一条春都の料理帖

藤里 侑

文字の大きさ
上 下
625 / 843
日常

第五百八十七話 小籠包

しおりを挟む
 家を出ようとしたタイミングで、スマホが鳴った。
「あ、母さん」
 今日帰ってくるのか。
「うめず。今日、父さんと母さんが帰ってくるって」
「わう」
「俺より先に帰ってくると思うから、頼むぞ」
「わふっ」
 うめずは頼もしく返事をした。尻尾が嬉しそうに揺れているからなんか締まらないけど、それがいい。
「じゃ、いってきます」
 ここ数日の暖かさから一転、今日はずいぶんと冷え込んでいる。風が吹くととんでもなく寒い。季節の変わり目は温度差がなあ、厳しいよなあ。
 校門に立っている先生たちも寒そうだ。そんなに寒いなら、無理して立たなくてもいいのになあ。特に校門は日陰になっているから、余計に寒いんだ。生徒会も今日はマフラーに手袋と完全防備である。
 寒い日は、温かいものが恋しくなる。おでん、鍋……揚げ物もいいな、揚げ物。あっつあつの揚げ物っていいよな。冷めてもうまいのはあるけど、揚げたてって、やっぱり違う。
 多分、俺が帰る頃には父さんと母さんは帰って来てるだろうからな。なんか用意してくれてると嬉しいなあ。それか、なんかお土産買ってきてくれないかな。この辺じゃなかなか食べられないようなもの。
 冷え冷えとする階段を上り、人の声が聞こえるもののどこか静かな感じのする廊下を歩き、人の熱気で幾分か暖かい教室に入る。教室も誰かが騒いでいるわけでも、話に興じる人たちがいるわけでもないのだが、なんとなくざわめいている。
「おはよう、一条」
「おう、おはよう」
 前の席の中村は、見慣れない参考書を開いて、ノートに問題を解いていた。ああ、塾の参考書か、と思ったのは、自分の席に座ってのことである。
 朝課外は国語、となれば、古語辞典が必要だな。ロッカーに行かないと。教室に入る前にもってくりゃよかった。どうにも俺はこういうところで段取りが悪い。日常生活に大きな支障があるわけではないが、地味に手間が増えるんだ。
 廊下の窓からは、サブグラウンドとテニスコートが見える。理系の方からは、裏門付近に植えられている桜の木も見えるのだが、こちらからは見えない。
 暖かい日が続いたものの、桜はまだ咲かない。温度差がしっかりないと桜も咲かない、と前に父さんが言っていたのを思い出す。暖かいばかりではだめなのか。
 今年の春も、花見に行けるといいなあ。どんな弁当を作ろうか。
 朝課外の予習も、今日必要な物の忘れ物もないことを確認し、弁当の構想を練る。
 出汁巻きがうまく作れるようになったから、それを入れた弁当を作りたいな。きんぴらごぼうや、れんこんのきんぴらもあると嬉しいな。
 魚か肉か、どちらを入れるか悩ましいな。魚はシンプルに焼いたものか、それとも炊いたものか……銀だらみりんもうまいし干物も捨てがたい。肉はからあげかな。それとも照り焼き? 魚の照り焼きもいいんだよなあ。
 いっそのこと両方入れるとか。豪華すぎるかな。
 あ、幕の内弁当ってやつを作ってみたいな。あれって、何をもってして幕の内というのだろう。明確な定義とかあるのだろうか。今度調べてみよう。
 和風で統一するのもいいが、洋食、中華、韓国料理にジャンクフードも捨てがたい。いろんなハンバーガー作ってフライドポテト添えるのも夢があるなあ。小さいころ本で読んだ、外国のピクニックの様子も憧れなんだ。ピーナツバターとジャムのサンドイッチをバスケットに詰めて、りんごも持って行く。
 弁当ではないが、高速道路のサービスエリアであるような軽食もいい。車にもちこんで、食べながら移動する。これって、言葉じゃ言い表せない感慨があるよなあ。
 しょっぱいものから甘いもの、変わり種もたくさんで、選ぶだけでも楽しい。サービスエリアといえば、俺は小籠包を思い出す。薄皮の肉汁たっぷりのやつじゃなくて、小さい肉まんみたいなやつ。あれ、好きなんだよなあ。
 あとは柚子風味のイカの塩辛とか、甘辛いたれとごまをイカと和えた、丼としても茶漬けとしても食べられるやつとか。サービスエリアって、なんであんなにワクワクするんだろう。俺が行き慣れていないってだけなのか。
「なんか楽しそうだな、一条」
 いつの間にか課題を終えたらしい中村が、にこにこ笑いながら言ってくる。
「なんかいいことでもあったのか? それとも、いいことがあるとか?」
「んー、まあ、いいことっちゃいいことだな。花見弁当どうしようかなって」
「花見に行く予定があるのか」
「いや、ないけど。あとはサービスエリアの飯とか……」
「遠出でもするのか?」
 首を横に振って「別に」と言うと、中村は少し呆れたように笑って「なんだそれは」と言った。
 なんだよ、想像するのはタダだし、誰にも迷惑かけないだろ。

