その傘をはずして

みたらし

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第一章

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 その週の土曜日。先週と同じ時間に伊織と駅で待ち合わせた。

 彼女は濃紺のシャツワンピースを着用していた。その服は腕の部分がざっくりと切り取られており、肩口からは白くて細い腕がすらりと露出していた。彼女の私服姿を見るのは初めてだった。

 僕らは駅のスーパーで材料を買うことにしていた。この一週間、僕は毎日茄子のはさみ揚げを作った。手軽に調理できるものしか作ったことがなかったのでろくに包丁を持ったこともなく、最初の方は中々苦戦して、散々な出来上がりだった。

 ただ、一つのことを黙々と行うという行為は僕の性に合っていた。完成した作品を何度か伊織に試食してもらい、おばあちゃんはもっと薄味が好きだとか、どうせなら味を変えたものも作ってほしいなど、自分は一切何もしないくせに一丁前にケチばかりつける彼女の要望も真摯に受け止め、何とか提供できる品質のものを作成することができるようになった。

 スーパーに入り、僕は目当ての材料をかごに入れていった。途中伊織が、材料とは関係ないカンパチの刺身やアンデスメロンなどをかごに入れ出したので、僕はそれらを無言で元の場所に戻した。

 目当ての材料を揃い終えた時、総菜コーナーの近くでばったり真央さんに会った。今は昼休みで、ちょうど昼ご飯を買いに来ていたそうだ。

 伊織がこれからおばあちゃんのために茄子のはさみ揚げを作る計画を説明すると、真央さんは僕が料理することに驚いていた。

「真央さんも来ればいいのに」

「いいわよ、私は。仲睦まじい二人の間を邪魔したくないし」

「全然邪魔じゃないよ。そうよね、歩」

 彼女は笑っていたが、瞳の奥の真意は肯定の返事しかするなと言っているように見えた。僕は、是非真央さんもいらしてください、と言った。

「今のところ四時まで予約が入っているから、それ以降の予約が入らなかったら行こうかしら」

「絶対だよ。歩の料理は本当においしいから、早く来ないとなくなっちゃうよ」

「ちょっと、君」

「それは楽しみね。午後からのモチベーションが上がったわ」

 そう言って真央さんは、持っていた弁当を小さいサイズのものに取り換え、会計をしてスーパーを出て行った。

「君は本当に、人を窮地に追いやる達人だね」

「ハードルが上がった方が、飛び越え甲斐があるじゃない」

「そのハードルを誰が飛び越えると思ってるの?」

 ついでにおばあちゃんに頼まれていた酢もかごに入れ、僕らはレジに並んだ。

 会計は珍しく彼女がしてくれて、どういう風の吹き回しなのかと聞くと、どうやらおばあちゃんから今日のためにお小遣いをもらっていたらしい。

 駅を出ると、待ち構えていたかのような夏の熱気が体中を包んだ。行き交う人達は皆一様に襟元をパタパタと仰いだり、日傘をさしていたりした。

 僕らは街路樹の連なる歩道を歩いた。セミの声と車のエンジン音が無数に通り過ぎていき、足元には街路樹の葉陰が色濃く落ちていた。

 歩きながら伊織が、暑いねぇ、と言った。特に気の利いた言葉が思い浮かばなかったので僕も、暑いね、と返した。

 空は下手なカメラマンが撮影しても絵になりそうなくらい壮大に蒼く、刷毛で書いたような細い雲が、世界の中心に向かって集まっていこうとしているみたいに伸びていた。夏はまだ始まったばかりだった。

 攻撃的な太陽にげんなりしながら雅田家に着くと、おばあちゃんが迎え入れてくれた。おばあちゃんは掃除をしていた最中で、手に雑巾を持っていた。

 居間の畳の黄ばみを取っているそうで、水を貯めたバケツに少量の酢を入れて雑巾に浸し、それで畳を拭くことで汚れが落ちるらしい。水拭きした畳は乾くのが遅いから、こんな風にからっと晴れた日に掃除するのが効率的にいいのだそうだ。
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