一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第七百三十一話 たこ焼き

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 朝、家を出るときにスマホが震えた。また咲良か、とも思ったが、どうやら違うらしい。母さんだ。
『今日、帰る予定です。たぶん、夕方にはいると思う』
「おー。うめず。今日、父さんと母さん帰ってくるってよ」
「わふっ」
「了解……っと」
 返信して既読がついたのを確認して、電源を切る。外は梅雨の晴れ間とはいうが、ほぼ真夏のような空である。
「じゃ、行ってきます」
 今日の晩飯は、何が食えるかな。

 梅雨よりも真夏の方が好きだ。明るいし、天気がいいから洗濯物もよく乾くし、太陽が出ていると元気が出る気がするから。あんまり暑すぎるとしんどいけど。
「さて、夏休み前はどこまで進めようかね~」
 教壇に立つ先生が、教科書をめくりながら言う。
 夏休み、その言葉に少しだけ教室が色めき立つ。大量の課題が与えられるであろう憂鬱と課外授業や部活動の疲労、しかしそれでもやはり、いつもよりも長く自由のきく休みが来るという高揚。夏休みって、やっぱり特別な感じがする。
 今年はどんな夏になるんだろうなあ、とぼんやり考えていたら、窓の外からセミの鳴き声が聞こえてきた。
「お? セミか?」
 先生がフイッと窓の外に視線をやった。
「早いなあ。まだ梅雨も明けていないのに」
 ……あ、そうか。暑すぎて何も思わなかったが、今はまだ梅雨真っただ中である。
 確かにセミが鳴き始めるのは、梅雨の終わりというイメージがある。ということは、今鳴いているのはフライングした奴ってことか。
 せっかちなのか、勘違いしたのか。まあ、こんだけ暑けりゃ勘違いもするか。
「そろそろ梅雨明けか? じゃあ、あれだ。体育祭の準備もそろそろ始まるな」
 先生のその言葉に、教室の面々は様々な反応を示す。楽しげに笑う者、急に元気になる者、一方で急に元気がなくなる者、深いため息をつく者。
 俺はどっちかっていうと、後者寄りではある。でも、今まで程ではない。
 なにせ、放送部だからな。競技には参加しないし、準備や練習は大変だけどそんなに嫌じゃないし……
 いやなことが減っていくって、気が楽だな。
 先生は雑談スイッチが入ったのか、あるいは教科書の進度に余裕があると判断したのか、いったん教科書を置いた。
 それからいつもより少し長めの雑談タイムがあって、やっと授業になった。
 少し授業が短くなったのは、ちょっとラッキーだったな。暑いと授業も疲れるんだ。いくらクーラーが効いているとはいえ、だ。
 遊園地だと、歩き回ってもそうでもないんだけどなあ。不思議なもんだ。

 放課後、まだ明るい空の下を急ぐ。
「ただいま」
 帰り着き、廊下と今をつなぐ扉を開ける。乾燥した冷気がすうっと体を吹き抜け、夕方のワイドショーの声が聞こえてくる。
「おかえり~」
「父さんと母さんも、おかえり」
「うん」
 うめずは父さんと母さんの間を行ったり来たりして、尻尾をパタパタと揺らしている。
 今回は父さんも母さんも、しばらくは家にいられるらしい。
「遊園地はどうだった?」
 少し早めの風呂に入り、さっぱりして居間に戻ると母さんが聞いてきた。何やら今日は、ごちそうの予感がするテーブルを眺めながら、「楽しかったよ」と答える。
「あ、そうだ」
 部屋に戻り、お土産の箱を持って、ついでにクーラーのタイマーを入れてカーテンを閉めて居間に戻る。
「はい、お土産」
「わ、ありがとう~」
「ありがとうな……おお、マグカップだ」
 父さんも母さんも気に入ってくれたようだ。仕事に持って行くか家で使うかでひとしきり悩んで、結局、家でゆっくりするときに使うと決めたらしい。
「せっかくだし洗って、明日の朝使おう」
 母さんはさっそくマグカップを洗い、食器乾燥機に入れた。
 さて、今日の晩飯はいったいなんだろうか。なんて、考える間もないような準備がされている。小さな丸いくぼみの鉄板、ガスコンロ、サラサラの生地にぶつ切りのたことその他薬味……これは、たこ焼きだ。
「さて、お腹空いたでしょう。食べましょ」
 よっしゃ、久しぶりのたこ焼きだ。
 ガスコンロに火をつけ、鉄板が温まりだしたら、丸めたキッチンペーパーで油を敷いていく。しっかり熱されたら、生地を入れる。たこを一つずつ入れ、紅しょうがとねぎと天かすを散りばめ、焼けるのを待つ。
 そろそろ焼けたかな、というところで試しに竹串でつついてみる。おお、いい感じ。
 広がった生地を切り分け、くるっと回す。これ、難しいよなあ。お好み焼きもだけど、粉ものって、ひっくり返すというこの工程の難易度の高さが異様だと思う。
 でも、だからこそうまくいくと嬉しいものだ。
 まん丸きれいな……とはいかないが、うまく焼けた。
「いただきます」
 ソースとマヨネーズをかけて、青のりとかつお節も。不格好だが、これがいい。これが、うちのたこ焼きだ。
 パリ、サクッとした表面。あ、天かすが香ばしい。温まった紅しょうがは少し柔らかくて不思議な食感だ。酸味が爽やかで心地よい。ねぎもいいなあ。
 トロッと、というよりふわっとした中身に、たこの弾力。大ぶりに切ってあるから、味がよく分かる。吸盤の食感がまた面白い。こんな大ぶりのたこが入ったたこ焼きって、お店じゃなかなかない気がする。ぜいたくだ。
 ジュワッと染み出したこのうま味とソース味が、なんだか夏っぽい。
 変わり種に何か違うものを入れて見てもいいのだが、なんか今日は、ずっとこのままでいい気もする。チーズとかもうまいんだろうけど、今日は、たこ一筋で行こう。
 あ、二つ入ったやつがある。なんか得した。二つも入ってると、たこの主張がすごいなあ。たこ焼きっていうより、たこに少し生地をつけました、って感じになる。
 次々焼いていくと、皿の上にたこ焼きの山ができる。その見た目が何となく好きだ。
 少し冷えたたこ焼きは食べやすい温度で、一口で食べられていい。しんなりした表面もまた、香ばしくていいものだ。
 タコパってやつは一人じゃできないから、楽しいな。
 またやりたいなあ。

「ごちそうさまでした」
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