774 / 854
日常
第七百二十二話 牛丼
しおりを挟む
梅雨入りした町は連日雨に濡れていたが、今日は少しばかり晴れ間を見せていた。
「今日は蒸し暑いねえ」
図書館の窓から外を見ながら、漆原先生は言った。セミにも似た鳴き声の虫がいるのか、外からは、機械音とはまた違う、じーっという音が聞こえてくる。
「でも、図書館は居心地いいですよ」
確かに外は蒸し暑い。これまで蓄えた水分が、太陽に照らされて空気中に出てきたみたいだ。かたや図書館はさらっとしていて、教室とは違う涼しさがある。教室は蒸し暑い空気を無理やりクーラーで冷やした感じだ。
体の表面に結露ができそうな感じである。実際、窓はたまに曇っている。落書きされているのを見ると、なんだか冬の窓を思い出す。
「ずっと図書館にいたいくらいです」
今日は当番ではないので、借りたい本を吟味する。
「はは、いてもらってもいんだぞ」
「手伝わせる気でしょう、いろいろ」
「まあな」
「別にいいですけど、欠席扱いになりますしねぇ」
お、これは新刊か。料理の本、ちょっと増えてる。ふーん、童話に出てくるあのお菓子を自分で作ってみよう……なんだか、夏休みの自由研究の題材になりそうだな。
お菓子の家は、一度作ってみたいなあ。
「先生の力でどうにかできませんか」
「俺にそんな力があるわけないだろう」
先生は気だるげに笑い、カウンターの方へ向かった。
なんか、お菓子以外の本がないかな。お、これは……丼特集。なるほど、いろんな丼物の写真が載ってるわけだ。へー……天丼、親子丼、かつ丼……基本の作り方も載っている。へえ、こんな本あったんだ。
こういう本って、どこに売ってんだろう。やっぱ料理本の棚? 意外と見ないんだよなー、おしゃれなやつ前面に出てて、ちょっとしり込みしてしまう。
でも一回、カフェメニューとかやってみたい気もある。
「なーに物思いにふけってんだよ、春都」
「咲良か」
今日は少しばかり回復したようで、咲良はいつも通りの笑みを浮かべていた。咲良はのっしりと体重をかけてくる。
「重い」
「何読んでんの? ……丼特集?」
タイトルを確認した咲良は、ふっと笑った。
「何を真剣に悩んでるかと思えば、飯か!」
「いいだろ、別に」
「誰も悪いとは言ってねーよ。ただ、なんか難しい本読んでんのかな、って思っただけ」
春都らしくていいじゃん、と咲良は言いながら本を取り上げる。そして近くのテーブルに向かい、椅子に座った。
「せっかくだし、座って読もうぜ」
「……ああ」
向かいに座ると、咲良はテーブルに本を置いた。
「おっ、かつ丼あるぞ、かつ丼」
「お前ほんと好きだなあ」
「へー、いろいろあるんだなあ。ふーん……」
しばらくあれこれ言いながらページをめくっていた咲良だったが、やがて口数は減り、しまいにはすっかり黙ってしまった。
「お前も深刻そうな顔してんじゃねーか」
しばらくしてそう声をかけると、咲良はパッと顔を上げ、「へへっ」と笑った。
「見入っちゃうな、これ」
「だろ?」
「でも正直さあ、なんか米にのせたら丼ものじゃね?」
「そんな身もふたもない……」
しかし、少しそう思っていた節はあるので、強くは言えない。冷蔵庫に余ったもののっけたやつでも、丼だしなあ。よくやる。
簡単な料理に分類されがちな丼物。奥が深く世界が広いようで、その実、単純なのかもしれない。
丼の可能性、計り知れず。
思わず借りたこの本だが、ちょっと自分用にも欲しくなってしまった。
いろいろ珍しいものもあるとはいえ、普段食べる丼ってのはやっぱり決まっている。豚丼とか、牛丼とか。
今日は、ばあちゃんが買い置きしてくれていた牛のこま切れ肉で、牛丼を作る。
深めのフライパンに水を入れ、砂糖、しょうゆ、みりんを入れてよく混ぜる。薄く切った玉ねぎを入れて少し煮たら、そこに牛肉を入れ、くつくつと火を通す。
しっかり火を通しつつ、かたくなりすぎないように。
ちょっと味見してみよう。
「……よし、うまい」
基本目分量だから、同じ味は二度とできない……が、似た味にはなる。やっぱ、人の感覚ってバカにできない。
どんぶりにご飯を盛って、つゆだくにして、具をのせる。これ、うどんにのせてもうまいんだ。
紅しょうがも忘れちゃいけない。
「いただきます」
まずは肉だけで食べてみる。
うんうん、いい火の通り具合。ひらひらの牛肉は柔らかく、噛みしめると牛肉特有のうま味が染み出してくる。脂身は少ないが、甘味がある。いっぱい入れたから、たっぷりほおばることができてうまい。
つゆだくにしたご飯はしっとりしていて、ちょっとお粥みたいになった。でも、ご飯のかたさもちゃんと残っているから、その差がいい。
甘いご飯って、なんでこんなうまいんだろう。
そして、丼たるもの、具と一緒に食わないとな。うまいこと肉をご飯にのせ、ご飯をしっかり救いあげ、ぱくっと一口。
んー、うまい。甘い牛肉と、トロトロの玉ねぎになじむ、柔らかなご飯。鼻に抜ける風味もよく、口の中にある米がなくなる前に次をほおばってしまう。口いっぱい、幸せだ。牛肉って、うまかったんだなあ。あんま食わないから、ちょっと忘れがちである。
紅しょうがものせてみる。うん、爽やか。シャキッと食感に酸味のある味わいが、甘めの牛丼によく合うのだ。
丼って、洗い物も少ないから、食べている間の気が楽だ。食器が多いと、食い終わったらこれ全部洗うのかあ……って、時々よぎる。
今度はどんな丼作ろっかな。牛肉なら、焼き肉丼とかいいかもなあ。
あとでじっくり、あの本、読んでみよう。
「ごちそうさまでした」
「今日は蒸し暑いねえ」
図書館の窓から外を見ながら、漆原先生は言った。セミにも似た鳴き声の虫がいるのか、外からは、機械音とはまた違う、じーっという音が聞こえてくる。
「でも、図書館は居心地いいですよ」
確かに外は蒸し暑い。これまで蓄えた水分が、太陽に照らされて空気中に出てきたみたいだ。かたや図書館はさらっとしていて、教室とは違う涼しさがある。教室は蒸し暑い空気を無理やりクーラーで冷やした感じだ。
体の表面に結露ができそうな感じである。実際、窓はたまに曇っている。落書きされているのを見ると、なんだか冬の窓を思い出す。
「ずっと図書館にいたいくらいです」
今日は当番ではないので、借りたい本を吟味する。
「はは、いてもらってもいんだぞ」
「手伝わせる気でしょう、いろいろ」
「まあな」
「別にいいですけど、欠席扱いになりますしねぇ」
お、これは新刊か。料理の本、ちょっと増えてる。ふーん、童話に出てくるあのお菓子を自分で作ってみよう……なんだか、夏休みの自由研究の題材になりそうだな。
お菓子の家は、一度作ってみたいなあ。
「先生の力でどうにかできませんか」
「俺にそんな力があるわけないだろう」
先生は気だるげに笑い、カウンターの方へ向かった。
なんか、お菓子以外の本がないかな。お、これは……丼特集。なるほど、いろんな丼物の写真が載ってるわけだ。へー……天丼、親子丼、かつ丼……基本の作り方も載っている。へえ、こんな本あったんだ。
こういう本って、どこに売ってんだろう。やっぱ料理本の棚? 意外と見ないんだよなー、おしゃれなやつ前面に出てて、ちょっとしり込みしてしまう。
でも一回、カフェメニューとかやってみたい気もある。
「なーに物思いにふけってんだよ、春都」
「咲良か」
今日は少しばかり回復したようで、咲良はいつも通りの笑みを浮かべていた。咲良はのっしりと体重をかけてくる。
「重い」
「何読んでんの? ……丼特集?」
タイトルを確認した咲良は、ふっと笑った。
「何を真剣に悩んでるかと思えば、飯か!」
「いいだろ、別に」
「誰も悪いとは言ってねーよ。ただ、なんか難しい本読んでんのかな、って思っただけ」
春都らしくていいじゃん、と咲良は言いながら本を取り上げる。そして近くのテーブルに向かい、椅子に座った。
「せっかくだし、座って読もうぜ」
「……ああ」
向かいに座ると、咲良はテーブルに本を置いた。
「おっ、かつ丼あるぞ、かつ丼」
「お前ほんと好きだなあ」
「へー、いろいろあるんだなあ。ふーん……」
しばらくあれこれ言いながらページをめくっていた咲良だったが、やがて口数は減り、しまいにはすっかり黙ってしまった。
「お前も深刻そうな顔してんじゃねーか」
しばらくしてそう声をかけると、咲良はパッと顔を上げ、「へへっ」と笑った。
「見入っちゃうな、これ」
「だろ?」
「でも正直さあ、なんか米にのせたら丼ものじゃね?」
「そんな身もふたもない……」
しかし、少しそう思っていた節はあるので、強くは言えない。冷蔵庫に余ったもののっけたやつでも、丼だしなあ。よくやる。
簡単な料理に分類されがちな丼物。奥が深く世界が広いようで、その実、単純なのかもしれない。
丼の可能性、計り知れず。
思わず借りたこの本だが、ちょっと自分用にも欲しくなってしまった。
