一条春都の料理帖

藤里 侑

文字の大きさ
上 下
731 / 843
日常

第六百八十三話 たこ焼き

しおりを挟む
 テストの余韻も間もなく、文化祭の準備がやってきた。
 収録も無事終わり、編集作業もあれこれとみんなで言いながら仕上がった。先生からもいい感じの反応をもらえたし、あとは、そう。
 体育館の準備だ。
「えー、今日の流れについて説明します」
 二時間だけ授業が行われた後、放送部は視聴覚室に集合した。他の生徒は、各々にあてがわれた場所に行って、準備を始めている。
 先生が前に立ち、予定が書かれた書類を持って話を始める。
「まずは体育館の音響設備を整えます。マイクテストの後、リハーサルが始まるから、各々の場所に待機。リハの順番は、今配った書類に書いてあるから、確認しておいて」
 全学年、および有志発表、部活動の発表……結構詰まってるなあ。これ、朝一からやってた方がよかったんじゃなかろうか。
「提出されたCDは持ってるね?」
 と、先生が確認してくる。発表する生徒たちから、音源を預かっているのだ。もちろん、抜かりなく。
「はい」
「体育館に持っていっておいてね。それと、私たちのDVDも。もちろん、試しに上映するから」
「分かりました」
「それじゃあ、さっそく移動します。一応、原稿も持っておいでね」
 解散、という言葉で皆立ち上がる。
 そういえば、前回の文化祭で準備にかかった時間は、相当だったと聞いた。日がだいぶ長くなったこの時期に、真っ暗になるまで体育館にいたというのだ。
 例年通りでそれなら、今年はどうなってしまうんだ。
 大々的にやると決まっているのなら、準備時間もたくさん必要なのでは。
 ……だめだ、考え出したら気が遠くなってきた。とにもかくにも、今、やるべきことをちゃっちゃとこなしていくほかない。
 先生たちの大声が聞こえる体育館、外はまだ、まぶしいほどに明るかった。

 リハーサルは各グループに時間が割り振ってあり、一応、その通りに進んでいく。
 体育館はすっかり準備が整っていた。全面にシートを敷き、二階の手すりには各クラスが準備した横断幕が張られ、椅子は整然と照明に光る。いやあ、いつ見ても、この様は圧巻だ。しかも今回はいつも以上に気合が入っているから、シートにはしわ一つなく、椅子の並びには寸分の狂いもない。
 おかげで、隙間を通るときはひやひやした。本番のマイクテストのときは各所に散らばらないといけないのが、億劫だ。
 放送席は客席からは少し離れた場所にある。そして俺と咲良は、舞台横の放送室で音響を担当している。
 放送席には早瀬が座り、その隣に朝比奈がいる。朝比奈の手元にはストップウォッチが握られていて、各グループの時間を正確に測っている。
 朝比奈が何かを早瀬に耳打ちすると、早瀬はマイクのスイッチを入れる。
『残り時間、五分です』
 ステージに上がっている生徒たちはダンスをするようで、先ほどまで場所の確認をしていたが、そのアナウンスを聞いて動きを変える。
「すいませーん、一曲だけ通しで踊りたいので、曲をお願いしまーす!」
 リーダーらしい生徒が、こちらに声をかける。
「最後の曲です!」
「はーい」
 咲良は舞台に近いところにいて、放送室と演者の中継役をしている。
「春都、最後の曲、通しで」
「おう」
 脚本を仕上げる傍ら、叩きこまれた音響設備の扱い方。おかげで、ただの雑用係から、ちょっと音響設備を操作できる雑用係に格上げされた。
 最後の曲が始まる少し前、前の曲が終わった後のわずかな沈黙に合わせ、音量を調節。準備完了の合図に左手を上げると、咲良が舞台に向かって「流しまーす!」と声をかけた。
 よし、再生。タイミングばっちり。
 始めこそおっかなびっくりやっていたものだが、人って、やってるうちに慣れるもんだな。
「これ終わったら、休憩だっけ?」
 と、咲良が囁いてくる。
「ああ。三十分とちょっとくらい休憩挟んで、第三部だ」
 今年は、発表するグループが多くて、リハの時間も長い。おかげで、時間の管理は一層厳しいものとなっている。
 今日ばかりは普段の時間割りにはとらわれず、下校時刻も定まらず、各々で休憩を取り、下校する、ということになっている。
 だから、今は昼休みではなく、六時間目が終わって少し経ったくらいの時間だ。
 はあ、息がつまる。
 こういう時はうまいもんを食うに限るが……あいにく、食堂はもう閉まっているし、何かを買いに行く余裕もない。
 せめて甘いジュースでも飲もうかな。

 そう思ってサイダーを買って視聴覚室に戻ると、何やらいい匂いがしてきた。香ばしく、心躍るこの香りは……
「ソースの匂い?」
「おっ、鼻が利くねぇ。ほらほら、食べて」
 どうやら、矢口先生がみんなに買ってきてくれたらしい。たこ焼きだ。
「いいんですか?」
「そろそろお腹空いた時間かと思ったんだけど」
「空きました」
 言えば先生は笑って、「遠慮なく食べなさい」と言った。
「いただきます」
 差し入れのたこ焼き、ってなんかいいな。ワクワクする。
 小ぶりのたこ焼きは透明のパックにぎゅうぎゅうに詰め込まれ、ソースたっぷり、マヨネーズと青のり、粉末状のかつお節もかかっている。熱々というより、ほんのり温かいくらいなのがうれしい。
 ソースが零れないように、気を付けながら一口で。ぷわぷわの口当たりにほわほわの中身、ソースは甘くさらっとしていてくどくない。だから、マヨネーズのコクがよく合う。
 かつお節も、青のりも風味がいい。
「うまぁ……」
 すっかり疲れていた面々は、暴力的なほどに香ばしいソースの香りに癒されるばかりである。
 たこは小さめながら、いくつも入っているので嬉しい。噛めばちゃんとたこの味。
 大ぶりのたこが入ってんのもいいけど、こういうのもいいよな。バランスよく食べられるところがいい。
 サイダー、買ってきてよかった。たこ焼きにサイダーって、うまい。
 ソースとマヨが広がる口に、シュワシュワと透き通った甘さを流し込む。ん~、これこれ、これがうまい。
 普段飯を食うことのない、視聴覚室で食ってるっていうのも、おいしさに一役買っているといえよう。
 しっかし、リハーサルって、こんなに疲れるものなのか。大変だ。
 でも、なんか、楽しい。すっげえ疲れることに変わりはないけど、楽しい。
 そう思えるだけで、今は良しとしておこう。さて、まだまだ準備は続く。本番も待っている。
 あと何踏ん張りか、頑張るとしますかね。

「ごちそうさまでした」
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

私の部屋で兄と不倫相手の女が寝ていた。

ほったげな
恋愛
私が家に帰ってきたら、私の部屋のベッドで兄と不倫相手の女が寝ていた。私は不倫の証拠を見つけ、両親と兄嫁に話すと…?!

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

【短編】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
 もうすぐ、赤ちゃんが生まれる。  誕生を祝いに、領地から父の辺境伯が訪ねてくるのを心待ちにしているアリシア。 でも、夫と赤髪メイドのメリッサが口づけを交わしているのを見てしまう。 「なぜ、メリッサもお腹に赤ちゃんがいるの!?」  アリシアは夫の愛を疑う。 小説家になろう様にも投稿しています。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...