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第一章 セルメシア編

第18話 母は強し

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 謁見の間を後にしたロベルト一行は、メランシェルの大通りにある有名カフェテラスに訪れていた。
 この街でも好評のお店で、朝は焼きたてトーストに美味しいサンドイッチ、高級豆を使ったコーヒー。
 夜になればローストチキンにワインなど、いつ来てもおいしい食事が提供されている。
 彼らは現在表に出されているテーブル席におり、いい香りのコーヒー片手にサンドイッチを堪能していた。
 まだ開店したばかりなのか、テラス席にはロベルトたちの姿しかいなかった。

「ではまず最初に……翼君、ラマー王子との模擬戦、見事だったわ。まさか王子に勝っちゃうなんて凄かったね」

「ははは……ありがとうございます」

 右手にコーヒーを持ってシャルロットが笑顔でロベルトの事を褒めてくれる。

「ありがとね翼! あのムカつくクソ王子をぶちのめしてくれて!」

「こら華蓮。こんな公共の場でクソ王子っていうな」

 ロベルトの言う通り、屋内ならともかくこんな公共の場でラマーの事をクソ王子と言っては不敬罪になる。
 あんなクソ王子でも一応は王族であり、どこに王族関係者が目を光らせているのかわかったものではない。
 彼女にとってはムカつくだろうが、ここで王子の悪口を言うのは悪手である。

「そうよ華蓮。いくらムカつくクソ王子でもここでは言っちゃだめ」

「姉さんまで……」

 ついにはシャルロットまでラマーの事を罵り始めた。
 幸いにも周りには他にお客はいなかったため、誰にも聞かれることはなかった。

「まぁそれはさておき……ついに翼君にもラグナが覚醒したってわけね」

「腰に差している刀だよね」

 華蓮は翼が腰に差している刀に視線を向ける。
 ロベルトは腰の刀……自らのラグナである白竜を手に取り、それをシャルロットに渡す。
 右手に持ったカップを置いて、彼女はロベルトから受け取った白龍を鞘から抜くと、鍔近くに彫られた竜を目にした。
 大きくて威厳があり、どこか惹かれるものがある。

「うん。とてもいい刀だね。もう名前は決めたの?」

「白竜です」

「いい名前だね。翼君、このラグナ……大事に扱ってね」

「もちろんです」

 シャルロットはそう言って白竜を鞘に戻し、ロベルトに返す。

「姉さん。少し話したいことあります。実は昨日親父からあることを聞きました」

「ある事?」

 ロベルトは、昨夜の家族との会話で聞いた六千年前にルナティールの襲った大厄災について語る。
 シリウス曰く、あの大厄災に邪悪なる者が関わっている事。
 その大厄災の事がエルバスティア大陸のコルカ教国に手掛かりとして眠っている事を。

「六千年前……随分とまた話が大きくなってきたねぇ」

「コルカ教国ってアリシアの宗教がある国だったよね確か。アレクシア教だっけ?」

「そうそう。ただもう一つ問題があって、母さん曰く、現在コルカ教国があるエルバスティア大陸全土が霧に覆われていて、中に入れないらしい。おかげで行きたくてもいけないんだよ」

「今エルバスティア大陸ってそんなことになってるの!?」

 アイリはエルバスティア大陸が現在そのような状況下になっていることは知らなかったようで、大層驚く。

「そうね。私は騎士団の仕事関係でかなり前から知ってはいたけど、その邪悪なる者の手掛かりがコルカにあるとすれば……」

「問題はあの霧がいつ晴れるかってところですよ。母さんが言うには何かの巨大魔法かもしれないって」

 あの霧の向こうに眠っているコルカ教国には邪悪なる者の手掛かりがあるものの、真実への近道であろうかの国には謎の霧で覆われており、謎を追求する彼らを妨害していた。

「……あの霧について、一応調べておいたほうがいいかもしれないね」

「そうですね」

 六千年前の大厄災に関わっている邪悪なる者、その正体は未だ不明ではある。
 次々とはめ込まれていく情報のピース……、その中には虚偽の情報だってある。
 そうなるとロジックが狂い、真実に至る道が遠のいてしまって一枚絵が完成しなくなる。
 故に、迅速かつ確実に行動する必要がある。

