一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第七百三十五話 チキンカツ

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 夏休みまで一週間を切ると、心なしか教室の空気が浮ついてくるように思う。
 いつもは気だるげな土曜課外も、今日はずいぶんとすがすがしいような。いつもであれば、朝の教室はたいそう静かなものであるが、今日はなんとなく賑やかだ。
「おはよ~、一条。今日も朝から暑いねぇ」
「山崎、おはよう」
 後ろの席に座る山崎は、珍しく英単語帳を手にしていた。
「……どした? じっと見て」
「いや、何でも」
「何でもってことはないでしょ~」
 山崎は単語帳をめくりながら、俺の椅子をがたがたと揺らしてきた。
 珍しいこともあるもんだ、とのどまで出かかったが、ぐっと飲みこむ。すると後ろから、山崎とは違う声が聞こえてきた。
「お前が珍しく、勉強してるからだろ」
「あ、雪ちゃん」
 山崎の席にやってきたのは、中村だった。
 中村は少し楽しそうに言った。
「こいつ、今までの単語テストの成績悪すぎて、呼び出しくらったらしい」
「え、そうなのか」
「もー、雪ちゃん言わなくていいのに~」
 山崎は言いながら、単語帳を頭の上にのせた。一年生の頃から使っているはずだが、表紙が妙に新しい。
「ひどい話だよねえ。課外の後、居残りだなんて」
「はは……」
「こーやって頭にのせてたら、勝手に入ってこないかなあ」
「そうなると便利だな」
 それは確かに、俺も思う。日本史の年表とか。枕の下に入れて寝たら、次の日の朝にはすっかり頭に入っている、とかできないかなあって。あとは世界史の、いろんなとこの王様の名前とか。
 横文字って、覚えづらいんだよなあ。似てるのいっぱいあるし。
「ほれ、ちゃんと読んどけ。夏休みに呼び出されるのは嫌だろうが」
 と、中村が単語帳をこつんと叩くと、山崎は「んん~」と言って、再び単語帳に目を向けた。
「てか夏休みっていっても、ずっと塾じゃん」
「それはそう」
「あー、どっかでさぼろう。絶対」
 堂々たるさぼり宣言に、中村は笑った。
「そんな胸張ってさぼるやつがどこにいる」
「ここ」
 仲いいなあ、こいつら。俺と席代わってやろうか、中村よ。
 二人で話が進み始めたので、視線を前に戻す。お、向こうじゃ勇樹と宮野が話をしている。宮野の机には本が置いてあって、勇樹はそれを指さし何か言っている。二人とも楽しそうに話をしているなあ。
 ほんと、いつもの土曜課外とちょっと違う。やっぱ夏休み効果かな。
 頬杖をつき、ぼんやりとする。触れた手のひらがなんか生ぬるい。賑やかな教室にまた、誰かがやってきた音が聞こえた。
「どこ見てんだよ、春都」
「ん、んん?」
 その声に振り返ると、「よっ」と片手を挙げて笑う咲良が立っていた。
「おはよ」
「ああ……おはよう、咲良」
「なに? そんなにびっくりした?」
 咲良は勇樹の椅子に座ると、俺の机に肘を置いた。
「まさか咲良が来るとは思わなかった」
「あはは」
 咲良は頬杖をつく。
「廊下歩いてて、春都来てるかなーって教室覗きこんだらさ、遠い目してたから」
 まあ、確かにぼんやりとはしていたが。
「周りはめっちゃ賑やかで楽しそうなのに」
「お前も、いつにも増して上機嫌だな、咲良」
「ま、夏休み近いしな!」
 花火花火~、と咲良は歌うように言う。
 夏休みかあ……夏休みの楽しみといえば、何だろう。旅行とか行かないし……まあ、今年は、ちょっと遠出するけど。
 やっぱり、夏休みの楽しみといったら……

 これだよなあ。
 テーブルに準備された昼ご飯、涼しい部屋、楽な格好、テレビの音。午前中だけの授業を頑張った後の、この時間。
 今日は、揚げたてのチキンカツだ。出来立ての飯が食える幸せよ。
「どうしたの、そんなにニコニコして。何かいいことあった?」
 母さんが台所を掃除しながら聞いてくる。
「現在進行形でいいことが起きてる」
「あら、ふふ。冷めないうちに食べちゃって」
「うん」
 あ、すりごまもある。いいねえ。
「いただきます」
 まずは付け合わせのキャベツから食べてみる。揚げたてチキンカツのぬくもりで少ししんなりしたキャベツ。ドレッシングがよくなじんでうまい。
 さて……最初は、ソースだけでいくか。
 この間の弁当もうまかったけど、揚げたてもうまい。ザクッと衣は香ばしく、染みたソースがジュワッとしてうまい。熱々の肉、噛み応えはあるがホワッとして、うっすらある皮の部分がジューシーだ。
 次はごまもかけてみる。
 ああ、これこれ。ソースにごま、それにチキンカツ。ごまの食感が加わったソースのとろりとした感じ、好きだ。
 一気にお店感が出てくる。
 あ、端っこのカリカリ、いいな。ギュッとうま味が詰まっていて、噛みしめるのが好きだ。
 濃い口に、白米。ソース味に、ご飯はよく合う。
 これ食ったら何しよう。ゲームかなあ、それとも漫画をしこたま読むか? そういやあのゲーム、新章配信だっけ。
 やりたいことは山積みだ。もちろん、やらないといけないことも。
 さて、今年の夏休みも、思う存分、楽しんでやろう。

「ごちそうさまでした」
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