一条春都の料理帖

藤里 侑

文字の大きさ
上 下
705 / 854
日常

第六百六十話 饅頭

しおりを挟む
 ふと夜中に目が覚める。月明かりがまぶしい、ひんやりとした空気だ。周りからは穏やかな寝息が聞こえるばかりである。
 もう日付は変わっただろうか。スマホが見られないから分からない。
 でも、まだまだ眠っていいくらいの時間だろうというのは分かる。
「……はぁ、めんどくせぇ」
 眠りを妨げる感覚に気付いてしまえば、もうどうしようもない。他のやつらを起こさないように、そっと起き上がり、部屋を出る。
 廊下には先生がいて、どこに行くかを報告して目的地に向かう。
 大仰な気もするが、ずっと前に、そのまま脱走して帰ってしまった人がいたらしく、それ以来、そういうシステムになっているのだとか。
 用を済ませ、帰りは少しだけのんびり歩いてみる。というか、眠すぎてあんまり早く歩けない。部屋からトイレまではちょっと遠く、大きな窓のもうけられた廊下をぼちぼち歩かなければならない。
 窓の外には、人の気配が何一つない自然が見える。雲の無い空には月が大きくぽっかりと浮かんでいて、辺り一帯を照らしていた。他に光がないから、星もよく見える。
 山がずんぐりと黒くて、まるで、一つの生き物のようだった。
「あ」
 流れ星。見間違いか、と思った矢先、もう一つ。頼りなげだが確かな光の線が、すうっと空に伸びて消えた。

 翌日、合宿最終日。この日は少しだけ自習の時間があって、あとは施設内の掃除である。クラス混合、割り当てられた場所の掃除をする。俺の担当は……正面玄関か。いくつ靴を並べても窮屈に感じないあの玄関をきれいに掃除するのは、骨が折れそうだ。
「この後昼飯だっけ?」
 と、勇樹が聞く。
「そうだな」
「ふぁ……早く帰りたい」
 先生の目を盗んであくびをするのは宮野だ。その横で山崎は堂々と伸びをし、「たるんでるぞ」と、通りすがりの先生に小言を言われていた。
「どっか別のクラスと一緒だったはずだけど、来ないよねぇ」
 そう山崎がつぶやいた時、二宮先生がやって来た。
「外を掃除してる。お前たちは中担当だ」
「あ、そーいう感じですか」
「隅々まできれいにするんだぞー」
 そういや、玄関は昨日掃除してなかったな。そんなにゴミがあるようにも見えないけど、掃除する必要あるのかね。
「植木がいっぱい並んでる」
 勇樹が言うと、受付にいた職員の人がひょっこりと顔を出した。
「これから花が咲くんだよ。よければ外に出してくれるかい?」
「はーい」
 植木鉢は、結構ずっしりくる。何の花が咲くんだろう、と葉をしげしげと眺めていたら、『紫陽花・青』と書かれたシールが植木鉢に貼ってあることに気が付く。
 いつも置いているという場所に植木鉢を並べていく。確かに、他のクラスの班は外を掃除しているらしい。デッキブラシを持ち、腕まくりをしてしっかりと。こりゃ、外担当の方が大変そうだな……
「あっ、春都だ! 春都ー!」
 む、このやかましい声。
「咲良。お前もここ掃除だったのか」
「おう」
 咲良の手には、ずいぶん長いホースが握られていて、水がさらさらと流れていた。咲良はホースの先を少し潰して持つ。シャワー状になった水は植木鉢に降り注ぎ、青い葉が太陽の光を受けてきらきらときらめいた。
「いやー、なんか久しぶりな感じするなあ」
「一日とちょっとだろ」
「ほんとにな。土日挟んでもそんなに感じねーのに、何だろうな」
「……それは確かに」
 咲良はホースを握りなおす。絶え間なく流れ続ける水は、アスファルトをじわじわと染めていった。
「春都がさみしがってんじゃないかなーって、心配してたんだぞ」
「はあ?」
「実際、なんか面白くなさそうだったし? 俺がいなくて退屈だったんだろ~」
 と、咲良がいたずらっぽく笑う。肯定するのも否定するのもなんだか違う気がして黙っていると「やっぱり」と言って、ホースを上下にして水を蛇のようにくねらせる。
「馬鹿お前、濡れる」
「着替えりゃいいって。どうせ帰るだけなんだし」
「言ったな?」
 結局その後二人してずぶ濡れになってしまったので、しっかり着替えてからバスに乗り込んだ。一生懸命掃除したようでよろしい、とお咎めなしだったのは、流れ星のおかげだったのだろうか。

