その傘をはずして

みたらし

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第一章

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「お前、付き合ったことないんだろう?」

 なるべく尊の顔を見ないようにし、僕は無言で頷いた。

「そりゃ、俺の気持ちなんて分からないよな」

「高木、もういいじゃん。月島困ってるって」

「よくねえよ。俺らは、みんな恋愛の喜びや痛みを分かってるけど、こいつは分からないだろう。だから、付け焼刃の慰めなんかされても迷惑なんだよ」

 一方的な言いがかりだったが、何も言い返せなかった。

「高木くん、ちょっと今日は月島に絡みすぎじゃないか?」

 四人の中だと、比較的一番話しやすい男子が尊を制すように言った。しかし尊は制止を振り切ってとんでもないことを口にした。

「おまえ試しに誰かに告白してみろよ」

「……告、白?」

 背筋に嫌な汗が落ちていくのが分かった。

「ここにいる奴らは、みんな恋愛の痛みを知っている。だから痛みを分かち合えるんだ。だからお前も味わってみろよ。そしたらお互い恋愛相談もできるだろう」

 実に馬鹿馬鹿しい提案である。嫌なことや不満があっても大抵のことは流すことができるが、この時ばかりは激しく反論した。

 その行為が彼の感情を逆撫でしたようで、さっきまで口元だけは笑っていたのに、いつしか彼はむきになり顔を真っ赤にして告白を強要してきた。もはやただの八つ当たりである。

「お前、好きな人はいないのか?」

「いるわけないだろう」

「じゃあ、俺が選んでやる。大丈夫、かわいい子選んどくから。どうする? 万が一付き合えたら?」

 尊は取り巻き全員が引いていることにも気づかず、一人で愉快そうに笑っていた。

 それからいくら反論しても暖簾に腕押しで、結局僕は名前も知らない女子に告白することになった。

 最後まで断れなかったのは、一概に僕の気が弱かったからだけではなく、心のどこかでこの悪ふざけを断ると、仲間外れになるのではないかという危惧があったからだ。

 だとしたらものすごく嫌ではあるが、ここで尊のピエロになっておけばきっと彼の気も収まるだろうし、これから告白するどこぞの女子にひどいことを言われても、夏休みの間に幾分かその心の傷も癒えると思った。

 授業が終わり、尊に指定された時間に屋上へ向かった。

 屋上の策にもたれて、眼下に広がる街並みに目を細める。空には雲一つなく、少しだけ太陽は西に傾いているが、まだまだ真昼並みに明るかった。ただ立っているだけで眩暈がするほどの熱量を浴びながら来訪者を待った。

 不意に後方で、ドアの開く音がした。上靴のゴムがコンクリートを踏む音がゆっくりと近づいてきて、その足音が僕のすぐ後ろでぴたりと止まった。

「あの、月島くん……ですか?」

 高くも低くもない、聞く人を安心させるような柔らかみを帯びた声。

 僕は声を上ずらせながら返事をし、覚悟を決めて振り返った。その瞬間にさらさらと吹いていたぬるい風が止まった。

 艶のある漆黒の髪。少しつり目気味の大きくて意志の強そうな瞳。妖艶で大人びた唇と、磨かれた硅石のような白い肌。そして仄かに赤らんだ頬。

 僕は彼女のことを知っていた。というより、この学校で彼女のことを知らない人間はいない。

「ええと、雅田さん? 生徒会長の?」

「うん、そうだよ。それにしてもあっついねー」

 彼女は、掌をうちわ代わりにしてぱたぱたと仰いでいた。

「それで、私に何か用?」

「いや、それは、ええと……」

 よりによって、何故こんな有名人に告白しなければならないのだ。こんなことになるなら、朝の段階でもっと強く拒むべきだった。
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