「さあさあ、せっかくだから何か頼みましょう?私がおごるから」

「本当に!? じゃああたしパンケーキ食べたーい!」

「では俺もパンケーキでお願いします」

「あらら、じゃあ私もそれにしようかな。すいませーん!」

 辛気臭い話はこれで終わりにして、今から甘いひと時を楽しもうとする3人。
 今の彼女たちは甘いスイーツによるドーパミンを欲している。
 こういう時こそ、当分を摂取して明日への活力が湧くものだ。
 もっとも、アイリの場合は昨日のパーティーでスイーツをたくさん胃の中に詰め込んでおり、少しばかり控えたほうがいいかもしれない。
 3人そろってパンケーキを店員に頼む。
 焼けるまで少し時間があるので、コーヒー片手に待つことにしたのだが……

「おや? エルヴェシウスじゃないか。それに副団長にミス・カタルーシアも」

「……っち」

 ロベルトにとっても最も不愉快な声が背後から聞こえた。
 嫌な顔をしつつ後ろに顔を向けると、そこには勝ち誇った顔をしているエリックがいた。
 しかし今日はいつも連れている取り巻きのニコライとアントンではなく、彼によく似た長身の右手にステッキを持った男性がいた。
 突如、エリックの横にいた男性が口を開く。

「シャルロット副団長。副団長ともあろう方が朝からサボりとは感心しないな。これは場合によっては騎士庁の本部長に報告させてもらうことになるが?」

 エリックによく似た男性……彼の父親であるジャン・ブランシャール。
 アルメスタ王国騎士庁に勤めている彼は、騎士団という組織全体を管理する役職についている。
 故に騎士団員の素行不良等も含めて、彼に下手な態度をとれば団長であるハイドですらも最悪騎士団を追放される。
 彼にはその権限があるのだ。

「申し訳ありません。ジャンさん。実は先ほどオスカー陛下から勅命任務を受けまして、ハイド団長から明日の任務のために本日お休みをいただきました。何なら確認を取ってもらっても構いません」

「む? そうだったか。ではこちらの勘違いか。これは失礼した」

 自分に非があると分かったジャンは、素直にシャルロットに向かって軽く頭を下げて謝罪をする。
 しかし彼の態度を見る限り、言葉だけで謝罪はしてはいるが態度は全く反省していないようにも感じる。

「ちょ、勅命任務だって!? もしかして、エルヴェシウスがか!?」

「そうだよ。ついでに華蓮に姉さん、アルトも含めてな」

「ミス・カタルーシアにレイフェルスまで……なぜ僕じゃないんだよ!?」

「知るか」

 悔しがるエリックをよそにジャンはその視線をロベルトに向ける。
 氷のように冷たく冷酷かつ慈悲のないその視線は、睨まれただけでも相手の心の絶望の底へと落としてしまいそうだ。
 カフェテラスというゆったりと穏やかなフインキの場所であるのにも関わらず、この男一人のせいで辺り一帯は重い空気と化す。
 さらに近くのガス灯に止まっていた小鳥も空気を察したのか、この場にいるべきではないと判断し早々に翼を広げて大空へと舞っていった。

「ふむ、シリウスの息子か。エリックが世話になっているようだな」

「……えぇ」

「外見は母上に似たが、やはりその瞳……気に入らないな。あの男の息子だけある。忌々しい」

 ジャンはそう言いつつ右手のステッキをいじりながら、ロベルトに心ない言葉を吐く。
 ロベルトの青い瞳は髪と同じようにエミリーの遺伝ではあるが、ジャンはその瞳の奥に感じたものを言っているのだろう。
 数日前、夕食の席でシリウスはエリックの父であるジャンと何かあったかのような反応をした。
 だとすれば、ジャンと言っているあの男というのはシリウスであることは間違いない。
 この男は過去にシリウスと何かあったのだろうか。

