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日常
第六百六十話 饅頭
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ふと夜中に目が覚める。月明かりがまぶしい、ひんやりとした空気だ。周りからは穏やかな寝息が聞こえるばかりである。
もう日付は変わっただろうか。スマホが見られないから分からない。
でも、まだまだ眠っていいくらいの時間だろうというのは分かる。
「……はぁ、めんどくせぇ」
眠りを妨げる感覚に気付いてしまえば、もうどうしようもない。他のやつらを起こさないように、そっと起き上がり、部屋を出る。
廊下には先生がいて、どこに行くかを報告して目的地に向かう。
大仰な気もするが、ずっと前に、そのまま脱走して帰ってしまった人がいたらしく、それ以来、そういうシステムになっているのだとか。
用を済ませ、帰りは少しだけのんびり歩いてみる。というか、眠すぎてあんまり早く歩けない。部屋からトイレまではちょっと遠く、大きな窓のもうけられた廊下をぼちぼち歩かなければならない。
窓の外には、人の気配が何一つない自然が見える。雲の無い空には月が大きくぽっかりと浮かんでいて、辺り一帯を照らしていた。他に光がないから、星もよく見える。
山がずんぐりと黒くて、まるで、一つの生き物のようだった。
「あ」
流れ星。見間違いか、と思った矢先、もう一つ。頼りなげだが確かな光の線が、すうっと空に伸びて消えた。
翌日、合宿最終日。この日は少しだけ自習の時間があって、あとは施設内の掃除である。クラス混合、割り当てられた場所の掃除をする。俺の担当は……正面玄関か。いくつ靴を並べても窮屈に感じないあの玄関をきれいに掃除するのは、骨が折れそうだ。
「この後昼飯だっけ?」
と、勇樹が聞く。
「そうだな」
「ふぁ……早く帰りたい」
先生の目を盗んであくびをするのは宮野だ。その横で山崎は堂々と伸びをし、「たるんでるぞ」と、通りすがりの先生に小言を言われていた。
「どっか別のクラスと一緒だったはずだけど、来ないよねぇ」
そう山崎がつぶやいた時、二宮先生がやって来た。
「外を掃除してる。お前たちは中担当だ」
「あ、そーいう感じですか」
「隅々まできれいにするんだぞー」
そういや、玄関は昨日掃除してなかったな。そんなにゴミがあるようにも見えないけど、掃除する必要あるのかね。
「植木がいっぱい並んでる」
勇樹が言うと、受付にいた職員の人がひょっこりと顔を出した。
「これから花が咲くんだよ。よければ外に出してくれるかい?」
「はーい」
植木鉢は、結構ずっしりくる。何の花が咲くんだろう、と葉をしげしげと眺めていたら、『紫陽花・青』と書かれたシールが植木鉢に貼ってあることに気が付く。
いつも置いているという場所に植木鉢を並べていく。確かに、他のクラスの班は外を掃除しているらしい。デッキブラシを持ち、腕まくりをしてしっかりと。こりゃ、外担当の方が大変そうだな……
「あっ、春都だ! 春都ー!」
む、このやかましい声。
「咲良。お前もここ掃除だったのか」
「おう」
咲良の手には、ずいぶん長いホースが握られていて、水がさらさらと流れていた。咲良はホースの先を少し潰して持つ。シャワー状になった水は植木鉢に降り注ぎ、青い葉が太陽の光を受けてきらきらときらめいた。
「いやー、なんか久しぶりな感じするなあ」
「一日とちょっとだろ」
「ほんとにな。土日挟んでもそんなに感じねーのに、何だろうな」
「……それは確かに」
咲良はホースを握りなおす。絶え間なく流れ続ける水は、アスファルトをじわじわと染めていった。
「春都がさみしがってんじゃないかなーって、心配してたんだぞ」
「はあ?」
「実際、なんか面白くなさそうだったし? 俺がいなくて退屈だったんだろ~」
と、咲良がいたずらっぽく笑う。肯定するのも否定するのもなんだか違う気がして黙っていると「やっぱり」と言って、ホースを上下にして水を蛇のようにくねらせる。
「馬鹿お前、濡れる」
「着替えりゃいいって。どうせ帰るだけなんだし」
「言ったな?」
