一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第六百四十一話 いなり寿司

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 今日は少しだけ早起きして、昼ご飯の準備をする。
 冷凍庫から、揚げを取り出す。ばあちゃんが甘く炊いてくれたもので、いなり寿司にもってこいなのだ。これをレンジでチンする間、酢飯を準備する。
 炊き立てのご飯に、酢と砂糖と少しの塩を混ぜたものを混ぜていく。塩は酢飯の味を引き締めてくれるんだ。うーん、酸っぱい香り。目が覚めるようだ。
 ごまも一緒に混ぜよう。
 さて、揚げも準備できたことだし、詰めていこう。三角にしようか四角にしようか……よし、どっちも作ろう。
 詰めすぎず、少なすぎない量の酢飯を上げに詰める。ご飯の量の塩梅で、いなり寿司の味わいが変わってくるから、バカにできない。
 大量にできそうだな。晩飯まで食えばいいか。
「よし、完成」
 ラップをかけて、冷蔵庫へ。
 今日は休日だから、学校に行くときみたいに、昼ご飯を早くに準備しておく必要はないのだが、出かける予定だから、昼飯の心配したくないんだよな。
 人は暖かくなってくると、動きたくなってくるものだ。春の兆しは、出不精な俺でさえ外へ引っ張り出す。
「さて、と」
 服装に頓着の無い俺のために、定期的に父さんと母さんが洋服を買ってくる。家に帰る暇がないときは出先から送ってくるくらいだ。しかしまあ、あれだな。新しい服ってのは少しワクワクする。
 今日は図書館……ではなく、本屋に行こうと思う。
 電車とバスを乗り継いで、どれくらいかかったかなあ。ま、いいや。時間はあるし、のんびり行こう。
 ただでさえあっという間の春。急ぐのは、野暮だ。

 穏やかに吹く風は少し冷たく、日差しはほんのり暖かい。電車の中はまだ暖房が効いていて、ぬるま湯につかるような気分である。
 今の時間、俺だけをのせた電車が滑り出す。
 ガタン、ゴトン、と規則正しい音が耳に心地よく、伝わる振動が心を浮き立たせる。朝の日差しは夕暮れにも似ていて、今が何時だったかと分からなくなりそうだ。
 次の停車駅を告げるアナウンスの後、誰もいないホームに電車が止まる。
 造りは地元の駅に似ているが、周辺の景色が全然違う。塾や不動産屋が入った雑居ビル、きらきらした色合いの新しい店、大きな看板、住宅街。日曜日だということもあってか人通りは少ないし開店前の店も多く、静かな空気が満ちているが、日が高くなるころには賑やかになっているんだろうなあ。
 そういえばあの雑居ビルの三階、前は音楽教室が入ってなかったっけ。空室になっている。太陽の光が差し込むと、内装がよく見えた。すっからかんの部屋を通り抜けた明かりは、電車の中まで届く。
 塾はまだひっそりと暗く、不動産屋は店の前の掃除をしている。そういうのを見ると、今が朝だったのだと思い出す。
『扉が閉まります――』
 少し空気が新しくなった電車が再び走り出す。看板に反射した朝日がまぶしかった。
「お、ちょっと寒い」
 羽織るものを持って来ていてよかった。風通しがいい日陰は、いまだ冬のように寒い。一気に体温が奪われるようだ。
「さむ、さむ」
 えーっと、バス停バス停。
 いつも行列ができているが、今の時間はどうだろう。うわ、店が全然開いてない。そうだよなあ、この辺の店はいつも昼頃に開くんだ。今は準備時間か、はたまた準備の前段階か。
 バス停に人は少ないようだった。大荷物を持ったジャージの集団は、部活か何かだろうか。同い年なのか年下なのか、それとも年上なのか、よく分からん。分かったところでどうということはないのだが、どれくらいの歳なのかな、とつい思ってしまう。
 バスの中は電車よりも暖かい。この時期に体調を崩す人が多いのが分かる気がした。
 バスの窓は少し暗くて、光があまり入ってこない。高い視点から見る街はなんだか新鮮だ。車の天井とか、いつもより遠くの景色とか、そういうのが見えるのが楽しい。
 電車の駅から本屋のある商業施設まではそう時間はかからない。もう少しこの時間を堪能したい気もあるが、降りなければ。
 うん、開店まであと少し。いい時間に着いたな。
 参考書の棚は確か奥の方だったはずだ。本屋の入り口辺りは文房具も売っていて、レジの前あたりではいつもイラストとかが売ってある。月ごとに特集内容が変わるコーナーには、世界各地で発掘された鉱石が置いてあった。
 へー、買えるんだ、これ。まめな人が買わないと埋もれてしまいそうだなあ。まあ、俺は買わないけどさ。
 後で漫画の棚も見ていこう。街の本屋には並んでいないような漫画もあるんだ、ここ。
 目当ての本を買ったら、少しだけ店内をぶらっとして帰る。
 何を買うわけでもないが、普段見ないようなものを眺めながら歩くってだけで楽しい。でも、昼に差し掛かってくると人が増えてくる。これ以上多くなる前に帰ろう。
 昼飯、準備しといて正解だったなあ。

 家に帰り着いて楽な格好に着替えたら、いなりずしを冷蔵庫から出す。冷えすぎてもあんまりだからな。
 それと、カップ麺。今日は肉うどんにしよう。
 お湯を沸かして入れて、出来上がるまで五分くらい。その間にいなり寿司を食べる。
「いただきます」
 ひんやりしたいなり寿司、まずは、三角から。
 ジュワッと滲み出す甘い汁、揚げの風味に酢飯の味わい。確かにすっぱいが、嫌な酸味ではなく、元気が出るような味だ。揚げの甘味とちょうどよく合うし、ごまがはじけるとふわっと香ばしい。
 甘い物とか、酸っぱい物って元気が出る。その両方を兼ね備えているいなり寿司って、実は最強なのではなかろうか。
 そろそろうどんもいいだろう。カップ麺って、ときどき無性に食べたくなるんだよなあ。
 濃い出汁と、うまみ、つるんとした麺。確かに店のうどんとかとは違うが、この口当たりがいいんだよなあ。
 肉も甘く、ジュワジュワしている。ねぎは、ほぼ風味はないが、食感がいい。あ、今少し味がした。
 次は四角のいなり寿司を。
 三角のやつよりもぎゅっとご飯が詰まってるんだよな、四角って。そして少し酸味を強く感じる。そこにうどんの出汁を流し込むと、いい。
 温かい出汁で酢飯がほどけていくこの感覚、たまらないんだよなあ。
 そしていなり寿司は、少し作り過ぎたと思うくらいがちょうどいいのである。
 あっという間に食べちゃうから。
「晩飯前にはなくなりそうだな」
 あとはお昼、小腹が空いた時のおやつにしよう。
 あっつい緑茶とも、合うんだよなあ。

「ごちそうさまでした」
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