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第一章
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片山さんに挨拶をして病院を出た時は、もう夕方だった。
帰り際、カタクリコは早く伊織と仲直りするようにと釘を刺してきた。いつから僕らが喧嘩をしていることに気付いていたのかと聞くと、ほとんど最初の段階で気付いていたらしい。
駅に着いたものの、なんとなく家に帰る気にはなれなかったので、広場のベンチに腰掛けた。周辺には夏休みということもあり活力に満ちている人たちが溢れていて、そんな集団の中にいるとより一層孤独感が浮き彫りになり、自分だけが世界に取り残されたような気持ちになった。
「あれ? 歩くんじゃない」
髪を解いていたので一瞬分からなかったが、目の前に真央さんが立っていた。真央さんは財布しか入らなそうなショルダーバッグと、車のキーを持って僕のことを覗き込んでいた。よく見ると髪色が明るくなっており、髪質は緩やかに波打っていた。服は相変わらず、黒一色のシンプルな格好である。
僕が挨拶をすると、真央さんは眉根を寄せながら、元気ないねぇ、と言った。
「ちょっと、いろいろあって」
「ちょっとって感じじゃないけど」
そのとおりだった。おとなしく過ごしていれば、恐らく一年に一回くらいの頻度で起きていた衝撃的な出来事が、わずか二週間足らずの間にまとめて起きたのだ。
よほど心配だったのか、真央さんが.、隣いい? と言ってきた。僕は横にずれて真央さんの座るスペースを作った。
「伊織と何かあったんでしょう?」
「……はい」
「それは、私にも話せること?」
僕は悩んで、半分は、と言った。言えない半分はもちろん、僕と伊織の偽の関係のことである。
「その話せる半分だけを、お姉さんに話してみなさい」
真央さんは聞く体制を整えるかのように、腕に付けていたゴムで髪を縛った。
僕は観念してこれまでに起こったことをかいつまんで説明した。真央さんは静かに相づちを打ちながら僕の話を聞いてくれた。
説明を終えた後、僕らの間に沈黙が降りた。真央さんは何かを考えているようで、自然と身構えた。悪いことはしていないのに、漠然と怒られると思った。
しかし真央さんは予想外のことを言った。
「えらいね。ちゃんとあの子と向き合おうとしていて」
そう言って真央さんは真剣だった表情を崩した。西日を纏うその横顔に、大人の色気を感じた。
「あの子は控えめに見ても整った容姿をしているから、昔から言い寄ってくる男が多かったの。前の彼氏たちもきっとそうだったわ。って、あんまり元彼の話とか聞きたくないわよね?」
「交際する前に、全部聞いています」
それなら話は早いと、真央さんは続きを語りだした。
「あの子と付き合うことは、一種のステータスなのよ。宝石を見せびらかす、みたいいにね。だから誰もあの子の事情に親身になってはくれなかったわ」
それは、伊織が喫茶店で話してくれたこととほぼ同じ内容だった。
「……事情っていうのは、両親のことですか?」
真央さんは逡巡して頷いた。
「気になる?」
「……まあ」
無論、無理に詮索するつもりはない。ただ、井坂が「知っている」ことが彼女の両親のことだったら、何故彼が彼女の家庭のことに介入しているのか気にはなる。
駅の入り口では、携帯電話会社の社員が、着ぐるみを来て子供たちに風船を配っていた。真央さんは、その中のある家族を見つめながらため息を吐いた。
「あの子に寄り添う覚悟があるなら、きっとあの子やおばあちゃんが話してくれるはず。だからそれまで待ちなさい」
真央さんの緊迫した物言いに、僕は気圧されていた。まるで興味本位で聞いてはならないと警鐘を鳴らされているようだった。
「誰にでも秘密はある。今だから言うけど、実は私バツイチなのよ」
真央さんがその場の空気を変えようとするように言ったが、全然笑えなかった。
「あなたにも秘密の一つや二つあるでしょう?」
真央さんは目を細めて僕の方を訝るように見ながら言った。確かにある。僕と彼女の間にある、決して誰にも打ち明けることのできない大きな秘密が。
駅の時計を見ると、電車の時間が近づいていた。このままここにいてもしんみりしたままになってしまうので、そろそろ帰ることにした。
帰り際、真央さんは駅のパン屋に連れて行ってくれた。渡された紙袋には小ぶりのクロワッサンが数個入れられており、焼きたてなのか紙袋の底は温かかった。小さいころから伊織が好んで食べていたもので、今でもたまにお土産に持っていくらしい。
「二人がちゃんと恋愛していて嬉しいわ。早く仲直りして、また店に遊びに来てね」
そう言って真央さんは車のカギを人差し指でくるくると回しながら、颯爽と去っていた。
改札を通って電車を待っている間、クロワッサンを一口かじった。表面がパリッとしていて、ほんのりとした甘さが口の中に広がった。食感も程よい弾力で、一つだけ食べるつもりが二個も食べてしまった。食べながらずっと、伊織のことを考えていた。
