一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第六百九十五話 厚切りベーコン

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 何の前触れもなく、突然、何かを食べたくなる時がある。
 それはケーキだったりアイスだったり、とんかつやカレー、めっちゃ辛いものと様々だ。何がそうさせるのかは分からないが、とにかく無性に、その思いついたものが食べたくなるのだ。
 今日も一日授業を終えて、帰ろうという頃。日は高く、まだまだ明るい。それでも空気は夕暮れの匂いがしていて、部活動の準備の音が聞こえてくる。
 そんな中を咲良とぼんやり歩く。ああ、腹減ったなあ、と自覚した途端、ポンっと頭に浮かぶものがあった。
「ベーコン食いてえ」
「急にどうした?」
 隣を歩く咲良が聞いてくる。
「え? ベーコンっつった? 今」
「うん」
「聞き間違いじゃなかった……」
 くっくっと笑い、咲良は言う。
「え、なんで?」
「いや、特に理由はないけど。なんか、食いてえなあ、って。あるだろ? そういうの」
 聞き返せば咲良は少し考えてから、「ああ、あるねえ」とつぶやいた。
「俺は今何が食いたいかなあ。うーん」
「こういうのって、考えて思いつくようなもんでもないだろ」
「確かに~。ふとした瞬間に思うんだよな~。どうしてそれを忘れていたんだ! って。別に普段はそうでもないのにな」
 本当にそうだ。
 普段は何でもないように食べているものでも、ある日突然、めちゃくちゃうまい! もう、ずっと食べられる! ってなるときがあるんだ。たいてい、じわじわ落ち着いてくるんだけど。
 特に、食欲がないときに思いつくと嬉しい。そうそう、こういうのが食いたかった、って満足できるから。
「ベーコンはさ、厚切り? それとも薄いの?」
 咲良は楽し気に聞いてくる。
「厚切り」
「うまいよなー、厚切りベーコン」
「マヨネーズとか、マスタードをつけたい」
「おっ、いいねえ。あー、なんか腹減ってきた」
 コンビニでなんか買って帰ろうかなあ、と咲良は頭の後ろで手を組んでつぶやいた。コンビニのラインナップも、夏が近づくにつれて様変わりしてきたものだ。
 アイスの新作とか、今年は買ってみようかなあ。
「ん、電話だ」
 校門を出たところで、スマホが震えた。通知を見て、つくづくタイミングがいいなあ、と思う。母さん、どっかで見てるんじゃなかろうか。
「じゃ、また明日な~」
「おう」
 咲良とはそこで別れる。さっそく、通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『もしもし~、春都。今大丈夫?』
「ちょうど大丈夫になったとこ」
『ふふ、そんな気がした』
 これ絶対、見てるだろ。
『明日ね、帰ってくるから。何食べたいか聞いとこうと思って』
 改めてタイミングの良さに、少し怖くなる。ばあちゃんもだけど、どうしてこう、勘が鋭いというか……なんで、こっちがこうしてほしいって、思ってることを分かってくれるんだろう。
「ベーコン食べたい」
『おっ、迷いがないねえ。いいよ~、買ってこようね。分厚く切って、ステーキだ!』
「最高」
『ふふ、楽しみにしててね。夕方には家にいるから』
「分かった」
 通話を終了し、スマホを鞄にしまう。
 そっか、明日、帰ってくる頃には父さんも母さんもいるのか。
「そっかあ」
 楽しみだなあ。

 あまりに楽しみすぎて、咲良からは「ご機嫌だな」と笑われた。だって、仕方ないだろう。
「ただいま」
 明かりの灯る居間に、いつもより足早に向かう。
「おかえりー」
「お疲れさん」
 母さんが台所に立ち、父さんがソファにいて、うめずがこっちにやってくる。いつも薄暗い部屋が明るくて、良い匂いがして、あたたかい。
「ちゃんと買ってきたよ、ほら、お風呂入っといで」
 母さんが楽しそうに言うので、思わず顔が緩む。
 とっとと風呂に入って戻ると、母さんが台所で料理をしていた。
「はーい、お待たせ」
 おお、これが……夢にまで見た厚切りベーコン! ジュワジュワいっていて、香ばしい匂いがして……付け合わせのキャベツもみずみずしい。そうそう、こういう付け合わせって、すごく大事だ。
「さ、食べようか」
「いただきます」
 脂と肉のバランスがいい。家だからいいかな、かぶりついてしまえ。
 パリッとした表面は香ばしく、肉の噛み応えがたまらない。普通の肉を焼いたのとはまた違う、ベーコンにしかない食感だ。
 プルプルの脂身は柔らかくとろけ、肉からはじゅわあっと肉汁があふれ出す。
 このうま味、味わいたかったものだ。
 みずみずしいキャベツも少しベーコン味。
 塩こしょうがふりかかっていて程よくしょっぱいが、ここに、マヨネーズを。つやつやのベーコンにマヨネーズなんて、たまらないな。
 まろやかなマヨネーズがベーコンを包み、実に滑らかだ。これはご飯が進む。どうしてこう、肉の脂とマヨネーズって合うのかね。
 そして、粒マスタード。
 うんうん、このさっぱりした感じ。マスタード特有の酸味とベーコンは、合う。間違いない。
「まだまだ残ってるからね」
 二枚目は刻んで、ご飯にのせて醤油をかけて食べていたら、母さんが言った。醤油も合うなあ。おかずになる。香ばしさが増して、ご飯が進む。
「ほんと?」
「ポトフでも作ろうかな」
「いいね」
「酒の肴にも、いいな」
 と、父さんが言う。
 家族と一緒に、食べたいと思ったものを食べられる。しかも、突然思いついた無性に食べたいものを、だ。
 期待して待つのもいいが、思いがけない喜びは、また格別だな。
 さて、明日からは何が食べられるんだろう。

「ごちそうさまでした」
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