一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第七百二十二話 牛丼

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 梅雨入りした町は連日雨に濡れていたが、今日は少しばかり晴れ間を見せていた。
「今日は蒸し暑いねえ」
 図書館の窓から外を見ながら、漆原先生は言った。セミにも似た鳴き声の虫がいるのか、外からは、機械音とはまた違う、じーっという音が聞こえてくる。
「でも、図書館は居心地いいですよ」
 確かに外は蒸し暑い。これまで蓄えた水分が、太陽に照らされて空気中に出てきたみたいだ。かたや図書館はさらっとしていて、教室とは違う涼しさがある。教室は蒸し暑い空気を無理やりクーラーで冷やした感じだ。
 体の表面に結露ができそうな感じである。実際、窓はたまに曇っている。落書きされているのを見ると、なんだか冬の窓を思い出す。
「ずっと図書館にいたいくらいです」
 今日は当番ではないので、借りたい本を吟味する。
「はは、いてもらってもいんだぞ」
「手伝わせる気でしょう、いろいろ」
「まあな」
「別にいいですけど、欠席扱いになりますしねぇ」
 お、これは新刊か。料理の本、ちょっと増えてる。ふーん、童話に出てくるあのお菓子を自分で作ってみよう……なんだか、夏休みの自由研究の題材になりそうだな。
 お菓子の家は、一度作ってみたいなあ。
「先生の力でどうにかできませんか」
「俺にそんな力があるわけないだろう」
 先生は気だるげに笑い、カウンターの方へ向かった。
 なんか、お菓子以外の本がないかな。お、これは……丼特集。なるほど、いろんな丼物の写真が載ってるわけだ。へー……天丼、親子丼、かつ丼……基本の作り方も載っている。へえ、こんな本あったんだ。
 こういう本って、どこに売ってんだろう。やっぱ料理本の棚? 意外と見ないんだよなー、おしゃれなやつ前面に出てて、ちょっとしり込みしてしまう。
 でも一回、カフェメニューとかやってみたい気もある。
「なーに物思いにふけってんだよ、春都」
「咲良か」
 今日は少しばかり回復したようで、咲良はいつも通りの笑みを浮かべていた。咲良はのっしりと体重をかけてくる。
「重い」
「何読んでんの? ……丼特集?」
 タイトルを確認した咲良は、ふっと笑った。
「何を真剣に悩んでるかと思えば、飯か!」
「いいだろ、別に」
「誰も悪いとは言ってねーよ。ただ、なんか難しい本読んでんのかな、って思っただけ」
 春都らしくていいじゃん、と咲良は言いながら本を取り上げる。そして近くのテーブルに向かい、椅子に座った。
「せっかくだし、座って読もうぜ」
「……ああ」
 向かいに座ると、咲良はテーブルに本を置いた。
「おっ、かつ丼あるぞ、かつ丼」
「お前ほんと好きだなあ」
「へー、いろいろあるんだなあ。ふーん……」
 しばらくあれこれ言いながらページをめくっていた咲良だったが、やがて口数は減り、しまいにはすっかり黙ってしまった。
「お前も深刻そうな顔してんじゃねーか」
 しばらくしてそう声をかけると、咲良はパッと顔を上げ、「へへっ」と笑った。
「見入っちゃうな、これ」
「だろ?」
「でも正直さあ、なんか米にのせたら丼ものじゃね?」
「そんな身もふたもない……」
 しかし、少しそう思っていた節はあるので、強くは言えない。冷蔵庫に余ったもののっけたやつでも、丼だしなあ。よくやる。
 簡単な料理に分類されがちな丼物。奥が深く世界が広いようで、その実、単純なのかもしれない。
 丼の可能性、計り知れず。

 思わず借りたこの本だが、ちょっと自分用にも欲しくなってしまった。
 いろいろ珍しいものもあるとはいえ、普段食べる丼ってのはやっぱり決まっている。豚丼とか、牛丼とか。
 今日は、ばあちゃんが買い置きしてくれていた牛のこま切れ肉で、牛丼を作る。
 深めのフライパンに水を入れ、砂糖、しょうゆ、みりんを入れてよく混ぜる。薄く切った玉ねぎを入れて少し煮たら、そこに牛肉を入れ、くつくつと火を通す。
 しっかり火を通しつつ、かたくなりすぎないように。
 ちょっと味見してみよう。
「……よし、うまい」
 基本目分量だから、同じ味は二度とできない……が、似た味にはなる。やっぱ、人の感覚ってバカにできない。
 どんぶりにご飯を盛って、つゆだくにして、具をのせる。これ、うどんにのせてもうまいんだ。
 紅しょうがも忘れちゃいけない。
「いただきます」
 まずは肉だけで食べてみる。
 うんうん、いい火の通り具合。ひらひらの牛肉は柔らかく、噛みしめると牛肉特有のうま味が染み出してくる。脂身は少ないが、甘味がある。いっぱい入れたから、たっぷりほおばることができてうまい。
 つゆだくにしたご飯はしっとりしていて、ちょっとお粥みたいになった。でも、ご飯のかたさもちゃんと残っているから、その差がいい。
 甘いご飯って、なんでこんなうまいんだろう。
 そして、丼たるもの、具と一緒に食わないとな。うまいこと肉をご飯にのせ、ご飯をしっかり救いあげ、ぱくっと一口。
 んー、うまい。甘い牛肉と、トロトロの玉ねぎになじむ、柔らかなご飯。鼻に抜ける風味もよく、口の中にある米がなくなる前に次をほおばってしまう。口いっぱい、幸せだ。牛肉って、うまかったんだなあ。あんま食わないから、ちょっと忘れがちである。
 紅しょうがものせてみる。うん、爽やか。シャキッと食感に酸味のある味わいが、甘めの牛丼によく合うのだ。
 丼って、洗い物も少ないから、食べている間の気が楽だ。食器が多いと、食い終わったらこれ全部洗うのかあ……って、時々よぎる。
 今度はどんな丼作ろっかな。牛肉なら、焼き肉丼とかいいかもなあ。
 あとでじっくり、あの本、読んでみよう。

「ごちそうさまでした」
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