 強く望めば、叶うものもある。
「小籠包だ」
 父さんと母さんからのお土産は、サービスエリアの小籠包だった。透明のパックに十個入っていて、二パックもあった。二人、レンタカーで帰ってきたらしい。母さんがお茶を入れながら笑って言った。
「高速で帰ってきたからね。春都、好きでしょ?」
「ちょうど食べたいと思ってた」
「うまいもんな、ここの小籠包」
 片づけを終えた父さんはソファにどっかりと座りながら言う。うめずはパタパタとしっぽを振って、ソファに前足を置いた。
「お腹空いたでしょ。ご飯まで時間あるから、食べよう」
 と、母さんが机に温かい緑茶を置く。
「いただきます」
 小籠包は、まだほんのりと温かい。ふわふわしていて、やわらかくて、優しい香りがする。
 肉まんより小さい小籠包。そっとかじってみる。ほのかに甘く、ほわっとした口当たり。噛むと少しもちもちする。この生地の甘さに肉の味わいがよく合う。具だくさん、みっちり、という感じではなく、ほんの少し隙間もあって程よい量の餡だ。味付けは濃すぎず、甘味のある生地にぴったりだ。
 噛むと、ふかあっと空気が抜ける感じがするのがまた面白い。肉まんよりは密度がないが、その分、軽々といくつも食べられる。
 熱々の緑茶と合わせれば、もう最高だ。車の中で食うのもいいが、家でゆっくりと食うのもいい。
 一パックの半分も食ってしまったが、父さんも母さんも「もっと食べろ」と言う。その言葉に甘えて、しこたま食った。
 いやあ、満足だ。しかもあと一パックあるって、嬉しすぎる。またあとで食べよう。

「ごちそうさまでした」
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

私の部屋で兄と不倫相手の女が寝ていた。

ほったげな
恋愛
私が家に帰ってきたら、私の部屋のベッドで兄と不倫相手の女が寝ていた。私は不倫の証拠を見つけ、両親と兄嫁に話すと…?!

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

(完結)私より妹を優先する夫

青空一夏
恋愛
私はキャロル・トゥー。トゥー伯爵との間に3歳の娘がいる。私達は愛し合っていたし、子煩悩の夫とはずっと幸せが続く、そう思っていた。 ところが、夫の妹が離婚して同じく3歳の息子を連れて出戻ってきてから夫は変わってしまった。 ショートショートですが、途中タグの追加や変更がある場合があります。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

拝啓 私のことが大嫌いな旦那様。あなたがほんとうに愛する私の双子の姉との仲を取り持ちますので、もう私とは離縁してください

ぽんた
恋愛
ミカは、夫を心から愛している。しかし、夫はミカを嫌っている。そして、彼のほんとうに愛する人はミカの双子の姉。彼女は、夫のしあわせを願っている。それゆえ、彼女は誓う。夫に離縁してもらい、夫がほんとうに愛している双子の姉と結婚してしあわせになってもらいたい、と。そして、ついにその機会がやってきた。 ※ハッピーエンド確約。タイトル通りです。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?

との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」 結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。 夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、 えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。 どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに? ーーーーーー 完結、予約投稿済みです。 R15は、今回も念の為

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...