「シリウスの息子よ。陛下から期待されているとはいえ図に乗らないことだ。私がその気になればいつでも貴様を騎士団から追い出せるのだからな」

「……心がけます」

 ジャンの威圧感のある言葉を、ロベルトは冷静を保ってそう返す。
 常人であれば彼に睨まれたが最後、泣いてしまいそうだ。

「最後に一つ警告しておこう。ここ数日我が息子に対して随分と暴言を吐いているようだな。これ以上息子に対して何かをするのであれば……」

「あれば……どうなるのかしら?」

「!!」

 ロベルトに対して警告という名の脅しをしている最中、ジャンは背後から聞こえた女性の声で急に顔が青ざめ、額から汗が滝のように出てくる。
 首をがちがちと音を立てるようにゆっくりと声が聞こえた後ろのほうを見ると……

「ジャン。久しぶりね。こんなところで会うなんて奇遇だわ」

 そこには二名のメイドを連れた母、エミリーがいた。

「こ、これはエミリー夫人、奇遇ですね。ご機嫌いかがですかな?」

「そうね。先ほどまではとっても機嫌がよかったのだけど、貴方のその蛆虫のような顔を見たらさいっこうに気分が悪くなったわ」

「……大変失礼いたしました」

 その肝心のエミリーだが笑顔でそう返すも目の奥は完全に笑ってはおらず、手に持った扇子を開いたり音をたてながら畳んだりしている。
 小さい頃から近くにいたロベルトは知っているのだが、エミリーが扇子を閉じたり開いたりしているのは彼女は現在進行型で機嫌が悪い証拠なのだ。
 先ほどまで自分が優位に立っていたジャンがなぜかエミリーに対して敬語を使いつつ、頭を下げている。

「ちょ、ちょっとパパ! 何でそんな女に頭を下げるんだよ!? パパは偉いんだろ!?」

「黙れ!! いいからお前も頭を下げろ!!」

「えぇ!?」

 ジャンはそう言ってエリックの頭を掴んで、息子共々エミリーに向かって頭を下げた。

「あら、そこまでしなくていいわよ。それよりジャン。貴方。私の可愛い息子に対して何を言っていたのかしら?」

「……いえ、私の息子に対してここ数日暴言を吐いていたので、少し注意をしていたのですよ。あまり息子をいじめてはダメだよ、と」

「ふぅん……」

 必死に弁解するもののエミリーの青い瞳の奥底は濁っており、彼の言っていることは完全に信じていないということがわかる。

「まぁいいわ。ジャン、最後に警告してあげる。もしこれ以上ロベルトやアイリちゃんたちに何かしようものなら……」

 そう言いつつエミリーはジャンの耳元にまで口を近づけて、小言で何かを言う。
 残念ながらロベルトたちの距離から会話の内容は聞こえなかったのだが、次の瞬間ジャンの顔が再び青ざめる。

「……!! わ、分かりました。善処いたします。おいエリック、行くぞ!」

「え、ちょっとパパ! どうかしたの!? 待ってよー!」

 ジャンはそう吐き捨ててこの場を去っていき、息子のエリックも父親を追うようにしていなくなった。

「ねぇ……エミリーさんって、何者?」

「……わからん」

 ロベルトの横にいたアイリが耳元でそう聞いてくる。
 何者と言われても自分の母親としか言いようがないのだが、あの騎士庁の官僚であるジャンが恐れるくらいだ。
 彼女は何か彼の弱みをもっているのかもしれない。
 だが息子の窮地に駆け付ける母はとても立派であり、まさに今のエミリーは母は強しという言葉を体現していた。

