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第一章
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「おい、おまえ」
レジに向かおうとした時、突然声をかけられた。そこには今一番会いたくない人物が立っていた。
「月島、だったか」
それは災いの現況である井坂だった。井坂はこの店の制服を着ており、手にいくつかのゲームソフトを持っていた。それを空いている棚に無造作に置くと、ずかずかと僕に近づいてきた。そしていきなり、胸倉を捕まれた。
「おまえ浮気かよ。最低だな」
今にも殴りかかるような勢いで、井坂がすごんできた。細い目が限界まで見開かれ血走っている。
「いやいや、浮気じゃないし」
それを見ていたカタクリコが笑いながら言った。
「ちゃんといおちゃんに話してあるし。女の子と二人でいるだけで浮気とか、君もまだまだ青いね」
「なんだと!」
井坂は僕の襟首を離し、カタクリコに怒鳴った。するとカタクリコはまったく動じず、さらに笑みを深めた。
「この店は、お客さんに怒鳴るんですかー! 社員教育がなってませんねー!」
井坂が怒鳴った倍の声量で言った。店内に彼女の声が響き渡り、買い物客がちらちらとこちらを伺っていた。
「おまえ、ばか!」
「ばかじゃないし。少なくとも君よりはね」
井坂は悔しそうに下唇をかみ締めた。
「ていうか、親子揃って同じ男に迷惑かけられるって、すごい確率だよね」
「親子だと?」
井坂は言っている意味が分からないようだった。するとその時、騒ぎを聞きつけたもう一人の店員がやってきた。その人物に僕は再び驚かされた。
「あれ、歩? それに、片山さん?」
関わりたくなかったもう一人。僕のこのむちゃくちゃな夏物語のきっかけを作った張本人、尊だった。
「片山……」
井坂はしばらく考えた後、ようやく合点がいったのか、苦い顔をしていた。
「インターンの時は、母がどうも」
井坂は頬を痙攣させながらも、何も言い返せなかった。僕は掴まれた襟を正し、カタクリコを見た。
その時、おや? と思った。いつもより、彼女のまばたきが多いような気がしたのだ。もしかして、強がっているだけなのか。
「もう行こう。片山さんが待ってる」
彼女の手からゲームソフトを取り上げ、元の棚に戻した。彼女は笑いながら頷いたが、微かにその笑顔は引きつっていた。井坂と尊の視線を感じたが、何も考えないようにした。
「お前には、そいつがお似合いだよ」
二人に背を向けた時、井坂が馬鹿にするように言った。隣でカタクリコが生唾を飲み込んだ。
「……どういう意味?」
自分の意に反して、僕は振り返っていた。みぞおちの部分がじわじわと熱を持ってきて、やがてそれは喉の方へと昇っていった。
「言ったままの意味だよ」
井坂が挑発するように言った。
「月島くん。行こう」
彼女が僕の腕を引いた。伊織以外の女性に触れられるのは初めてだった。
「オタク同士、仲良くしてろよ」
横にいるカタクリコの表情が変わった。先ほどまであんなに饒舌だったのに、彼女はもう何も言い返さなかった。よく見ると、手が震えている。
震えるカタクリコを見て、みぞおちで生まれた熱が沸点に達した。そして僕は、勢いでカタクリコの帽子を取った。
「よく見てよ、彼女のことを。僕とお似合いなわけないだろう」
突然のことに、カタクリコも前の二人も驚いていた。特に素顔があらわになった彼女の顔に一番驚いているのは井坂だった。
「こんなに綺麗な女性が僕とお似合いだって? 彼女に失礼だろう」
「……なんだよ。いきなり」
井坂が目を泳がせながら言った。その態度が無性に僕を苛立たせた。
「釣り合いがなんだよ。僕は彼女といて楽しいんだ。君にとやかく言われる筋合いはないよ」
「だから、オタク同士お似合いだって、言ったろう」
「そういうことじゃないだろう!」
僕は井坂に怒鳴った。井坂は目を丸くして、口を開けたまま放心していた。見物客が多くなり、井坂の隣で尊が焦り始めた。