帰り際、カタクリコは早く伊織と仲直りするようにと釘を刺してきた。いつから僕らが喧嘩をしていることに気付いていたのかと聞くと、ほとんど最初の段階で気付いていたらしい。
駅に着いたものの、なんとなく家に帰る気にはなれなかったので、広場のベンチに腰掛けた。周辺には夏休みということもあり活力に満ちている人たちが溢れていて、そんな集団の中にいるとより一層孤独感が浮き彫りになり、自分だけが世界に取り残されたような気持ちになった。
「あれ? 歩くんじゃない」
髪を解いていたので一瞬分からなかったが、目の前に真央さんが立っていた。真央さんは財布しか入らなそうなショルダーバッグと、車のキーを持って僕のことを覗き込んでいた。よく見ると髪色が明るくなっており、髪質は緩やかに波打っていた。服は相変わらず、黒一色のシンプルな格好である。
僕が挨拶をすると、真央さんは眉根を寄せながら、元気ないねぇ、と言った。
「ちょっと、いろいろあって」
「ちょっとって感じじゃないけど」
そのとおりだった。おとなしく過ごしていれば、恐らく一年に一回くらいの頻度で起きていた衝撃的な出来事が、わずか二週間足らずの間にまとめて起きたのだ。
よほど心配だったのか、真央さんが.、隣いい? と言ってきた。僕は横にずれて真央さんの座るスペースを作った。
「伊織と何かあったんでしょう?」
「……はい」
「それは、私にも話せること?」
僕は悩んで、半分は、と言った。言えない半分はもちろん、僕と伊織の偽の関係のことである。
「その話せる半分だけを、お姉さんに話してみなさい」
真央さんは聞く体制を整えるかのように、腕に付けていたゴムで髪を縛った。
僕は観念してこれまでに起こったことをかいつまんで説明した。真央さんは静かに相づちを打ちながら僕の話を聞いてくれた。
説明を終えた後、僕らの間に沈黙が降りた。真央さんは何かを考えているようで、自然と身構えた。悪いことはしていないのに、漠然と怒られると思った。
しかし真央さんは予想外のことを言った。
「えらいね。ちゃんとあの子と向き合おうとしていて」
そう言って真央さんは真剣だった表情を崩した。西日を纏うその横顔に、大人の色気を感じた。
「あの子は控えめに見ても整った容姿をしているから、昔から言い寄ってくる男が多かったの。前の彼氏たちもきっとそうだったわ。って、あんまり元彼の話とか聞きたくないわよね?」
「交際する前に、全部聞いています」
それなら話は早いと、真央さんは続きを語りだした。
「あの子と付き合うことは、一種のステータスなのよ。宝石を見せびらかす、みたいいにね。だから誰もあの子の事情に親身になってはくれなかったわ」
それは、伊織が喫茶店で話してくれたこととほぼ同じ内容だった。
「……事情っていうのは、両親のことですか?」
真央さんは逡巡して頷いた。
「気になる?」
「……まあ」
無論、無理に詮索するつもりはない。ただ、井坂が「知っている」ことが彼女の両親のことだったら、何故彼が彼女の家庭のことに介入しているのか気にはなる。
駅の入り口では、携帯電話会社の社員が、着ぐるみを来て子供たちに風船を配っていた。真央さんは、その中のある家族を見つめながらため息を吐いた。
「あの子に寄り添う覚悟があるなら、きっとあの子やおばあちゃんが話してくれるはず。だからそれまで待ちなさい」
真央さんの緊迫した物言いに、僕は気圧されていた。まるで興味本位で聞いてはならないと警鐘を鳴らされているようだった。
「誰にでも秘密はある。今だから言うけど、実は私バツイチなのよ」
真央さんがその場の空気を変えようとするように言ったが、全然笑えなかった。
「あなたにも秘密の一つや二つあるでしょう?」
真央さんは目を細めて僕の方を訝るように見ながら言った。確かにある。僕と彼女の間にある、決して誰にも打ち明けることのできない大きな秘密が。
駅の時計を見ると、電車の時間が近づいていた。このままここにいてもしんみりしたままになってしまうので、そろそろ帰ることにした。
帰り際、真央さんは駅のパン屋に連れて行ってくれた。渡された紙袋には小ぶりのクロワッサンが数個入れられており、焼きたてなのか紙袋の底は温かかった。小さいころから伊織が好んで食べていたもので、今でもたまにお土産に持っていくらしい。
「二人がちゃんと恋愛していて嬉しいわ。早く仲直りして、また店に遊びに来てね」
そう言って真央さんは車のカギを人差し指でくるくると回しながら、颯爽と去っていた。
改札を通って電車を待っている間、クロワッサンを一口かじった。表面がパリッとしていて、ほんのりとした甘さが口の中に広がった。食感も程よい弾力で、一つだけ食べるつもりが二個も食べてしまった。食べながらずっと、伊織のことを考えていた。
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