一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第六百五十九話 カレーライス

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 合宿二日目。今日も今日とて、すがすがしい空が広がっている。山の方だからか風は少し冷たく、澄み切っている。深呼吸をすると新緑の香りがして、小鳥のさえずりと木々のざわめきが耳に心地よい。
「いい天気だなあ……」
「何を現実逃避しとるんだ」
 そう言って笑うのは二宮先生だ。軒先に置いてある手作りのベンチに腰掛けて、俺の監視をしている。
 そして俺は、掃除をしている。みんなは今、自習中だ。つまり外には、俺と先生しかいない。
 どうして先生の監視下に置かれ、掃除をする羽目になったのか。まったく、納得いかない。
 自然のざわめきが聞こえるのにどこか静かな空気に、ため息を一つ吐き出した。

 それは、午前中の授業が終わり、昼食後の休憩時間のことである。
「一時から自習だからな。遅れるなよ~」
 これから一時間は自由時間だ。散歩しても、昼寝しても、あるいは勉強してもいい。どうしようかと考えた結果、俺は、散歩することにした。
 腹ごなしにはちょうどいいだろう。少し歩いて、後は自習室に戻ろう。
「いい天気だ」
 ググッと背伸びをし、歩き出す。
 ほとんどのやつらはグラウンドや広場に行き、何か運動をしているようだった。サッカーとか、ドッジボールとか。どっちも苦手だ。サッカーはボールに置いて行かれるし、ドッジボールは痛い。
 散歩コースには、一般のお客さんの方が多かった。多いと言えど、数人見かけるくらいで、ほとんどが、昨日昼飯を食った広場にいるようだった。風に乗って、賑やかな声が聞こえてくる。
 木々に囲まれた道を行く。背の高い木ばかりだから、程よく木陰になっていて、まるで透き通った川の底を歩いているような感じがする。
 途中には分かれ道があり、散歩コースの案内板と、町中へ出る方の案内板とが掲げてある。散歩コースの方へ行けば、順調に宿泊所へ帰れるから、そっちに……
「……ん?」
 あれ、なんか、反対側の道に人がいる。大きい荷物と一緒に座り込んで、どうしたんだろう。おばあさんのようにも見えるが……
 周囲を見回しても他に誰もいない。うーん、このまま戻ってもいいが、何か気になるしなあ。
「あ、あのー」
 思い切って声をかけると、疲れた様子のおばあさんがこちらを向いた。
「どうか、されましたか」
「ああ、ええ、荷物が重たくってね、ここ、木陰になってるでしょう。休憩してたのよ」
「そう、ですか」
「早く帰らないと心配させちゃうから、急がなきゃいけないのだけれど、どうにも、ねえ」
 おばあさんは笑うとため息をついた。
「おうちは、お近くですか」
「少し歩いたところよ」
 この様子だと、いつ帰りつくか分からない。時間は気になるが……うーん、それよりも。
「よければ、荷物、持ちますよ」
「あら、いいの? 助かるわ」
 それから俺は、本当に重い荷物を持って、おばあさんを家まで送り届けた。家族の人にもずいぶんと恐縮されてしまい、こっちの方が余計なことをしただろうかと心配になったが、安心して喜んでくれた様子を見ると、そうでもなかったのかなとほっとする。
 しかし、喜んだのもつかの間、当然盛大に遅刻した俺は先生に怒られ、理由を説明しようとしたものの、聞き入れてはくれなかったのだった。

「で、結局どうしちゃったわけ。何も理由なく、一条君が遅刻するわけないでしょ」
 二宮先生が言うが、話す気にはなれない。戻ってきたとき、二宮先生がいれば少しは話せたのかなあ、なんて。まあ、休憩時間だったということもあって、連帯責任として班員みんなで、ってことにならなかっただけいいか。
 今更自習室に戻りたくもないし。
「別に、何でもないですよ」
「本当かなあ」
「どうしたって、遅刻は遅刻でしょうから」
 大して散らかってもいない敷地内を掃除し、他には、館内の雑用の手伝いだったか。
「ああ、よかった。あの」
 ふと、さっき聞いた覚えのある声がして、振り返ると、さっき送り届けたおばあさんがいた。隣には娘さんもいる。
「さっきは母がお世話になりました。ここに来てある生徒さんだって聞いたから」
「えっと、なにか?」
 二宮先生が聞くと、おばあさんとその娘さんが事情を説明してくれた。先生は少し驚いたようにこっちを見たが、なんだか決まり悪かったので、何も言わないでいた。
「本当にお世話になりました。これ、よかったら食べてください」
 おばあさんは言うと、袋一杯のまんじゅうを先生に渡した。先生は断ったが、どうしても受け取ってくれないと帰れないというものだから、ありがたく頂戴した。
 おばあさんはこっちを見ると、にこにこ笑って俺の手を取った。しわのある少しかたい手は、掃除をして冷えた手に暖かかった。
「ありがとうねえ」
 二人を見送った後、二宮先生が肘でつついてきて、にやっと笑った。
「かっこいいじゃん」
「……別に」
 結局、饅頭は俺が全部貰うことになった。消費期限までしばらくあるみたいだし、ありがたく食べさせてもらうとしよう。

 晩飯は、合宿定番というべきか、カレーだった。
 見知った顔のやつらはみんな「災難だったな~」と声をかけてきて、それ以上は聞かなかった。山崎だけは「よくあることだよね」とちょっと角度の違う励ましの言葉をかけてきたが。
「いただきます」
 多めによそったご飯に、ルー多めのカレー。じゃがいもに玉ねぎ、にんじん、肉は小さな豚肉だ。
 もっちりと炊き上がった米と、スパイスの香りがする甘いカレー。ほんと、カレーって作る人や場所によって全然違う味になる。お米とのバランスもあるのだろうか。米の炊き方にもよるよなあ。
 少しさらさらとしたルーに、とろりとしたじゃがいも。にんじんはよく見ると、星形になっているようだった。じゃあ、この破片は、星形の周りといった具合か。
 玉ねぎは大きめに切られていて、少し歯ごたえがある。トロットロに煮込んだものもいいが、こういう、ごろっとした感じもいいもんだ。
 肉は小さめだが、確かにうま味がある。
 少し醤油をかけて、味変をする。
 早々、醤油のコクとうま味が加わって、和風の味わいがしてうまいんだ。醤油って、たいていのものに合うと思う。シチューとかにも合うんだよな、これが。
 そして赤々とした福神漬け。ご飯に染みができているのが、合宿所のカレーらしい。
 福神漬けは甘く、スパイスの香りとよく合う。真っ赤な福神漬けと茶色のカレー、真っ白なご飯をスプーンにのせ、ミニカレー。スプーンの上に盛り付けるの、なんか好きだ。丸ごと食ってるって感じがして、楽しい。
 まあ、いろいろあったけど、無事に終わって何よりだ。
 あ、でもそういえば、明日も掃除の時間があったような。授業以外のほとんどの時間、俺、掃除してばっかだな。
 まあいいか。そういうこともある。
 そう思えたなら上々。さて、明日の今頃は家だ。もうひと頑張りといきますか。

「ごちそうさまでした」
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