「僕が誰とどんな風に過ごそうが、君がどうこう言っていいはずないだろう! 彼女たちと釣り合ってないことくらい、僕が一番分かってるんだ!」
「歩、落ち着け」
「うるさい! こうなったのは全部君のせいだろう!」
勢いで、僕は間に入って宥めようとする尊にそう言い放った。彼は青い顔をしており、初めて見る彼の狼狽した表情に溜飲が下がる思いだった。
「みんなで僕を下に見て、僕が少しでも楽しそうにしていたら口出しして、何なんだよ! 僕が君たちに何かしたか! 言ってみろよ!」
「……意味わかんねえよ」
「分からないのは君に理解力がないからだろう! だから君は人を傷つけるんだ。JAでの一件のようにね!」
「なんだとこの野郎!」
井坂がものすごい勢いで、再び僕の胸倉をつかんだ。顔を真っ赤にして右腕を振りかぶり、その拳を今にも僕にぶつけようとしていた。
「さとし、やめろ! 歩も落ち着け!」
「月島くん、だめだよ、喧嘩したら!」
尊が井坂を、カタクリコが僕を抑え込んだ。僕と井坂は引きはがされた後も、訳の分からない言葉で互いを罵り合い、場は一時騒然となった。
騒ぎを聞きつけて店の上司が様子を見に来た。尊は井坂を落ち着かせながら、その上司に端的に説明をしていた。その隙に僕はカタクリコに小声で逃げるように言った。
「いやだよ……だって、私が挑発したからこうなったんだし」
カタクリコが今にも泣きそうな顔で言った。その表情を見て胸が苦しくなった。
彼女はいつも飄々としている。それが彼女の良いところであり、かわいらしい一面でもあるのだ。それを奪った井坂の態度に再び怒りを覚えたが、なるべく平静を保ちながら言った。
「僕と彼は前から確執があったんだ。だから君は関係ない。巻き込んでごめんね」
だから行って、と言うとカタクリコは僕と井坂を一度見比べて、渋々頷いた。
「病院で待ってるから、必ず来てね」
去り際、彼女は震える手で僕の手に触れ、心配そうに呟いた。僕は分かったと言って彼女を送り出した。
レジに向かおうとした時、突然声をかけられた。そこには今一番会いたくない人物が立っていた。
「月島、だったか」
それは災いの現況である井坂だった。井坂はこの店の制服を着ており、手にいくつかのゲームソフトを持っていた。それを空いている棚に無造作に置くと、ずかずかと僕に近づいてきた。そしていきなり、胸倉を捕まれた。
「おまえ浮気かよ。最低だな」
今にも殴りかかるような勢いで、井坂がすごんできた。細い目が限界まで見開かれ血走っている。
「いやいや、浮気じゃないし」
それを見ていたカタクリコが笑いながら言った。
「ちゃんといおちゃんに話してあるし。女の子と二人でいるだけで浮気とか、君もまだまだ青いね」
「なんだと!」
井坂は僕の襟首を離し、カタクリコに怒鳴った。するとカタクリコはまったく動じず、さらに笑みを深めた。
「この店は、お客さんに怒鳴るんですかー! 社員教育がなってませんねー!」
井坂が怒鳴った倍の声量で言った。店内に彼女の声が響き渡り、買い物客がちらちらとこちらを伺っていた。
「おまえ、ばか!」
「ばかじゃないし。少なくとも君よりはね」
井坂は悔しそうに下唇をかみ締めた。
「ていうか、親子揃って同じ男に迷惑かけられるって、すごい確率だよね」
「親子だと?」
井坂は言っている意味が分からないようだった。するとその時、騒ぎを聞きつけたもう一人の店員がやってきた。その人物に僕は再び驚かされた。
「あれ、歩? それに、片山さん?」
関わりたくなかったもう一人。僕のこのむちゃくちゃな夏物語のきっかけを作った張本人、尊だった。
「片山……」
井坂はしばらく考えた後、ようやく合点がいったのか、苦い顔をしていた。
「インターンの時は、母がどうも」
井坂は頬を痙攣させながらも、何も言い返せなかった。僕は掴まれた襟を正し、カタクリコを見た。
