一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第六百九十三話 昼ご飯

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 寒い寒いと思っていたのに、いつの間にやら汗だくになるような季節になったものだ。
「あっつ……」
 少しばかり涼しい教室から廊下に出ると、すっかり夏の空気だ。日が当たるせいかもしれない。セミが鳴いていないのが不思議なようである。
 ロッカーに辞書を取りに来たのだが、しゃがむことすら億劫だ。
 いつもより重く感じる辞書を持って教室に戻る。うーん、廊下よりは涼しいが、湿気がすごい。早くクーラーつかないかなあ。
「暑いねえ、今日は特に」
 机にだらりともたれかかる山崎が言った。もう、溶けているといってもいい。
「何度になるんだっけ? 三十度?」
「もう夏だな、それは」
「でもさー、夕方は冷えるじゃん。温度差やばくね」
 だるい~、と山崎は言ってため息をついた。
 確かに夕方は、窓を開けていると涼しい。風が気持ちいいのは、今の季節ならではといえるだろう。できれば昼間もそうあっていただきたいものだが。
 それにしても、ここ数日は日差しがすごい。おかげで、顔がかゆくてしょうがない。
「やー、こうも暑いと前髪邪魔だねえ」
 山崎はポケットから輪ゴムを取り出すと、慣れた手つきで前髪を結んだ。
 ぴょんと跳ねる前髪の束。動きに合わせて揺れるその様子は、ネコが大喜びしそうである。
「よし、ちょっと涼しい」
「器用だな」
「一条も上げたら? 涼しいよ……って、なんか肌赤くない?」
「ん? あー、日焼けだ、日焼け」
 昔っから、黒くならない代わりにやけどしたみたいになるんだよなあ。日焼け止め塗りゃいいんだろうけど、忘れがちだ。
 ばあちゃんや母さんがいたら、塗りたくられるんだ。
「ちっちゃいころから、肌弱かったでしょ!」
 なんて言って。問答無用で塗られるから、それからしばらくは忘れないんだけど。
「えー、大変だねー。日焼け止め塗りなよ~」
 そう言う山崎は、少し日に焼けたように見える。
「山崎は黒くなったな」
「そー、これでも日焼け止め塗ってんだけどねえ。やっぱ、外にいる時間長いとこうなるよ~」
「外?」
 こいつ、何か部活やってたっけ。疑問に思っていたら、山崎は続けた。
「俺ね、テニスやってんの。まー、選手になるとかそういうのはないんだけど、楽しくてさ」
「へー、テニス。すごいな」
「青少年科学館とかの近く。知ってるでしょ」
「ああ、あそこな」
 あるある、テニスコートとか、サッカーグラウンドとか。自分にとっては無縁の場所だから、ああ、やってんなあ、くらいにしか見てなかったけど。
「飛び込みでもいいからさ~、一条もやりに来ない?」
 気だるげに山崎は言いながら、半分ほど減ったジュースを飲んだ。蛍光色にも似た黄色の飲み物は、とても甘そうな匂いがする。
「いや、俺はいいよ」
「えー楽しいよ?」
「ははは。ほら、授業始まるぞ」
 今はまだ、やんなくていいや。気が乗ったらどこかでやってみたいものではあるが。
 気が乗ったらな。

 学食は食べ物を扱っているからか、どこよりも涼しい。おかげで、人が多い。どうにかして席を確保する。
「いただきます」
 豚丼、大盛り。甘辛いタレで和えたものと甘く炊いたものがあったが、悩んだ結果、炊いてある方にした。真ん中の紅しょうがが鮮やかだ。
「へー、テニスかあ」
 向かいに座る咲良は、大盛りのかつ丼をほおばりながら言った。今日はソースかつ丼にしたらしい。
「せっかくならやりゃいいのに。一緒に行く?」
「行かない」
「かたくなだねえ」
 咲良はそれ以上、そのことに関して何も言わなかった。
 甘く炊いた豚丼は、優しい味がする。ふんわりと甘く、豚肉は柔らかい。牛丼とはまた違う味付けだな。
 そしてその柔らかな味を紅しょうがの酸味が引き締める。
「じゃあさ、科学館の方行こうや」
「あー、それはいいな」
「小学校の頃とか行かなかった? 科学館とー、どっかの公園とか」
「行った行った」
 科学館はきれいで、結構楽しいけど、人でごった返すってことがあまりない。だから好きなんだ。
 全体的に無機質な感じで、どこか寂し気。穏やかで静かな時間が流れるあの場所は割と好きだ。ただ、なかなか行かないんだよなあ。
 すっかり豚丼を食べ終わったら、返却口へ持って行く。
 今日はまだ、ごちそうさまではない。楽しみが残っている。
「何味にする~?」
 咲良と冷凍ケースをのぞき込む。そうそう、暑くなってきたから、アイスの種類が増えたんだ。
 チョコがけ、バニラ、チョコチップはチョコアイスのやつとバニラのやつ、それとミント。バナナもあるし、いちごもある。こないだまでバニラとチョコだけだったのになあ。冷やしパイン風のものや、氷系も増えた。かき氷、うまいんだよなあ。
「あ、あれあるじゃん。棒アイス」
 咲良が指さした先には、色とりどりの棒アイスがあった。
「よく見つけたな」
「あれ半分こしようぜ」
「いいな」
 小学校の頃、町の行事の後にもらっていた記憶がある。味で揉めたっけ。
 幸いにも今日は、咲良と食べたい味が一致した。あれ、半分半分で、違う味のやつとかないのかな。まあ、ジュースを凍らせるようなものだから、難しいか。
 カチカチの棒アイスは、手で折れる。
「じゃあ、じゃんけんな」
「おう」
 上と下、どちらも同じようなものだが、なんとなく下の方が大きい気がするので、じゃんけんをする。
「よっしゃ。勝った」
「春都、強いなあ」
 鮮やかな紫色の、ぶどう味だ。
 おっと、さっそく溶けてきた。早く食べないと。
 溶けてきたところを吸うようにして食べる。いや、飲むというのが正しいか。濃いぶどう味で、うまい。ほんと、キンキンに冷えたジュースって感じだ。
 かたいところは歯が痛い。がりがりと削るようにして食べる。
 あ、キーンってする。
 シャリシャリになってくると、シャーベットのようで食べやすい。あんまり吸い過ぎると、透明の氷になってしまうから気を付けないと。バランスよく食べるのって、結構難しい。気が急いてつい、吸っちゃうから。
 食べる前はたっぷりあるって思ってたアイスも、食べ進めていくとあっという間になくなる。特に、暑いとなあ。
「はー、暑い。この後体育なんだよなあ」
 と、咲良が、ほぼ空になった容器をくわえてだるそうに言った。
「教室も暑いぞ」
「なー、早くクーラーつかねえかなあ」
 残りは余さず、口に流し込む。
 生ぬるいジュースの中に、冷たい氷の破片が一つ。もう一つ食えそうな気もするが、今日はここで終わり。
 冷たさが心地よい季節は、まだまだ始まったばかりだからな。

「ごちそうさまでした」
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