704 / 843
日常
第六百五十九話 カレーライス
しおりを挟む
合宿二日目。今日も今日とて、すがすがしい空が広がっている。山の方だからか風は少し冷たく、澄み切っている。深呼吸をすると新緑の香りがして、小鳥のさえずりと木々のざわめきが耳に心地よい。
「いい天気だなあ……」
「何を現実逃避しとるんだ」
そう言って笑うのは二宮先生だ。軒先に置いてある手作りのベンチに腰掛けて、俺の監視をしている。
そして俺は、掃除をしている。みんなは今、自習中だ。つまり外には、俺と先生しかいない。
どうして先生の監視下に置かれ、掃除をする羽目になったのか。まったく、納得いかない。
自然のざわめきが聞こえるのにどこか静かな空気に、ため息を一つ吐き出した。
それは、午前中の授業が終わり、昼食後の休憩時間のことである。
「一時から自習だからな。遅れるなよ~」
これから一時間は自由時間だ。散歩しても、昼寝しても、あるいは勉強してもいい。どうしようかと考えた結果、俺は、散歩することにした。
腹ごなしにはちょうどいいだろう。少し歩いて、後は自習室に戻ろう。
「いい天気だ」
ググッと背伸びをし、歩き出す。
ほとんどのやつらはグラウンドや広場に行き、何か運動をしているようだった。サッカーとか、ドッジボールとか。どっちも苦手だ。サッカーはボールに置いて行かれるし、ドッジボールは痛い。
散歩コースには、一般のお客さんの方が多かった。多いと言えど、数人見かけるくらいで、ほとんどが、昨日昼飯を食った広場にいるようだった。風に乗って、賑やかな声が聞こえてくる。
木々に囲まれた道を行く。背の高い木ばかりだから、程よく木陰になっていて、まるで透き通った川の底を歩いているような感じがする。
途中には分かれ道があり、散歩コースの案内板と、町中へ出る方の案内板とが掲げてある。散歩コースの方へ行けば、順調に宿泊所へ帰れるから、そっちに……
「……ん?」
あれ、なんか、反対側の道に人がいる。大きい荷物と一緒に座り込んで、どうしたんだろう。おばあさんのようにも見えるが……
周囲を見回しても他に誰もいない。うーん、このまま戻ってもいいが、何か気になるしなあ。
「あ、あのー」
思い切って声をかけると、疲れた様子のおばあさんがこちらを向いた。
「どうか、されましたか」
「ああ、ええ、荷物が重たくってね、ここ、木陰になってるでしょう。休憩してたのよ」
「そう、ですか」
「早く帰らないと心配させちゃうから、急がなきゃいけないのだけれど、どうにも、ねえ」
おばあさんは笑うとため息をついた。
「おうちは、お近くですか」
「少し歩いたところよ」
この様子だと、いつ帰りつくか分からない。時間は気になるが……うーん、それよりも。
「よければ、荷物、持ちますよ」
「あら、いいの? 助かるわ」
それから俺は、本当に重い荷物を持って、おばあさんを家まで送り届けた。家族の人にもずいぶんと恐縮されてしまい、こっちの方が余計なことをしただろうかと心配になったが、安心して喜んでくれた様子を見ると、そうでもなかったのかなとほっとする。
しかし、喜んだのもつかの間、当然盛大に遅刻した俺は先生に怒られ、理由を説明しようとしたものの、聞き入れてはくれなかったのだった。
「で、結局どうしちゃったわけ。何も理由なく、一条君が遅刻するわけないでしょ」
二宮先生が言うが、話す気にはなれない。戻ってきたとき、二宮先生がいれば少しは話せたのかなあ、なんて。まあ、休憩時間だったということもあって、連帯責任として班員みんなで、ってことにならなかっただけいいか。
今更自習室に戻りたくもないし。
「別に、何でもないですよ」
「本当かなあ」
「どうしたって、遅刻は遅刻でしょうから」
大して散らかってもいない敷地内を掃除し、他には、館内の雑用の手伝いだったか。
「ああ、よかった。あの」
ふと、さっき聞いた覚えのある声がして、振り返ると、さっき送り届けたおばあさんがいた。隣には娘さんもいる。
「さっきは母がお世話になりました。ここに来てある生徒さんだって聞いたから」
「えっと、なにか?」
二宮先生が聞くと、おばあさんとその娘さんが事情を説明してくれた。先生は少し驚いたようにこっちを見たが、なんだか決まり悪かったので、何も言わないでいた。
「本当にお世話になりました。これ、よかったら食べてください」
おばあさんは言うと、袋一杯のまんじゅうを先生に渡した。先生は断ったが、どうしても受け取ってくれないと帰れないというものだから、ありがたく頂戴した。
おばあさんはこっちを見ると、にこにこ笑って俺の手を取った。しわのある少しかたい手は、掃除をして冷えた手に暖かかった。
「ありがとうねえ」
二人を見送った後、二宮先生が肘でつついてきて、にやっと笑った。
「かっこいいじゃん」
「……別に」
結局、饅頭は俺が全部貰うことになった。消費期限までしばらくあるみたいだし、ありがたく食べさせてもらうとしよう。
晩飯は、合宿定番というべきか、カレーだった。
見知った顔のやつらはみんな「災難だったな~」と声をかけてきて、それ以上は聞かなかった。山崎だけは「よくあることだよね」とちょっと角度の違う励ましの言葉をかけてきたが。
「いただきます」
多めによそったご飯に、ルー多めのカレー。じゃがいもに玉ねぎ、にんじん、肉は小さな豚肉だ。
もっちりと炊き上がった米と、スパイスの香りがする甘いカレー。ほんと、カレーって作る人や場所によって全然違う味になる。お米とのバランスもあるのだろうか。米の炊き方にもよるよなあ。
少しさらさらとしたルーに、とろりとしたじゃがいも。にんじんはよく見ると、星形になっているようだった。じゃあ、この破片は、星形の周りといった具合か。
