、分かりません、と言って席に戻された。
伊織の反撃はそこで終わらなかった。彼女はこの機を逃すまいと、再び彼に牙をむいた。
――よくもまあその悪い頭で、私やおばあちゃんのことを馬鹿にできたわね。あなたがどれだけ恵まれているか知らないけど、私はあなたに負けることはないでしょうね。きっと、これから先もずっと。
周囲から奇異の目で見られていた伊織は、誰もが目を伏せてしまいたくなるような絶望的な状況で起死回生の一手を打ち、目障りだった男子を断罪したのだ。
それから伊織は、勉強以外でも誰もがやりたがらなかった飼育小屋の掃除や、学級委員などを率先して行い、強いものに対抗し弱いものに手を差し伸べた。彼女がクラス内で絶対的な地位を確立せるのにそう時間は必要なかった。
おばあちゃんの話を聞いて、現在の確立された彼女のキャラクターの片鱗を垣間見た気がした。同時に、そんなに幼い頃からおばあちゃんと二人暮らしをしていたということに疑問を感じた。でも、おばあちゃんにそのことは言わなかった。なんとなく、聞いてはいけないような気がしたのだ。
味噌を団子状にし終えると、それをひとつずつパッキンが付いている袋に入れた。空気の層ができるとカビが発生する原因になるので、隙間ができないよう押しつぶしながら、袋に塗り固めるように入れなければならない。団子の味噌をすべて入れ終わったら袋から空気を抜き、パッキンを絞めて作業終了だ。
「やっと完成ですね」
額の汗を拭いながら言うと、おばあちゃんが、完成は最低でも半年後だよ、と言った。
「そんなに待たないといけないんですか?」
「発酵させないといけないからね」
袋に入れた味噌は冷蔵庫に入れず、人と一緒の生活圏内に置いておかないといけないそうだ。時間が経つと徐々に水分が出てくるので、袋をずっと置きっぱなしにせず、こまめにひっくり返してその水分を味噌全体に浸透させなければならない。発酵が進むと袋が膨らんでくるので、空気を抜いてカビの発生を防止する必要があるのだ。
「勉強になりました。ありがとうございました」
「こちらこそ、手伝ってくれてありがとうね。休憩しましょうか」
その後僕らは居間でスイカを食べた。スイカはよく冷えており、一口かじるとみずみずしい食感と、夏を実感させる甘さが口の中に広がった。
一仕事終えた後ということもあり、僕は他人の家だということも忘れて夢中でスイカを食べた。三つ目のスイカを取ろうとした時、おばあちゃんの視線を感じ我に返った。
「すいません。こんなに食べちゃって」
おばあちゃんは優しく笑いながら、いいのよ、と言った。
「伊織ちゃんもね、スイカを食べる時は夢中になって食べるの」
僕は伊織がスイカを食べている場面を想像した。伊織のことだ。自分の分だけでは満足できず、おばあちゃんの分まで食べてしまうのだろう。僕は何度も彼女に、自分が食べたり飲むはずだったものを盗られている。
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