一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

番外編 漆原京助のつまみ食い⑤

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 まだ生徒たちもいない早朝。校門前には、『文化祭』と大きく書かれ、装飾された看板が立っている。
「ふぁ~あ……」
 間もなく五月が終わろうかというには冷たすぎる空気が、寝ぼけた頭に染みる。職員用の昇降口に向かう途中、朝の会議をしていた小鳥たちが鳴きながら、四方に飛び立って行った。
「はー、よいしょ……っと」
 くたびれた靴からくたびれた上履きに履き替え、重い足を引きずりながら事務室に向かう。薄暗く静かな校舎は、生徒だった頃は不気味だったが……今はこっちの方がいいかもしれんな。うっすらと差し込む朝日がちょうどいい。
「おはようございまーす」
 事務室にはすでに、何人かいた。あいかわらず、お早いことで。
「おはようございますー」
「鍵もらっていきまーす」
「はーい」
 もちろん、石上もいた。事務室から出るとき目が合ったのでひらひらと手を振ると、石上はこっそりと片手を挙げた。
 そういえば、自分たちが高校生の時、文化祭ってどうしてたっけ。もう記憶がおぼろげだ。
 華やかな部活に所属していたわけでもないし、友人が多かったわけでもない。甘酸っぱい記憶も、苦い記憶も、思い当たらない。かといって寂しいわけでもなんでもないんだよなあ。ま、たいてい、そんなもんか。
 むしろ、大人になってからの方がいろいろと騒がしい記憶が多いように思う。
 さて、今年はどうなることやら。

「なんだ、図書館は客寄せしないのか?」
 昼食の時間が終わった昼休み、校舎内での催し物が始まった。ちょうど休憩に入ったらしい石上は、弁当を持って図書館に来ていた。俺の机の向かいにある、誰も使っていない机が一組、石上はそこに陣取った。
「まあ、来たいやつが来ればいいさ、ここには」
「そんなんでいいのか。また、小言を言われるんじゃないか」
「そもそも、図書館は騒ぐようなところではないからな」
 ポップの展示におすすめ本の紹介。周辺で華やかな催しが行われている中、静かな図書館に寄りつく者はそう多くない。客寄せをしたところでどうなることやら。
 しかし、さぼりに来ているやつは少ないように思う。静かではあるが、人の出入りが全くないわけではないし、先生方の巡回ルートに組み込まれているからだろう。
 まあ、それでも、周辺の喧騒に耳を済ませれば、近くの会話の内容くらいは分かるほどに静かではあるのだが。
「というか、それを見越してここに来たんだろう。石上」
 向かいに座りながら言うと、石上はコンビニで買ったらしいおにぎりとおかずをいくつか取り出しながら言った。
「まあな。事務室は休みづらい」
「賑やかそうだもんな」
「来客はあるし、周りは騒がしいし……それに、休憩室には色々と備品が山積みでな。むしろよそで食って来いって言われたよ」
「そうか、大変だな」
 頬杖をつき、図書館内をぼんやりと眺める。いつもより少し人が多くて、教師陣とは違う大人の姿もある。小さい子どももちらほら見かけた。
「……なあ、石上」
「なんだ?」
「俺らが高校生の頃って、どんな文化祭だったか覚えてるか?」
「あー……」
 石上は早々におにぎりを一つ平らげ、何かを探るように視線を上に向けた。そして下を向き、もう一つのおにぎりの包みを開けながら言った。
「あんまり覚えてない」
「そういうもんだよなあ」
「そんなもんだ」
 それから、しばらくの沈黙が広がる。すると、外で聞き覚えのある声がした。
「ねー、俺これ食っていい? ずっと気になってんの」
「まずは先生に選んでもらえよ」
 この声は……
「漆原先生、元気してます~?」
「あ、石上先生もいる」
 一条君と井上君だ。
「おお、来たか」
「いや~、一回は図書館に寄っとかなきゃ」
「お疲れ様です」
 見慣れた顔ぶれに、少し気が抜ける。
「ところで井上君。手に持っているものは? ずいぶんと大荷物だな」
「あっ、これっすか? へへ、よくぞ聞いてくれました」
 井上君は手に持っていた大きな袋を机に置いた。中から出てきたのは、大量の駄菓子だった。
「じゃーん! 駄菓子です! みんなで食べましょうよ」
「いつも色々ともらってるから」
 と、一条君は付け加える。
 糸引き飴にきな粉棒、ラーメンスナック。その他、食べきれないほどの駄菓子がたくさんだ。店でも開くつもりか?
「石上先生も一緒にどうぞ!」
 石上と視線を合わせる。ここまで言われちゃ、断るのも失礼だろう。
「ああ、ありがたくいただくよ」
 それにしても、駄菓子なんていつぶりだ? 見たことのないものもあるぞ。どれから手をつけたものか、と考えあぐねていると、井上君が提案した。
「まずはこれでしょ! 糸引き飴!」
 長い糸の先に飴がくっついていて、それが束になっている。なるほど、大きさがまちまちということは、くじ引き的な要素があるのだな? 面白い。
「はい、漆原先生」
「ふむ」
 赤はいちご、オレンジはみかん、黄色はパイナップルか。当たりは青いから、ソーダか? こうして見ると大きさがかなり違う。
「おー、先生はいちごっすか~。はい、石上先生!」
「おお、じゃあ、これ」
「……おっ、オレンジ! 大きさは普通ですけど、数が少ないんすよ」
「もう、食べたいやつを下から引けばいいんじゃないか」
「春都はロマンがないなあ」
 二人もなんだかんだ言いながら糸を引く。
 大きなザラメがついた飴は、シンプルに甘い。香料のいちごの味は、いかにも駄菓子といった感じだ。久しぶりの味だな。しかし、こんなにおいしかっただろうか。いったん離れて見ると分かるものもある。
 ラーメンスナックは持って帰って酒のつまみにでもさせてもらおう。きな粉棒、つまようじに練ったきな粉が突き刺さっている。
 うーん、きな粉味。子どもの頃は苦手だったなあ。今食べてみると、シンプルながらもなかなかうまいもんだと気づく。食感がなんともいないんだな。もっちり、ほろほろ? つきたての餅にきな粉をかけて、その湿気でかたまったきな粉を集めて食べている感じに似ている。
「お、当たり」
 つまようじの先が赤い。すると、大きな飴を引き当てて、まだそれをなめていた一条君が、きな粉棒の入っている箱を差し出して、右手の人差し指を立てた。なるほど、もう一本だな。
 駄菓子というものは不思議なもので、つい、手が伸びてしまう。ささやかな当たりも、なんてことないものかもしれんが、嬉しいものだ。
 あれこれ食べたが、全然減る気配がない。残りは四人で山分けした。
「楽しませてもらったよ」
「ありがとうな」
 石上と言えば、二人は楽しそうに笑った。
 どうなることかと思ったが、存外、悪くない文化祭である。

「ごちそうさん」
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