「さて……ロベルト、アイリちゃん、それにシャルロットちゃん。大丈夫だった?」

「ははは、ありがとう。母さん」

「おかげで助かりました!」

 突然現れた救世主であるエミリーに対して、お礼をいうロベルト一行。

「そういえば、母さんなんでこんなところにいるんだ?」

「今朝言ったでしょ? 買い物にいくかもしれないって。それより貴方たち、仕事はどうしたの?」

「それなんだけどさ……」

 騎士団の制服を着たまま、朝からカフェで寛いでいるのだ。
 事情を知らない者からしたら、先ほどのジャンと同じようにサボりと思われても仕方ない。
 ここでロベルトは、先ほどオスカーから勅命任務を受けたことを母に報告する。
 隣国ナギ国とヤクモ国に行くので、明日から4日間はいなくなることを。

「と、いうわけだからさ。4日間留守にしちゃうから」

「あら、ナギ国とヤクモ国に行くの!? しかも陛下の勅命任務だなんて! さすが私の息子ねぇ!」

「流石ロベルト様ですね!」

 自慢の息子が陛下直々に勅命任務を任されたのがそんなに嬉しいのか、エミリーはこれ以上ない満面の笑顔でそう返す。
 彼女が連れているメイドも嬉しそうだ。

「それじゃ、貴方のために少し何かを買い足しておかないと。アイリちゃんとシャルロットちゃんも明日から頑張ってね」

「お気遣いありがとうございます」

「エミリーさん! またおいしいお菓子作ってくださいねー!」

「あらあら。また機会があれば作ってあげるわ。じゃあロベルト。また後でね」

 そう言ってエミリーはメイドを連れてその場を後にした。
 別れ際、アイリはエミリーにお菓子を作るように要求したのだが、この娘は甘いものに対してどれだけ食い意地が張っているのだろうか。
 しかしエミリーはアイリの突然の要求にも笑顔でそう答えた。
 彼女にとっても自分の作るお菓子で笑顔になってくれるのであれば、女冥利につきるだろう。
 と、その時

「お待たせしました。パンケーキ3人分です」

 店内から可愛い女性店員がワゴンを引きながらやってきた。
 ワゴンの上には彼らが注文したパンケーキが運ばれ、出来立てなのか湯気が立ち上り、パンケーキの上に乗せられた溶けかけたマーガリンが甘いフインキを演出させる。
 こんなもの、見ただけで今にもかぶりつきたくなるものだ。
 女性店員がワゴンからパンケーキをテーブルに移すと、どうぞごゆっくりと言って店内へと戻っていった。

「おぉー来たね! じゃあいただきまーす!」

 アイリがパンケーキと一緒に運ばれてきたルッタと呼ばれるこの世界のハチミツをかける。
 ロベルトもシャルロットもルッタをかけて、フォークとナイフを手に持つ。
 ナイフでパンケーキを斬って、彼らはフォークでそれを口の中に運んだ。

「んー!! おいひーい!」

「おぉ……流石パンケーキが自慢の店だけあるな」

 口の中に入れた瞬間、柔らかくしっとりとした触感にかけた甘いルッタが上手いこと絡み合う。
 この店のパンケーキはメランシェルの女性たちから特に人気という噂は度々ロベルトも耳にしていたが、こうして実際に味わってみるとその噂も納得できる。

「美味しいわねこれ。何枚も食べたくなっちゃう」

「なんとなく分かりますよ」

 パンケーキを食べているシャルロットも今は副団長ではなく、一人の甘いものが好きな女性の顔をしている。
 女性は甘いものが好きという話はよくあるが、ロベルトも今まさに同じ気持ちであった。
 だが明日から4日間はこの国を離れ危険な任務に挑むため、これが最後の食事になるのかもしれない。
 だからこそ、今楽しめる食事や遊びは全力で楽しむべきであろう。

 その後も彼らは、突然もらえた休みの日を甘いパンケーキと共に過ごした。
 時間がたつにつれて他のお客もカフェテリアに次々と入店してきたが、彼らはお構いなしに会話をしながらスイーツや食事を楽しんだ。
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