 疲れ切ったみんなが寝静まったバス車内。お土産を買うはずもないのに、行きがけよりも増えた荷物を膝に抱える。
 大量にもらった饅頭は、咲良にも少し分けてやった。帰りの車内で食えばいいと言ったが、あいつは食べているだろうか。
 水筒には、施設の人が入れてくれた温かい緑茶が入っている。これは食べずにはいられまい。
「いただきます」
 いろいろな饅頭があるが、まずは黒糖を食ってみる。
 ふわりと香る黒糖と、生地そのものの香り。中の餡はこしあんだ。ほろ苦さもある黒糖の風味に、甘いあんこがよく合う。ふわふわとモチモチの間の食感で、結構食べ応えのある饅頭だ。
 次は白いの。うん、シンプルな生地の味。これぞ饅頭のお手本というような見た目でもある。あんこは何だろう。わ、薄ピンク。これは……桜餡か。桜餅のような風味でもあり、豆の風味もあり、今だけの味だな。
 ヨモギは少し小ぶりだな。しっかりとした粒あんで、生地はしっとり系。ヨモギの風味もいい。
 そこにちょっと渋めの緑茶。程よくぬるくて、飲みやすい。やっぱり、饅頭には緑茶がよく合うなあ。
 食べすぎかもしれないが、もう一つだけ。
 一番のとっておき、栗饅頭。まあ、とっておきといってもいっぱいあるけど。栗饅頭って、なんとなく特別なんだよなあ。
 つやっとした表面が、なんか好きだ。他の饅頭とは違う生地の食感と風味、ほろほろと崩れるような餡、ほのかながらも感じる栗の味。
 この栗饅頭は、細かく刻んだ栗が餡に混ざっているらしい。これは食べやすくていい。大粒の栗が入っているのも好きだけど、このタイプの栗饅頭も好きだなあ。
 まさか、宿泊訓練に行ってこんなことになろうとは。家族に話したらなんて言うだろう。
 心底面白そうに笑ってくれるんだろうな。
 まだまだ見慣れた風景には程遠い窓の外。でも確かに、合宿は終わろうとしている。
 腹も満たされ、ほっとしたらなんだか眠たくなってきた。休憩所まで寝るか。次に目が覚めた時には、もう、見覚えのある町並みに変わっているだろうか。
 家の匂いが、ふと恋しくなった。

「ごちそうさまでした」
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王族に婚約破棄させたらそりゃそうなるよね? ……って話

ノ木瀬 優
恋愛
ぽっと出のヒロインが王族に婚約破棄させたらこうなるんじゃないかなって話を書いてみました。 完全に勢いで書いた話ですので、お気軽に読んで頂けたらなと思います。

病弱な愛人の世話をしろと夫が言ってきたので逃げます

音爽(ネソウ)
恋愛
子が成せないまま結婚して5年後が過ぎた。 二人だけの人生でも良いと思い始めていた頃、夫が愛人を連れて帰ってきた……

だってお義姉様が

砂月ちゃん
恋愛
『だってお義姉様が…… 』『いつもお屋敷でお義姉様にいじめられているの!』と言って、高位貴族令息達に助けを求めて来た可憐な伯爵令嬢。 ところが正義感あふれる彼らが、その意地悪な義姉に会いに行ってみると…… 他サイトでも掲載中。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

サンスクミ〜学園のアイドルと偶然同じバイト先になったら俺を3度も振った美少女までついてきた〜

野谷 海
恋愛
「俺、やっぱり君が好きだ! 付き合って欲しい!」   「ごめんね青嶋くん……やっぱり青嶋くんとは付き合えない……」 この3度目の告白にも敗れ、青嶋将は大好きな小浦舞への想いを胸の内へとしまい込んで前に進む。 半年ほど経ち、彼らは何の因果か同じクラスになっていた。 別のクラスでも仲の良かった去年とは違い、距離が近くなったにも関わらず2人が会話をする事はない。 そんな折、将がアルバイトする焼鳥屋に入ってきた新人が同じ学校の同級生で、さらには舞の親友だった。 学校とアルバイト先を巻き込んでもつれる彼らの奇妙な三角関係ははたしてーー ⭐︎毎日朝7時に最新話を投稿します。 ⭐︎もしも気に入って頂けたら、ぜひブックマークやいいね、コメントなど頂けるととても励みになります。 ※表紙絵、挿絵はAI作成です。 ※この作品はフィクションであり、作中に登場する人物、団体等は全て架空です。

朝起きたら同じ部屋にいた婚約者が見知らぬ女と抱き合いながら寝ていました。……これは一体どういうことですか!?

四季
恋愛
朝起きたら同じ部屋にいた婚約者が見知らぬ女と抱き合いながら寝ていました。

処理中です...