一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第七百話 手巻き寿司

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「お父さーん、ちょっと来て~」
「どうした?」
 今日は朝から騒がしい。台所にいる母さんが父さんを呼び、父さんは新聞を置いて台所へ向かう。
「上の方、届く? あれ取ってほしいんだけど」
「あれ? ああ」
「助かる~」
「よいしょ……っと。これでいい?」
 なんだなんだ、寿司桶? 何作るんだろう。
 じっとその様子を見ていたら、母さんが振り返ってにっこり笑うと言った。
「今日の晩御飯は、手巻き寿司だよ!」

 手巻き寿司かあ、へへ、楽しみすぎてつい顔が緩む。
 いかんいかん、図書館のカウンターで間抜けな顔をしていたら何と言われるか。まあ、人が少ないから別にいいんだけど。
 漆原先生が暇すぎて、持参した本を読むくらいである。
 何読んでんだろう。
 そーっと表紙を見てみる。黒い高そうな装丁で、サイズは手帳みたいだ。文字は金色で書いてある……というより、彫ってあるというか、刻印みたいだ。なになに……
「寿司図鑑?」
 思わずタイトルを読み上げると、先生はこちらに視線を向けてにやっと笑った。
「ああ、興味あるか?」
「あります」
「小説でもなんでもないんだがな。ほれ、名前の通りだぞ」
 渡された本は、オールカラーのようでつやつやしていた。わ、ほんとだ。寿司の写真がいっぱい載ってる。へー、こんな本があるんだあ……へぇ~! まだまだ知らない本がいっぱいだなあ。
 なになに……光物、マグロ、貝、その他いろいろとジャンル分けされているようである。
「はぇ~……あっ、炙りとかある」
「面白いだろう?」
「めっちゃ楽しいです……!」
 わあ、なんだこれ。食べ物を魅せるのに、余計な情報がない。ただただおいしそうだし、ただただ食べてみたい。
「うち今日の晩飯、手巻き寿司なんですよ」
「おっ、良いじゃないか」
「はい。これで予習します」
「あはは、これは楽しい予習だなあ」
 おいしそうなものを見て、それを食べたいと思った時に、食べられるって嬉しいんだよなあ。何なら、そのご飯に合わせて本読むこともあるしな。例えば、からあげの日に、うまそうなからあげが出てくる漫画を読むとか。
 今日食うのは握りずしではないが、十分である。
「何読んでんのー、春都」
「見ろよ咲良。これ、先生が読んでたやつ」
「なになに……寿司図鑑? なにこれ!」
 あはは、と笑って、咲良は本を手に取った。高そうな見た目だからか、心もち丁寧な手つきである。
「へー……イカ、タコ、えび……いろんなのがあるんだなあ。はーっ……」
 咲良はまじまじと眺めていたが、あるページで、「俺、やっぱこれ好き~」と言った。
「どれ?」
「これ~、サーモン! 炙りもうめぇよなあ」
「あー、いいなあ」
「玉ねぎのスライスがのった生のもうめーし」
「はは、いいな」
 先生は言うと、俺に聞いてきた。
「一条君は何が好きなんだ?」
「俺ですか? 俺は……」
 マグロも好きだしイカも好き、たこ、えび、ネギトロ、サーモン……何でも好きだ。つぶ貝もいいし……ああ、貝類、好きだなあ。うーん、でも、決めきれない。
「もしかすると俺は、難しい質問をしてしまったかな?」
 漆原先生が言うと、咲良は笑った。
「っすねえ」
 うーん、やっぱり俺には、決めきれないや。

 テーブルの上に置かれた寿司桶、たっぷりの酢飯、ネギトロには切りたてのねぎが混ざっていて、甘エビはきれいに整列している。おっ、マグロの赤身もあるじゃん。つぶ貝にサーモンまで。豚バラもあるぞ?
 いやあ、豪華だなあ。
 海苔は焼きのり。前は味のりしか好きじゃなかったけど、焼きのり、結構好きだ。
「いただきます」
 さて、まずは何を食べようか。
 やはり単体で……いや、最初なれど、のせたいもの全のっけでいこう。ネギトロにサーモン、甘エビ! そこに醤油を垂らして、わさびをつける。
「盛り過ぎた……」
 こぼれそうになるのを支えつつ口に運んでいたら、それを見て父さんが笑った。
「欲張りだな」
「いいねえ、じゃ、私も……」
 パリッとしたのりの風味がいい。次いで程よい酸味の酢飯に……まろやかな口当たり。これはネギトロか? ほんのり甘く、ねぎが爽やかだ。ああ、サーモンのトロっとした感じも来た。この中で、甘エビは主張がない。しかし確かに、えびの味がする。
 口いっぱいにほおばる幸せ。なにこれ、うんまぁ。
 咀嚼しながら、次の手を考える。つぶ貝いってみようか。
 ん、コリコリのこの食感。好きだなあ。貝特有の風味、たまらないな。ひらひらしたところは少し柔い気がする。でもやっぱ、コリッとしてる。
 そうだ、マグロにネギトロって、どうだろう。ぜいたくな見た目だ。
 あはは、なにこれ、面白い食感だ。ひんやりぴっとりした赤身、柔らかなネギトロ。どっちも同じマグロのはずなのに、こうも味わいが違うのか。どちらにしても、酢飯に合うことこの上ない。
 次はお肉、いってみようか。豚バラ。塩こしょうを振って焼いてあって、良い色をしている。キムチもあるから、一緒に巻こう。
 んーっ、これはまた食べ応えがあってうまい。カリカリの豚バラは脂がジュワッとあふれ出し、塩こしょうは程よく、やっぱり、キムチがよく合う。何も寿司は、魚だけに限らなくてもいいんだ。
 それぞれ単体で食ってもうまい。サーモンは甘いし、甘エビはプリプリだし、ネギトロの口なじみの良さは計り知れず、マグロの赤身は贅沢だ。
 手巻き寿司って、永遠に食べられそうだな。組み合わせ次第でどんな味にもなる。
 今日は、全部乗っけて終わる。口いっぱいにほおばったこのおいしさを飲み込み切るのが惜しいようだが、満たされたので、幸せだ。
 手巻き寿司、またやりたいなあ。

「ごちそうさまでした」
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