結局その後二人してずぶ濡れになってしまったので、しっかり着替えてからバスに乗り込んだ。一生懸命掃除したようでよろしい、とお咎めなしだったのは、流れ星のおかげだったのだろうか。
疲れ切ったみんなが寝静まったバス車内。お土産を買うはずもないのに、行きがけよりも増えた荷物を膝に抱える。
大量にもらった饅頭は、咲良にも少し分けてやった。帰りの車内で食えばいいと言ったが、あいつは食べているだろうか。
水筒には、施設の人が入れてくれた温かい緑茶が入っている。これは食べずにはいられまい。
「いただきます」
いろいろな饅頭があるが、まずは黒糖を食ってみる。
ふわりと香る黒糖と、生地そのものの香り。中の餡はこしあんだ。ほろ苦さもある黒糖の風味に、甘いあんこがよく合う。ふわふわとモチモチの間の食感で、結構食べ応えのある饅頭だ。
次は白いの。うん、シンプルな生地の味。これぞ饅頭のお手本というような見た目でもある。あんこは何だろう。わ、薄ピンク。これは……桜餡か。桜餅のような風味でもあり、豆の風味もあり、今だけの味だな。
ヨモギは少し小ぶりだな。しっかりとした粒あんで、生地はしっとり系。ヨモギの風味もいい。
そこにちょっと渋めの緑茶。程よくぬるくて、飲みやすい。やっぱり、饅頭には緑茶がよく合うなあ。
食べすぎかもしれないが、もう一つだけ。
一番のとっておき、栗饅頭。まあ、とっておきといってもいっぱいあるけど。栗饅頭って、なんとなく特別なんだよなあ。
つやっとした表面が、なんか好きだ。他の饅頭とは違う生地の食感と風味、ほろほろと崩れるような餡、ほのかながらも感じる栗の味。
この栗饅頭は、細かく刻んだ栗が餡に混ざっているらしい。これは食べやすくていい。大粒の栗が入っているのも好きだけど、このタイプの栗饅頭も好きだなあ。
まさか、宿泊訓練に行ってこんなことになろうとは。家族に話したらなんて言うだろう。
心底面白そうに笑ってくれるんだろうな。
まだまだ見慣れた風景には程遠い窓の外。でも確かに、合宿は終わろうとしている。
腹も満たされ、ほっとしたらなんだか眠たくなってきた。休憩所まで寝るか。次に目が覚めた時には、もう、見覚えのある町並みに変わっているだろうか。
家の匂いが、ふと恋しくなった。
「ごちそうさまでした」
もう日付は変わっただろうか。スマホが見られないから分からない。
でも、まだまだ眠っていいくらいの時間だろうというのは分かる。
「……はぁ、めんどくせぇ」
眠りを妨げる感覚に気付いてしまえば、もうどうしようもない。他のやつらを起こさないように、そっと起き上がり、部屋を出る。
廊下には先生がいて、どこに行くかを報告して目的地に向かう。
大仰な気もするが、ずっと前に、そのまま脱走して帰ってしまった人がいたらしく、それ以来、そういうシステムになっているのだとか。
用を済ませ、帰りは少しだけのんびり歩いてみる。というか、眠すぎてあんまり早く歩けない。部屋からトイレまではちょっと遠く、大きな窓のもうけられた廊下をぼちぼち歩かなければならない。
窓の外には、人の気配が何一つない自然が見える。雲の無い空には月が大きくぽっかりと浮かんでいて、辺り一帯を照らしていた。他に光がないから、星もよく見える。
山がずんぐりと黒くて、まるで、一つの生き物のようだった。
「あ」
流れ星。見間違いか、と思った矢先、もう一つ。頼りなげだが確かな光の線が、すうっと空に伸びて消えた。
翌日、合宿最終日。この日は少しだけ自習の時間があって、あとは施設内の掃除である。クラス混合、割り当てられた場所の掃除をする。俺の担当は……正面玄関か。いくつ靴を並べても窮屈に感じないあの玄関をきれいに掃除するのは、骨が折れそうだ。
「この後昼飯だっけ?」
と、勇樹が聞く。
「そうだな」
「ふぁ……早く帰りたい」
先生の目を盗んであくびをするのは宮野だ。その横で山崎は堂々と伸びをし、「たるんでるぞ」と、通りすがりの先生に小言を言われていた。
「どっか別のクラスと一緒だったはずだけど、来ないよねぇ」
そう山崎がつぶやいた時、二宮先生がやって来た。
「外を掃除してる。お前たちは中担当だ」
「あ、そーいう感じですか」
「隅々まできれいにするんだぞー」