玉ねぎは大きめに切られていて、少し歯ごたえがある。トロットロに煮込んだものもいいが、こういう、ごろっとした感じもいいもんだ。
肉は小さめだが、確かにうま味がある。
少し醤油をかけて、味変をする。
早々、醤油のコクとうま味が加わって、和風の味わいがしてうまいんだ。醤油って、たいていのものに合うと思う。シチューとかにも合うんだよな、これが。
そして赤々とした福神漬け。ご飯に染みができているのが、合宿所のカレーらしい。
福神漬けは甘く、スパイスの香りとよく合う。真っ赤な福神漬けと茶色のカレー、真っ白なご飯をスプーンにのせ、ミニカレー。スプーンの上に盛り付けるの、なんか好きだ。丸ごと食ってるって感じがして、楽しい。
まあ、いろいろあったけど、無事に終わって何よりだ。
あ、でもそういえば、明日も掃除の時間があったような。授業以外のほとんどの時間、俺、掃除してばっかだな。
まあいいか。そういうこともある。
そう思えたなら上々。さて、明日の今頃は家だ。もうひと頑張りといきますか。
「ごちそうさまでした」
「いい天気だなあ……」
「何を現実逃避しとるんだ」
そう言って笑うのは二宮先生だ。軒先に置いてある手作りのベンチに腰掛けて、俺の監視をしている。
そして俺は、掃除をしている。みんなは今、自習中だ。つまり外には、俺と先生しかいない。
どうして先生の監視下に置かれ、掃除をする羽目になったのか。まったく、納得いかない。
自然のざわめきが聞こえるのにどこか静かな空気に、ため息を一つ吐き出した。
それは、午前中の授業が終わり、昼食後の休憩時間のことである。
「一時から自習だからな。遅れるなよ~」
これから一時間は自由時間だ。散歩しても、昼寝しても、あるいは勉強してもいい。どうしようかと考えた結果、俺は、散歩することにした。
腹ごなしにはちょうどいいだろう。少し歩いて、後は自習室に戻ろう。
「いい天気だ」
ググッと背伸びをし、歩き出す。
ほとんどのやつらはグラウンドや広場に行き、何か運動をしているようだった。サッカーとか、ドッジボールとか。どっちも苦手だ。サッカーはボールに置いて行かれるし、ドッジボールは痛い。
散歩コースには、一般のお客さんの方が多かった。多いと言えど、数人見かけるくらいで、ほとんどが、昨日昼飯を食った広場にいるようだった。風に乗って、賑やかな声が聞こえてくる。
木々に囲まれた道を行く。背の高い木ばかりだから、程よく木陰になっていて、まるで透き通った川の底を歩いているような感じがする。
途中には分かれ道があり、散歩コースの案内板と、町中へ出る方の案内板とが掲げてある。散歩コースの方へ行けば、順調に宿泊所へ帰れるから、そっちに……
「……ん?」
あれ、なんか、反対側の道に人がいる。大きい荷物と一緒に座り込んで、どうしたんだろう。おばあさんのようにも見えるが……
周囲を見回しても他に誰もいない。うーん、このまま戻ってもいいが、何か気になるしなあ。
「あ、あのー」
思い切って声をかけると、疲れた様子のおばあさんがこちらを向いた。
「どうか、されましたか」
「ああ、ええ、荷物が重たくってね、ここ、木陰になってるでしょう。休憩してたのよ」
「そう、ですか」
「早く帰らないと心配させちゃうから、急がなきゃいけないのだけれど、どうにも、ねえ」
おばあさんは笑うとため息をついた。
「おうちは、お近くですか」
「少し歩いたところよ」
この様子だと、いつ帰りつくか分からない。時間は気になるが……うーん、それよりも。
「よければ、荷物、持ちますよ」
「あら、いいの? 助かるわ」
それから俺は、本当に重い荷物を持って、おばあさんを家まで送り届けた。家族の人にもずいぶんと恐縮されてしまい、こっちの方が余計なことをしただろうかと心配になったが、安心して喜んでくれた様子を見ると、そうでもなかったのかなとほっとする。
しかし、喜んだのもつかの間、当然盛大に遅刻した俺は先生に怒られ、理由を説明しようとしたものの、聞き入れてはくれなかったのだった。
「で、結局どうしちゃったわけ。何も理由なく、一条君が遅刻するわけないでしょ」
二宮先生が言うが、話す気にはなれない。戻ってきたとき、二宮先生がいれば少しは話せたのかなあ、なんて。まあ、休憩時間だったということもあって、連帯責任として班員みんなで、ってことにならなかっただけいいか。
今更自習室に戻りたくもないし。
「別に、何でもないですよ」
「本当かなあ」
「どうしたって、遅刻は遅刻でしょうから」
大して散らかってもいない敷地内を掃除し、他には、館内の雑用の手伝いだったか。
「ああ、よかった。あの」
ふと、さっき聞いた覚えのある声がして、振り返ると、さっき送り届けたおばあさんがいた。隣には娘さんもいる。
「さっきは母がお世話になりました。ここに来てある生徒さんだって聞いたから」
「えっと、なにか?」
二宮先生が聞くと、おばあさんとその娘さんが事情を説明してくれた。先生は少し驚いたようにこっちを見たが、なんだか決まり悪かったので、何も言わないでいた。
「本当にお世話になりました。これ、よかったら食べてください」
おばあさんは言うと、袋一杯のまんじゅうを先生に渡した。先生は断ったが、どうしても受け取ってくれないと帰れないというものだから、ありがたく頂戴した。
おばあさんはこっちを見ると、にこにこ笑って俺の手を取った。しわのある少しかたい手は、掃除をして冷えた手に暖かかった。
「ありがとうねえ」
二人を見送った後、二宮先生が肘でつついてきて、にやっと笑った。
