一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

番外編 漆原京助のつまみ食い⑦

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 学園祭の準備が着々と進められる校舎内を漆原は周りを見回しながら歩いていた。
 自分の受け持つ図書委員会は、これといって特別なことはしない。ポップコンテストと一般開放のみであるから、準備することがあまりないのである。
 他の委員会はずいぶんと気合が入っているようで、少し言い争う声も聞こえてくる。
(行事っぽいねえ……)
 そうのんきに考えながら、漆原は職員室に入る。
 ほとんどのことは図書館で事足りるが、連絡事項などは職員室に来ないと確認できないので、定期的に寄っているのである。職員室内のホワイトボードには、一カ月の予定と一週間の予定、今日一日の予定が書いてある。似たようなものは生徒会室の横にもあるが、こっちは先生仕様であるので、書いてあることはだいぶ違う。
「えーっと、特に変更はなし、と……」
「あ、先輩! お疲れっす」
 そう言ってやってきたのは二宮だ。腕まくりをした服の下にはたくましい筋肉、輝く笑顔ににじみ出る若さ。漆原は一瞬目を細めたあと、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「……ああ、お疲れ」
 二宮は漆原の横に立って、ホワイトボードを眺める。
「もうすぐ学園祭ですね~。先生のとこは準備、順調です?」
「もう終わったよ」
「えっ、段取りいいっすね~。うちはまだまだですよ。大がかりなせいもありますけど、ほら、体育館は授業でも使うから、出し入れだけで結構時間食っちゃって」
「アスレチックだったか? 大変だなあ」
 漆原が言うと、二宮はにこにこと笑って言った。
「はい! でも、楽しいんで!」
「そうかあ」
 するとそこに、ふわっと何かの香りが漂った。それが消毒の匂いだと二人が気付いた時、柔らかな声が聞こえた。
「あら、おそろいで」
 やってきたのは、白衣を着た羽室だ。
「お疲れさまっす!」
「お疲れ様。相変わらず元気ねえ、二宮先生」
 羽室も基本は保健室にいるのだが、漆原同様、たまに職員室に来ては予定を確認している。羽室は自分の肩に手を置き、首をぐるりと回した。
「何とか準備が進んでよかったわ~。あとは当日、何もないことを祈るだけね」
「えー、みんな順調だなあ。保健委員は何やるんでしたっけ。試食?」
「そうよ、健康にいい食事や飲み物の紹介ね。時間があったら寄ってちょうだい」
「はい!」
 二宮は元気に返事をし、漆原も頷いた。
「なんだ、揃いも揃って」
 と、そこにまただれかやって来た。漆原はその人物を見て、笑って声をかける。
「よお、石上」
「おう」
 バインダー片手にやってきたのは石上だ。石上はまっすぐホワイトボードに向かうと、予定や連絡事項を書き込んだ。漆原は横からそれを確認する。
 備品発注の締め切り、エアコンのメンテナンス実施日……
「うん、いつも通りだな」
「そうイレギュラーなことがあってたまるかよ」
「それもそうだ」
 石上はバインダーとホワイトボードを見比べると、漏れがないことを確認し頷いた。そして三人に視線を向ける。
「準備は順調か?」
「もう終わった」
「うちもよ」
「うちは……まだっす……」
 ぎゅっと顔にしわを寄せ、言いづらそうに、かつ申し訳なさそうに言う二宮を見て、石上は眉を下げて笑った。
「はは、大変だな。頑張れよ」
「っす!」
 と、二宮が力強く返事をしたとき、チャイムが鳴った。
 それをきっかけに四人はなんとなく解散し、漆原は職員室の外に出る。
 校舎内はどこもせわしなく、賑やかで、漆原は自分がこの空間に身を置いているのがどことなく不思議な気分がしていた。

 そんなせわしない日々が続き、学園祭当日。
 図書館の冷蔵庫から漆原が取り出したのは棒付きのウインナーだった。始まってすぐはそれなりに忙しかったものだが、すっかり暇になった図書館。今日が学園祭であることを忘れそうなほど通常運転だ。そこで、図書委員にはお祭り気分を味わってもらうために漆原はいろいろと準備していたのである。
 ウインナーにケチャップを絞り、平たい溶けるチーズを巻いて、オーブンで焼く。
 これが思いのほか好評で、図書委員の面々はみな満足そうにほおばっていた。昼休み前の空腹も功を奏したのだろう。
 暇であれど、腹は減るものである。
「ずいぶんいいにおいがしているが、ここは軽食でも提供しているのか?」
 図書館にやって来た石上がそう言って、詰所に入る。図書委員の面々は昼休みで、各自好きなところで昼食をとっていた。
「空気の入れ替え中だ」
「昼休み中に終わらせておけよ」
 漆原は窓を開け、石上は椅子に座る。春先にも似た穏やかな風が吹き、生徒たちの笑い声を運んでくる。
 漆原はビニール袋を取り出し、机の上に置いた。
「さて、いただきます」
 近所にある、朝早くから開いているパン屋で買ってきた総菜パンである。石上も同じパン屋のものを昼食として準備していた。
 ホットドッグと、野菜サンド。ひとつひとつのボリュームが結構あるので、それだけでも腹に溜まりそうである。
 野菜サンドの食パンはふかふかで、ほのかに甘い香りがする。みずみずしいレタスに酸味が爽やかなトマト、薄切り玉ねぎに薄いハム。特製マヨネーズはまろやかで、ボリュームがありつつもつい食べきってしまう代物である。
 ホットドッグのソーセージは茹でてあって、パリッとして肉汁がはじけるが脂っこくない。ケチャップには細かく刻んだ玉ねぎが混ぜてあって、うま味がある。
 そこに、無糖の紅茶。
「学園祭、思いのほか暇だな」
「よそはかなり盛り上がっているみたいだがな」
「はは、うちだけか」
「まあ悪くないんじゃないか。こういう場所が必要なやつもいるだろう」
「そうだなあ……」
 穏やかで温かい日差しが降り注ぐ午後、漆原は窓越しにふと空を見上げる。
 薄い水色の空には、規則正しく浮かぶうろこ雲とそれから離れて薄くたなびく雲が見えた。

「ごちそうさまでした」
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