一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第七百三十三話 焼き明太子のおにぎり

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 人の心に余裕をもたらすものって、いろいろある。俺がよく思うのは、明太子だ。
 冷蔵庫に明太子があると、なんとなく強気になれる。
「んー……うま」
 ホカホカの白米に冷たい明太子。自分が買ってきた分はなくなったからちょっとしょんぼりしてたけど、父さんと母さんが買ってきてくれたんだ。いやはや、ありがたいことである。
 そうそう、明太子にマヨネーズを混ぜたのもうまい。塩気と唐辛子の辛さがまろやかになり、米によく合う。
「ごちそうさまでした」
 つい、おかわりをしてしまった。はは、腹パンパン。
「春都、今日の弁当はおにぎりにしたよ」
 委員会あるって言ってたでしょ、と母さんが台所から声をかけてくる。
「うん、ありがとう」
 委員会の集まりは、いつもの当番の時間よりも早い。昼飯早く食わなきゃいけないから、ありがたいことである。
「それと、卵焼きとプチトマトね。ソースカツも入れてるよ」
「分かった、ありがとう」
「おにぎりの中身は焼いた明太子ね」
 なんと、これは嬉しい。冷蔵庫ばかりか、今日は弁当にも明太子があるのか。
 ふっふっふ、今日は元気に行けそうだ。

 炎天下での体育も、心なしか楽しく感じられる。おいしいものの効果というのは計り知れないな。
 しかしそれでも……
「あっつい!」
 日陰で座っていたら、勇樹がやって来て隣に座った。今日は体育祭の競技である学年別クラス対抗リレーの選手決めをやっている。一応、選手を決めるときはクラス全員が走らなければならない。もう選手になる人って、ほぼ決まってんだけどなあ。
 最初は予選みたいな感じでざっくりとグループ分けされて、そっから上位者だけで決めてく感じだ。
 俺はもちろん、早々に敗退したが。
「なんだ、負けたのか」
「俺、足は速くないんだよ」
 そう言いながらも、くそー、と勇樹は少し悔しそうだ。俺はまあ、追い越されるっていうのはあまり愉快な気はしないが、最初から正直諦めてるとこあるから、なんとも。
「俺に比べりゃ、皆早いよ」
「春都はなんかあれだよな。あきらめが早い」
「ご明察。だから不戦敗でもいいんだけどな」
「はは、それはそれでいいな」
 校門のすぐそばに植えてあるデカい木から、セミの鳴き声が聞こえてくる。こないだよりも増えたかもしれない。すっかり夏だなあ。
「うぁ~、あっついなあ~。汗が止まんね~」
 勇樹は大判のタオルで汗を拭き、お茶をグイッと飲んだ。あまりの暑さに、授業中の水分補給が許されたのだった。
「はい、僕も終わり」
「お、宮野」
「大体さあ、ブロック別対抗でしょ、体育祭って」
 宮野は勇樹とは反対側の俺の隣に座り、眼鏡をはずした。
「それなのに学年別クラス対抗って、何」
「何なんだろうなあ」
 確かに、宮野の言う通りではある。クラス対抗リレーの成績は、得点に一切反映されない。ちょっとした名誉って感じだな。
「まー、いいんじゃない? 楽しければ」
 楽観的というか、投げやりな感じで勇樹が言う。
「てかさ、一条なんか、今日あんま不機嫌じゃないね」
 眼鏡をかけなおし、宮野が言う。
「いつもなら、めんどくさいだの早く終われだの、何かしら文句言ってんのに」
「俺を一体何だと思ってる……」
 しかしうっすら自覚している部分はあるので、強く反論できない。特にこんなに暑い日は、それに拍車がかかるものだ。
「まあ……うち、明太子あるし」
「明太子?」
 勇樹と宮野が声をそろえてそう言った。
 運動場では歓声が上がり、どうやら代表が決まったようだった。

「えっ、春都の教室、暑くね?」
 昼休み早々やってきた咲良は言うと、俺の弁当袋を勝手に取り上げた。
「おい、何すんだ」
「うちの教室の方が涼しいし、行こうぜ」
「あー……」
 いくら冷房が入っていたとはいえ、体育終わりの人の熱気で教室は蒸し暑く感じる。少し待っていれば、多少は涼しいんだが。まあ、今日は待っている時間もない。
「あ、ほんとだ。涼しい」
「な?」
 造りは同じだろうに、よその教室って、なんか変な感じがする。やっぱ、そこにいる人が違うからだろうか。
「こっち、この席余ってるから」
 なんでも、最初から机といすが一個余っていたらしい。誰の席でもないところに座るのは、ちょっとした安心感がある。
「いただきます」
 さて、おにぎりおにぎり。
 結構大きめのやつが二つ。表面にまぶされた塩が少しジャリッとしていて、汗をたくさんかいた体には嬉しい塩気だ。
 はー、米の甘味が落ち着くなあ。
 ふふふ、そして大本命、明太子。魚焼きグリルでしっかり焼かれた明太子は、うっすら白みがかっている。
 ジャク、としたような歯ざわり、プチプチ触感は生の時よりも増し、ぎゅっと味が凝縮したようだ。ふうっと鼻に抜けるとうがらしの風味と明太子の風味がいい。ひんやりした焼き明太子のおにぎりは、最高のごちそうである。
 プチトマトは楊枝に、卵焼きとともに刺さっていてなんかかわいらしい。はじける甘みと酸味が爽やかで、卵焼きはほろほろと甘い。
 ソースカツは甘み強めのソースがひたひたで、やわらかい衣と噛み応えのある臭みの無い肉がうまい。冷凍食品の中でも好きなやつだ。端っこの方はちょっとかたくて、うま味が凝縮している気がする。
 そして、もう一つおにぎりを。最後まで明太子が詰まってるの、嬉しいなあ。
「春都、なんかうれしそう」
 と、向かいでパンをほおばる咲良が言った。
「うまい?」
「うん」
 食べ終わるのは寂しいが、家にはまだまだあるのだ。焼きたてだって食べられるし、生でも食える。そう思うと、目の前のおにぎりを完食するのも、寂しさが半減するわけで。
「家の冷蔵庫に明太子あるって思うと、強気になれる」
 そう言うと、咲良は笑った。
「それ、めっちゃ分かる」
 その言葉に、思わず笑ってしまう。
 さて、そろそろ時間だ。ご飯よりも明太子の割合が多い最後の一口をほおばる。
 今度、焼いた明太子にも、マヨネーズつけてみよう。

「ごちそうさまでした」
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