そういや、玄関は昨日掃除してなかったな。そんなにゴミがあるようにも見えないけど、掃除する必要あるのかね。
「植木がいっぱい並んでる」
勇樹が言うと、受付にいた職員の人がひょっこりと顔を出した。
「これから花が咲くんだよ。よければ外に出してくれるかい?」
「はーい」
植木鉢は、結構ずっしりくる。何の花が咲くんだろう、と葉をしげしげと眺めていたら、『紫陽花・青』と書かれたシールが植木鉢に貼ってあることに気が付く。
いつも置いているという場所に植木鉢を並べていく。確かに、他のクラスの班は外を掃除しているらしい。デッキブラシを持ち、腕まくりをしてしっかりと。こりゃ、外担当の方が大変そうだな……
「あっ、春都だ! 春都ー!」
む、このやかましい声。
「咲良。お前もここ掃除だったのか」
「おう」
咲良の手には、ずいぶん長いホースが握られていて、水がさらさらと流れていた。咲良はホースの先を少し潰して持つ。シャワー状になった水は植木鉢に降り注ぎ、青い葉が太陽の光を受けてきらきらときらめいた。
「いやー、なんか久しぶりな感じするなあ」
「一日とちょっとだろ」
「ほんとにな。土日挟んでもそんなに感じねーのに、何だろうな」
「……それは確かに」
咲良はホースを握りなおす。絶え間なく流れ続ける水は、アスファルトをじわじわと染めていった。
「春都がさみしがってんじゃないかなーって、心配してたんだぞ」
「はあ?」
「実際、なんか面白くなさそうだったし? 俺がいなくて退屈だったんだろ~」
と、咲良がいたずらっぽく笑う。肯定するのも否定するのもなんだか違う気がして黙っていると「やっぱり」と言って、ホースを上下にして水を蛇のようにくねらせる。
「馬鹿お前、濡れる」
「着替えりゃいいって。どうせ帰るだけなんだし」
「言ったな?」
結局その後二人してずぶ濡れになってしまったので、しっかり着替えてからバスに乗り込んだ。一生懸命掃除したようでよろしい、とお咎めなしだったのは、流れ星のおかげだったのだろうか。
疲れ切ったみんなが寝静まったバス車内。お土産を買うはずもないのに、行きがけよりも増えた荷物を膝に抱える。
大量にもらった饅頭は、咲良にも少し分けてやった。帰りの車内で食えばいいと言ったが、あいつは食べているだろうか。
水筒には、施設の人が入れてくれた温かい緑茶が入っている。これは食べずにはいられまい。
「いただきます」
いろいろな饅頭があるが、まずは黒糖を食ってみる。
ふわりと香る黒糖と、生地そのものの香り。中の餡はこしあんだ。ほろ苦さもある黒糖の風味に、甘いあんこがよく合う。ふわふわとモチモチの間の食感で、結構食べ応えのある饅頭だ。
次は白いの。うん、シンプルな生地の味。これぞ饅頭のお手本というような見た目でもある。あんこは何だろう。わ、薄ピンク。これは……桜餡か。桜餅のような風味でもあり、豆の風味もあり、今だけの味だな。
ヨモギは少し小ぶりだな。しっかりとした粒あんで、生地はしっとり系。ヨモギの風味もいい。
そこにちょっと渋めの緑茶。程よくぬるくて、飲みやすい。やっぱり、饅頭には緑茶がよく合うなあ。
食べすぎかもしれないが、もう一つだけ。
一番のとっておき、栗饅頭。まあ、とっておきといってもいっぱいあるけど。栗饅頭って、なんとなく特別なんだよなあ。
つやっとした表面が、なんか好きだ。他の饅頭とは違う生地の食感と風味、ほろほろと崩れるような餡、ほのかながらも感じる栗の味。
この栗饅頭は、細かく刻んだ栗が餡に混ざっているらしい。これは食べやすくていい。大粒の栗が入っているのも好きだけど、このタイプの栗饅頭も好きだなあ。
まさか、宿泊訓練に行ってこんなことになろうとは。家族に話したらなんて言うだろう。
心底面白そうに笑ってくれるんだろうな。
まだまだ見慣れた風景には程遠い窓の外。でも確かに、合宿は終わろうとしている。
腹も満たされ、ほっとしたらなんだか眠たくなってきた。休憩所まで寝るか。次に目が覚めた時には、もう、見覚えのある町並みに変わっているだろうか。
家の匂いが、ふと恋しくなった。
「ごちそうさまでした」
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