「かっこいいじゃん」
「……別に」
結局、饅頭は俺が全部貰うことになった。消費期限までしばらくあるみたいだし、ありがたく食べさせてもらうとしよう。
晩飯は、合宿定番というべきか、カレーだった。
見知った顔のやつらはみんな「災難だったな~」と声をかけてきて、それ以上は聞かなかった。山崎だけは「よくあることだよね」とちょっと角度の違う励ましの言葉をかけてきたが。
「いただきます」
多めによそったご飯に、ルー多めのカレー。じゃがいもに玉ねぎ、にんじん、肉は小さな豚肉だ。
もっちりと炊き上がった米と、スパイスの香りがする甘いカレー。ほんと、カレーって作る人や場所によって全然違う味になる。お米とのバランスもあるのだろうか。米の炊き方にもよるよなあ。
少しさらさらとしたルーに、とろりとしたじゃがいも。にんじんはよく見ると、星形になっているようだった。じゃあ、この破片は、星形の周りといった具合か。
玉ねぎは大きめに切られていて、少し歯ごたえがある。トロットロに煮込んだものもいいが、こういう、ごろっとした感じもいいもんだ。
肉は小さめだが、確かにうま味がある。
少し醤油をかけて、味変をする。
早々、醤油のコクとうま味が加わって、和風の味わいがしてうまいんだ。醤油って、たいていのものに合うと思う。シチューとかにも合うんだよな、これが。
そして赤々とした福神漬け。ご飯に染みができているのが、合宿所のカレーらしい。
福神漬けは甘く、スパイスの香りとよく合う。真っ赤な福神漬けと茶色のカレー、真っ白なご飯をスプーンにのせ、ミニカレー。スプーンの上に盛り付けるの、なんか好きだ。丸ごと食ってるって感じがして、楽しい。
まあ、いろいろあったけど、無事に終わって何よりだ。
あ、でもそういえば、明日も掃除の時間があったような。授業以外のほとんどの時間、俺、掃除してばっかだな。
まあいいか。そういうこともある。
そう思えたなら上々。さて、明日の今頃は家だ。もうひと頑張りといきますか。
「ごちそうさまでした」
36
お気に入りに追加
252
あなたにおすすめの小説
夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします
希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。
国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。
隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。
「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」
実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは
竹井ゴールド
ライト文芸
日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。
その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。
青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。
その後がよろしくない。
青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。
妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。
長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。
次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。
三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。
四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。
この5人とも青夜は家族となり、
・・・何これ? 少し想定外なんだけど。
【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】
【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】
【2023/6/5、お気に入り数2130突破】
【アルファポリスのみの投稿です】
【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】
【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】
【未完】
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
【短編】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ、赤ちゃんが生まれる。
誕生を祝いに、領地から父の辺境伯が訪ねてくるのを心待ちにしているアリシア。
でも、夫と赤髪メイドのメリッサが口づけを交わしているのを見てしまう。
「なぜ、メリッサもお腹に赤ちゃんがいるの!?」
アリシアは夫の愛を疑う。
小説家になろう様にも投稿しています。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる