一条春都の料理帖

藤里 侑

文字の大きさ
上 下
754 / 854
日常

第七百四話 麻婆豆腐

しおりを挟む
 今日は朝から、しとしとと冷たい雨が降っている。空気はひんやりとして、少し湿っぽい。
「めんどくさいなあ……」
 こういう天気の日に学校行くの、嫌なんだよなあ。休みの日だったら十中八九家に引きこもるな。ゲームしたり、音楽聞いたり、動画見たり……ああ、いいなあ。
 ま、現実逃避はこれくらいにして。行くとしますか。
「は~……行ってきます」
「大きいため息」
 そう言って母さんは笑い、笠を差し出した。
「気を付けて行ってらっしゃい」
「車が多いだろうからな。気を付けるんだぞ」
「わうっ」
「はーい。行ってきまーす」
 吹き込んでくるようなことはないが、淡々と降り続く雨である。これは長く降りそうだ。帰りも降ってんだろうなあ。

 こういう雨の日は、校舎内もどこか薄暗い。電気はついているが、まるで夜みたいだ。廊下もなんか濡れてるし、ロッカーはひんやりして結露っぽいのができている。
 夕方にもなれば、その暗さは増し、すっかり夜そのものだ。せっかく日が長くなったというのになあ。
「教科書がしんなりしている……」
「あ、一条だ」
「ん? おー、朝比奈」
 いつもより五割り増しで重そうな髪をした朝比奈が、教室の方からやってくる。
「今日図書館当番だっけ、朝比奈」
「ああ」
「俺も図書館行こう。返す本があるんだ」
 渡り廊下を行く途中、風が吹いたのか、雨が窓にざあっと当たった。朝比奈は外に視線を向ける。
「帰りまでに止むといいけど……」
「そうだな」
 多分、今日は一日降り続くだろう。
 雨の日の放課後は、校舎内がいつにも増して騒がしい。外で練習ができない部活の部員たちがひしめいているからだ。野球部、サッカー部、陸上部にテニス部……賑やかすぎる。図書館の前まで人がひしめいてるぞ。
 合間に、吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。これはいつもの通りだ。しかし、それがまた、この喧騒を増長させている。
「雨の日の放課後は、相変わらず騒がしいなあ」
 そう言うと、朝比奈は頷き、「図書館の中まで地響きしてるよ」と真面目な顔で言った。
「地響きって。まあ、言いたいことは分かるけど」
 これは、とっとと帰るか、時間を置いて帰るかしないと、昇降口までたどり着けないかもしれないな。とっとと返して、とっとと帰ろう。
 陸上部が走り込みを始める寸前だった一年生の廊下を通り過ぎ、昇降口の軒先で野球部が素振りしているところをかいくぐり、柔道部と卓球部と剣道部が活動をしている体育館の一階と、バスケ部とバレー部が練習している二階から聞こえてくるいろんな音をBGMに、帰路につく。
 傘という荷物が一つ増えた状態で、いつも以上に帰りにくいコースである。しかし、校門を出てしまえばこっちのもんだ。
「明日は晴れるといいなあ」
 そんなつぶやきも、雨の音にかき消されてしまう。
 小学生の送迎の車も多い。幼稚園はすっかり静かだ。おっ、レインコート集団。ランドセルを背負っている部分が大きく膨らんで、なんともアンバランスなフォルムが小学生っぽい。
 中学生は、カッパ着て自転車乗って大変だなあ。あ、それは高校生になってもそうか。雨の日って、登下校面倒だよなあ。
 雨の日って薄暗いから、余計に気分が萎えるし……
「……あ」
 自分ちが見えてきて、ふと見上げると、うちの部屋にこうこうと明かりがついているのが目に入る。
 そっか、今、父さんと母さんがいるのか。
 いつも通り真っ暗な窓を想像祖いていたから、少しびっくりしてしまった。そうだよな、こんだけ薄暗いと部屋も暗いだろうし、人がいるならそりゃ、つけるよな。
「ただいま~」
 廊下から居間につながる扉を開ける。
 ほんのりオレンジ色の光、外よりも少し温かい部屋、台所からはお湯が沸ける音がしていて、テレビの音が賑やかだ。
「おかえり。お疲れ様」
「おかえり」
「わう!」
「……うん、ただいま」
 なんだかそれがすごくまぶしい気がして、緩む頬をごまかすために、目を細める。
 胸のあたりがきゅうってなって、涙が出そうになるのを必死でこらえた。

 風呂から上がると、何やらスパイシーな香りがした。このスパイシーさはカレーではなく、唐辛子か。
「ちょうどできてるよ。食べよう」
 おっ、麻婆豆腐だ。いいなあ。
「今日はちゃんと豆腐茹でたから、おいしいと思うよ~」
「豆腐を茹でると、おいしくなるのか?」
 そう聞くのは父さんだ。母さんは頷いた。
「そうよ。水分が抜けてね」
「へぇ」
 俺もそれは分かっているし、作り方の手順にも載っているが、やったことはあまりない。ひと手間だもんなあ。
「いただきます」
 大皿にたっぷりと盛られた麻婆豆腐。豆腐はフルフルと揺れ、オレンジ色の油がキラッと光る。
 まろやかな口当たり、次いでやってくる辛さ。確かに辛いが、痛いとか食べられないほどのものではない。淡白な豆腐と豚バラ肉に合う、程よい辛さだ。
 肉は、豚バラ肉を細かく切ったものだ。脂がジューシーで、肉のところはうま味が凝縮している。ひき肉のやつとか、鶏肉でもうまいんだけど、中華料理にはなんとなく豚肉が合う気がする。
 豆腐が確かに、いつもと違う。水分が抜けているというのがよく分かるな。水っぽくない分、味も濃いし豆腐独特のにおいがないというか……豆腐の味は確かに分かるんだけど、麻婆豆腐としての味付けによくなじんでいる。
 これをご飯にかけてかきこむのが好きだ。飯食ってるって実感できる。
 ほろほろと崩れるごはん。噛みしめると甘さが滲み出してきて、麻婆豆腐の辛さとよく合うんだ。本格的な中華だとこうはいかなのだろうか。うまいんだよなあ、この食い方。
 最後までしっかり、ご飯でからめとって食べる。ちょっとご飯の割合が多めになって、辛さは薄まる。
 ここまで食ってこそ、麻婆豆腐である。はあ、うまかった。

「ごちそうさまでした」
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

「一晩一緒に過ごしただけで彼女面とかやめてくれないか」とあなたが言うから

キムラましゅろう
恋愛
長い間片想いをしていた相手、同期のディランが同じ部署の女性に「一晩共にすごしただけで彼女面とかやめてくれないか」と言っているのを聞いてしまったステラ。 「はいぃ勘違いしてごめんなさいぃ!」と思わず心の中で謝るステラ。 何故なら彼女も一週間前にディランと熱い夜をすごした後だったから……。 一話完結の読み切りです。 ご都合主義というか中身はありません。 軽い気持ちでサクッとお読み下さいませ。 誤字脱字、ごめんなさい!←最初に謝っておく。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

「今日でやめます」

悠里
ライト文芸
ウエブデザイン会社勤務。二十七才。 ある日突然届いた、祖母からのメッセージは。 「もうすぐ死ぬみたい」 ――――幼い頃に過ごした田舎に、戻ることを決めた。

サンスクミ〜学園のアイドルと偶然同じバイト先になったら俺を3度も振った美少女までついてきた〜

野谷 海
恋愛
「俺、やっぱり君が好きだ! 付き合って欲しい!」   「ごめんね青嶋くん……やっぱり青嶋くんとは付き合えない……」 この3度目の告白にも敗れ、青嶋将は大好きな小浦舞への想いを胸の内へとしまい込んで前に進む。 半年ほど経ち、彼らは何の因果か同じクラスになっていた。 別のクラスでも仲の良かった去年とは違い、距離が近くなったにも関わらず2人が会話をする事はない。 そんな折、将がアルバイトする焼鳥屋に入ってきた新人が同じ学校の同級生で、さらには舞の親友だった。 学校とアルバイト先を巻き込んでもつれる彼らの奇妙な三角関係ははたしてーー ⭐︎毎日朝7時に最新話を投稿します。 ⭐︎もしも気に入って頂けたら、ぜひブックマークやいいね、コメントなど頂けるととても励みになります。 ※表紙絵、挿絵はAI作成です。 ※この作品はフィクションであり、作中に登場する人物、団体等は全て架空です。

処理中です...