その時、おや? と思った。いつもより、彼女のまばたきが多いような気がしたのだ。もしかして、強がっているだけなのか。
「もう行こう。片山さんが待ってる」
彼女の手からゲームソフトを取り上げ、元の棚に戻した。彼女は笑いながら頷いたが、微かにその笑顔は引きつっていた。井坂と尊の視線を感じたが、何も考えないようにした。
「お前には、そいつがお似合いだよ」
二人に背を向けた時、井坂が馬鹿にするように言った。隣でカタクリコが生唾を飲み込んだ。
「……どういう意味?」
自分の意に反して、僕は振り返っていた。みぞおちの部分がじわじわと熱を持ってきて、やがてそれは喉の方へと昇っていった。
「言ったままの意味だよ」
井坂が挑発するように言った。
「月島くん。行こう」
彼女が僕の腕を引いた。伊織以外の女性に触れられるのは初めてだった。
「オタク同士、仲良くしてろよ」
横にいるカタクリコの表情が変わった。先ほどまであんなに饒舌だったのに、彼女はもう何も言い返さなかった。よく見ると、手が震えている。
震えるカタクリコを見て、みぞおちで生まれた熱が沸点に達した。そして僕は、勢いでカタクリコの帽子を取った。
「よく見てよ、彼女のことを。僕とお似合いなわけないだろう」
突然のことに、カタクリコも前の二人も驚いていた。特に素顔があらわになった彼女の顔に一番驚いているのは井坂だった。
「こんなに綺麗な女性が僕とお似合いだって? 彼女に失礼だろう」
「……なんだよ。いきなり」
井坂が目を泳がせながら言った。その態度が無性に僕を苛立たせた。
「釣り合いがなんだよ。僕は彼女といて楽しいんだ。君にとやかく言われる筋合いはないよ」
「だから、オタク同士お似合いだって、言ったろう」
「そういうことじゃないだろう!」
僕は井坂に怒鳴った。井坂は目を丸くして、口を開けたまま放心していた。見物客が多くなり、井坂の隣で尊が焦り始めた。
「僕が誰とどんな風に過ごそうが、君がどうこう言っていいはずないだろう! 彼女たちと釣り合ってないことくらい、僕が一番分かってるんだ!」
「歩、落ち着け」
「うるさい! こうなったのは全部君のせいだろう!」
勢いで、僕は間に入って宥めようとする尊にそう言い放った。彼は青い顔をしており、初めて見る彼の狼狽した表情に溜飲が下がる思いだった。
「みんなで僕を下に見て、僕が少しでも楽しそうにしていたら口出しして、何なんだよ! 僕が君たちに何かしたか! 言ってみろよ!」
「……意味わかんねえよ」
「分からないのは君に理解力がないからだろう! だから君は人を傷つけるんだ。JAでの一件のようにね!」
「なんだとこの野郎!」
井坂がものすごい勢いで、再び僕の胸倉をつかんだ。顔を真っ赤にして右腕を振りかぶり、その拳を今にも僕にぶつけようとしていた。
「さとし、やめろ! 歩も落ち着け!」
「月島くん、だめだよ、喧嘩したら!」
尊が井坂を、カタクリコが僕を抑え込んだ。僕と井坂は引きはがされた後も、訳の分からない言葉で互いを罵り合い、場は一時騒然となった。
騒ぎを聞きつけて店の上司が様子を見に来た。尊は井坂を落ち着かせながら、その上司に端的に説明をしていた。その隙に僕はカタクリコに小声で逃げるように言った。
「いやだよ……だって、私が挑発したからこうなったんだし」
カタクリコが今にも泣きそうな顔で言った。その表情を見て胸が苦しくなった。
彼女はいつも飄々としている。それが彼女の良いところであり、かわいらしい一面でもあるのだ。それを奪った井坂の態度に再び怒りを覚えたが、なるべく平静を保ちながら言った。
「僕と彼は前から確執があったんだ。だから君は関係ない。巻き込んでごめんね」
だから行って、と言うとカタクリコは僕と井坂を一度見比べて、渋々頷いた。
「病院で待ってるから、必ず来てね」
去り際、彼女は震える手で僕の手に触れ、心配そうに呟いた。僕は分かったと言って彼女を送り出した。
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