一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第五百八十七話 小籠包

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 家を出ようとしたタイミングで、スマホが鳴った。
「あ、母さん」
 今日帰ってくるのか。
「うめず。今日、父さんと母さんが帰ってくるって」
「わう」
「俺より先に帰ってくると思うから、頼むぞ」
「わふっ」
 うめずは頼もしく返事をした。尻尾が嬉しそうに揺れているからなんか締まらないけど、それがいい。
「じゃ、いってきます」
 ここ数日の暖かさから一転、今日はずいぶんと冷え込んでいる。風が吹くととんでもなく寒い。季節の変わり目は温度差がなあ、厳しいよなあ。
 校門に立っている先生たちも寒そうだ。そんなに寒いなら、無理して立たなくてもいいのになあ。特に校門は日陰になっているから、余計に寒いんだ。生徒会も今日はマフラーに手袋と完全防備である。
 寒い日は、温かいものが恋しくなる。おでん、鍋……揚げ物もいいな、揚げ物。あっつあつの揚げ物っていいよな。冷めてもうまいのはあるけど、揚げたてって、やっぱり違う。
 多分、俺が帰る頃には父さんと母さんは帰って来てるだろうからな。なんか用意してくれてると嬉しいなあ。それか、なんかお土産買ってきてくれないかな。この辺じゃなかなか食べられないようなもの。
 冷え冷えとする階段を上り、人の声が聞こえるもののどこか静かな感じのする廊下を歩き、人の熱気で幾分か暖かい教室に入る。教室も誰かが騒いでいるわけでも、話に興じる人たちがいるわけでもないのだが、なんとなくざわめいている。
「おはよう、一条」
「おう、おはよう」
 前の席の中村は、見慣れない参考書を開いて、ノートに問題を解いていた。ああ、塾の参考書か、と思ったのは、自分の席に座ってのことである。
 朝課外は国語、となれば、古語辞典が必要だな。ロッカーに行かないと。教室に入る前にもってくりゃよかった。どうにも俺はこういうところで段取りが悪い。日常生活に大きな支障があるわけではないが、地味に手間が増えるんだ。
 廊下の窓からは、サブグラウンドとテニスコートが見える。理系の方からは、裏門付近に植えられている桜の木も見えるのだが、こちらからは見えない。
 暖かい日が続いたものの、桜はまだ咲かない。温度差がしっかりないと桜も咲かない、と前に父さんが言っていたのを思い出す。暖かいばかりではだめなのか。
 今年の春も、花見に行けるといいなあ。どんな弁当を作ろうか。
 朝課外の予習も、今日必要な物の忘れ物もないことを確認し、弁当の構想を練る。
 出汁巻きがうまく作れるようになったから、それを入れた弁当を作りたいな。きんぴらごぼうや、れんこんのきんぴらもあると嬉しいな。
 魚か肉か、どちらを入れるか悩ましいな。魚はシンプルに焼いたものか、それとも炊いたものか……銀だらみりんもうまいし干物も捨てがたい。肉はからあげかな。それとも照り焼き? 魚の照り焼きもいいんだよなあ。
 いっそのこと両方入れるとか。豪華すぎるかな。
 あ、幕の内弁当ってやつを作ってみたいな。あれって、何をもってして幕の内というのだろう。明確な定義とかあるのだろうか。今度調べてみよう。
 和風で統一するのもいいが、洋食、中華、韓国料理にジャンクフードも捨てがたい。いろんなハンバーガー作ってフライドポテト添えるのも夢があるなあ。小さいころ本で読んだ、外国のピクニックの様子も憧れなんだ。ピーナツバターとジャムのサンドイッチをバスケットに詰めて、りんごも持って行く。
 弁当ではないが、高速道路のサービスエリアであるような軽食もいい。車にもちこんで、食べながら移動する。これって、言葉じゃ言い表せない感慨があるよなあ。
 しょっぱいものから甘いもの、変わり種もたくさんで、選ぶだけでも楽しい。サービスエリアといえば、俺は小籠包を思い出す。薄皮の肉汁たっぷりのやつじゃなくて、小さい肉まんみたいなやつ。あれ、好きなんだよなあ。
 あとは柚子風味のイカの塩辛とか、甘辛いたれとごまをイカと和えた、丼としても茶漬けとしても食べられるやつとか。サービスエリアって、なんであんなにワクワクするんだろう。俺が行き慣れていないってだけなのか。
「なんか楽しそうだな、一条」
 いつの間にか課題を終えたらしい中村が、にこにこ笑いながら言ってくる。
「なんかいいことでもあったのか? それとも、いいことがあるとか?」
「んー、まあ、いいことっちゃいいことだな。花見弁当どうしようかなって」
「花見に行く予定があるのか」
「いや、ないけど。あとはサービスエリアの飯とか……」
「遠出でもするのか?」
 首を横に振って「別に」と言うと、中村は少し呆れたように笑って「なんだそれは」と言った。
 なんだよ、想像するのはタダだし、誰にも迷惑かけないだろ。

 強く望めば、叶うものもある。
「小籠包だ」
 父さんと母さんからのお土産は、サービスエリアの小籠包だった。透明のパックに十個入っていて、二パックもあった。二人、レンタカーで帰ってきたらしい。母さんがお茶を入れながら笑って言った。
「高速で帰ってきたからね。春都、好きでしょ?」
「ちょうど食べたいと思ってた」
「うまいもんな、ここの小籠包」
 片づけを終えた父さんはソファにどっかりと座りながら言う。うめずはパタパタとしっぽを振って、ソファに前足を置いた。
「お腹空いたでしょ。ご飯まで時間あるから、食べよう」
 と、母さんが机に温かい緑茶を置く。
「いただきます」
 小籠包は、まだほんのりと温かい。ふわふわしていて、やわらかくて、優しい香りがする。
 肉まんより小さい小籠包。そっとかじってみる。ほのかに甘く、ほわっとした口当たり。噛むと少しもちもちする。この生地の甘さに肉の味わいがよく合う。具だくさん、みっちり、という感じではなく、ほんの少し隙間もあって程よい量の餡だ。味付けは濃すぎず、甘味のある生地にぴったりだ。
 噛むと、ふかあっと空気が抜ける感じがするのがまた面白い。肉まんよりは密度がないが、その分、軽々といくつも食べられる。
 熱々の緑茶と合わせれば、もう最高だ。車の中で食うのもいいが、家でゆっくりと食うのもいい。
 一パックの半分も食ってしまったが、父さんも母さんも「もっと食べろ」と言う。その言葉に甘えて、しこたま食った。
 いやあ、満足だ。しかもあと一パックあるって、嬉しすぎる。またあとで食べよう。

「ごちそうさまでした」
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