一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

番外編 石上彰彦のつまみ食い③

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 日が昇るかどうか、という時間。石上彰彦は浅い眠りから目を覚ます。
「んん……」
 実に不機嫌そうな声でうなりスマホで時間を確認すると、肺の息をすべて吐き出すようなため息をついた。
 体は疲れていて眠気も相当なはずなのになかなか寝付けず、うとうとし、訳の分からない夢を見るような浅い眠りについたかと思えば、妙に冴えた脳は深い眠りに入るのを妨げ、今目が覚めたのも何度目か。
 石上は目をこすり、もう一度うなると、布団にもぐりこんだ。
 家の周辺はまだ寝静まり、冷たい風が吹いている。桜の花はとうに散って、藤の花が見頃の季節である。
「……起きるか」
 無理やり寝ようとしても、ますます頭は冴えるばかり。このまま布団の中にいてもイライラが募る一方なので、石上は思い切って身を起こした。
 そうなると眠気が襲ってくるから、どうにもならないものである。
 石上は眼鏡をかけ、大きなあくびをした後、ベッドから降りる。ひんやりとした床は心地よく、少し頭がすっきりした。
 身支度を済ませるために廊下に出る。手入れの行き届いた小さな中庭が見え、うっすらと日差しが見え始めていた。
「ふぁ~あ」
 石上は見慣れたその景色に何の感慨も抱かないまま洗面所へ向かい、今日のことを考えた。
 家の者たちはそれぞれ、出かけることになっている。予定が何もないのは自分だけだ。家の者が外出に誘うわけでもなく、誘われたところで着いていくつもりもない。
「どーすっかなぁ……」
 どこかに出かけるのも億劫だが、無為に過ごすのももったいない。
 矛盾するような思いのまま身支度を済ませたら、再び部屋に戻る。枕元に置いていたスマホを見れば、さほど時間は立っていないつもりだったが、目が覚めて三十分ちょっと過ぎていることに気が付いた。
 まだ周辺の店は開いていないし、朝食には早すぎる。さて、どうしたものかと石上は再び考えこんだ。
「……ま、いいか」
 石上は再びベッドに寝転がった。
 ゴロゴロ、だらだらするのは何とぜいたくで、幸せなことだろう。そう思いながら、石上はスマホで動画を見始めた。

 それから本を読んだり、テレビを見たりした後、家の者が出払ってから石上も外出することにした。
 日が昇り、街は目を覚ます。平日とは色合いも雰囲気も違う人波に、石上は静かに紛れ込んだ。
「バスどれ乗るの~?」
「何食べる?」
「おかしやさん行くの~」
『……一番乗り場……電車が到着します』
 様々な声が飛び交い、アナウンスが響き、電車の走る音と発車ベルが聞こえる駅ビルを石上は何の目的もなく歩く。すいっと人混みから逸れれば、あっという間に辺りは静かになる。
 耳鳴りのような音の中、石上は、病院が並ぶ道を行く。人の気配のない雑居ビルの合間を抜け、気が付けば、いつもの通り道である商店街に足が向いていた。無意識とは恐ろしいものだ、と石上は思う。
「あ、そういえば……」
 いつもの見に行っている店が店先で焼き鳥を売っていたはずだ、と思い出し、少し足取りが軽くなる。
 せっかくの休みだ。少しくらい、朝から飲んだっていいだろう。
「お、先客が」
 一番だと思ったが、と石上は少し驚く。しかも並んでいるのが高校生くらいの少年だったから余計にだ。しかし、小学生もおやつに買いに来るくらいだから、何もおかしなことはないか、と思い直す。
「こっちもいいですか?」
 少年が注文を終えるのを見計らって言うと、少年はさっと横によけ石上の前を空けた。
「やあ、石上さん。いらっしゃい。いつも通りで?」
「はい」
 気の利く若者もいるもんだ、と石上が思っていると、その少年は石上に声をかけた。
「石上先生」
「ん? ああ、一条君だったのか。奇遇だな」
 学校には多くの生徒がいる中、石上にしては珍しく、よく話をする生徒の一人である。一条は頷くと、「本当に」と言った。
 一条は自分の注文した分を受け取ると、石上に会釈をして帰って行った。
 その軽やかな足取りの後姿を見送る石上。どこかまだ冷たい風が、商店街を吹き抜けた。

 まだ暖かい包みを片手に、台所の冷蔵庫を眺める石上。悩んだ末にとりだしたのは、ハイボールだった。
「さて、せっかくだ」
 石上はその足で和室に向かうと、縁側と部屋を隔てる障子を足で開けた。見える景色は、さほど広くないが、すがすがしく素朴な庭である。石上は縁側に荷物を置き、部屋の隅に置いてある座布団を一枚持ってきて座った。
「いただきます」
 まずは缶をプシュッと開け、一口飲みながら包みを開ける。シュワシュワとした口当たりはジュースやただの炭酸とはまた異なる。ほのかに苦みを含んだ金色の炭酸は、疲れた体にじわじわと染み入る。
「っはー……」
 パックに詰められた串は四つ身三本とねぎま二本だ。石上は少し考えてから、四つ身の串を取った。
 熱々、というほどではないが、まだ温かい肉は柔らかく、少し濃い目の塩加減である。それがまた、酒を進ませる。
「……うま」
 のんびりと咀嚼をし、しっかり味わったら、次はねぎまに手を伸ばす。
 サクサクとしたネギは風味よく、中身はとろりとしている。肉だけ、というのもいいのだが、野菜があるとまた味わいが変わっていいものである。
 そして、もう一つの包みがあったので、それを開ける。パックにはレバーが詰められていた。串はないので、つまようじがついている。
 一つを刺し、口に運ぶ。
 つやっとしたレバーはほわほわとしていて、噛めばとろりと溶けてしまう。臭みはなく、レバー独特の風味が鼻に抜け、濃い目の甘辛いたれが程よく合う。そしてそれは、やはり酒が進むのである。
 さすが居酒屋の商品である。
 コリっとした部分を噛みながら、石上はぼーっと外に視線をやる。
 少し濃くなった水色の空、たなびく雲は薄く広がり、小鳥が二羽飛んでいく。二羽の木々は手入れがされ、そよそよとすがすがしく揺れる。
「ふぅ……」
 石上は一息つくと、縁側の柱にもたれかかった。
 おそらく今日は、気持ちよく眠れるだろう、とぼんやり思いながら。

「ごちそうさまでした」
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