いろいろ珍しいものもあるとはいえ、普段食べる丼ってのはやっぱり決まっている。豚丼とか、牛丼とか。
今日は、ばあちゃんが買い置きしてくれていた牛のこま切れ肉で、牛丼を作る。
深めのフライパンに水を入れ、砂糖、しょうゆ、みりんを入れてよく混ぜる。薄く切った玉ねぎを入れて少し煮たら、そこに牛肉を入れ、くつくつと火を通す。
しっかり火を通しつつ、かたくなりすぎないように。
ちょっと味見してみよう。
「……よし、うまい」
基本目分量だから、同じ味は二度とできない……が、似た味にはなる。やっぱ、人の感覚ってバカにできない。
どんぶりにご飯を盛って、つゆだくにして、具をのせる。これ、うどんにのせてもうまいんだ。
紅しょうがも忘れちゃいけない。
「いただきます」
まずは肉だけで食べてみる。
うんうん、いい火の通り具合。ひらひらの牛肉は柔らかく、噛みしめると牛肉特有のうま味が染み出してくる。脂身は少ないが、甘味がある。いっぱい入れたから、たっぷりほおばることができてうまい。
つゆだくにしたご飯はしっとりしていて、ちょっとお粥みたいになった。でも、ご飯のかたさもちゃんと残っているから、その差がいい。
甘いご飯って、なんでこんなうまいんだろう。
そして、丼たるもの、具と一緒に食わないとな。うまいこと肉をご飯にのせ、ご飯をしっかり救いあげ、ぱくっと一口。
んー、うまい。甘い牛肉と、トロトロの玉ねぎになじむ、柔らかなご飯。鼻に抜ける風味もよく、口の中にある米がなくなる前に次をほおばってしまう。口いっぱい、幸せだ。牛肉って、うまかったんだなあ。あんま食わないから、ちょっと忘れがちである。
紅しょうがものせてみる。うん、爽やか。シャキッと食感に酸味のある味わいが、甘めの牛丼によく合うのだ。
丼って、洗い物も少ないから、食べている間の気が楽だ。食器が多いと、食い終わったらこれ全部洗うのかあ……って、時々よぎる。
今度はどんな丼作ろっかな。牛肉なら、焼き肉丼とかいいかもなあ。
あとでじっくり、あの本、読んでみよう。
「ごちそうさまでした」
24
お気に入りに追加
253
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!


妻を蔑ろにしていた結果。
下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。
主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。
小説家になろう様でも投稿しています。
「一晩一緒に過ごしただけで彼女面とかやめてくれないか」とあなたが言うから
キムラましゅろう
恋愛
長い間片想いをしていた相手、同期のディランが同じ部署の女性に「一晩共にすごしただけで彼女面とかやめてくれないか」と言っているのを聞いてしまったステラ。
「はいぃ勘違いしてごめんなさいぃ!」と思わず心の中で謝るステラ。
何故なら彼女も一週間前にディランと熱い夜をすごした後だったから……。
一話完結の読み切りです。
ご都合主義というか中身はありません。
軽い気持ちでサクッとお読み下さいませ。
誤字脱字、ごめんなさい!←最初に謝っておく。
小説家になろうさんにも時差投稿します。
サンスクミ〜学園のアイドルと偶然同じバイト先になったら俺を3度も振った美少女までついてきた〜
野谷 海
恋愛
「俺、やっぱり君が好きだ! 付き合って欲しい!」
「ごめんね青嶋くん……やっぱり青嶋くんとは付き合えない……」
この3度目の告白にも敗れ、青嶋将は大好きな小浦舞への想いを胸の内へとしまい込んで前に進む。
半年ほど経ち、彼らは何の因果か同じクラスになっていた。
別のクラスでも仲の良かった去年とは違い、距離が近くなったにも関わらず2人が会話をする事はない。
そんな折、将がアルバイトする焼鳥屋に入ってきた新人が同じ学校の同級生で、さらには舞の親友だった。
学校とアルバイト先を巻き込んでもつれる彼らの奇妙な三角関係ははたしてーー
⭐︎毎日朝7時に最新話を投稿します。
⭐︎もしも気に入って頂けたら、ぜひブックマークやいいね、コメントなど頂けるととても励みになります。
※表紙絵、挿絵はAI作成です。
※この作品はフィクションであり、作中に登場する人物、団体等は全て架空です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる