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日常
第五百八十三話 アスパラの豚肉巻き
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昼飯を食い終わったら、図書館に向かう。
「……で、病院の帰りにカフェ寄ってさ。カフェラテ砂糖なしで飲めたんだ」
「うまかったか?」
「砂糖なしの方がうまかった。一緒にケーキも食った」
「満喫してんなあ」
扉を開け、適温の図書館の中へ。図書館のこの人口密度の低さ、落ち着くなあ。
「楽しいことの一つや二つ無いと、俺も気が滅入る……お、なんか珍しい人がいる」
「ん?」
咲良の視線の先には、二宮先生がいた。二宮先生はいつになく難しい顔をして、何かの本と向かい合っていた。机の上には、他にも本が山積みになっている。
「先生、こんにちは。何読んでんすか」
咲良は臆することも遠慮することもなく、二宮先生の向かいに座りながら声をかける。なるほど、二宮先生のことは警戒しなくていいと踏んだのだな。嫌な先生にはとことん近寄らないのが、咲良だからな。
二宮先生は顔をあげると、難しい顔をしたまま答えた。
「ああ、君か……いや、それがだな……」
俺は委員会の仕事があるので、カウンターに向かう。二宮先生、俺には気付いてないのだな。ここからだと何を読んでいるのかも見えづらいし、話声もよく聞こえない。
「どうしたんですか、二宮先生」
近くにいた漆原先生に聞くと、先生は面白そうに笑って言った。
「あいつなあ、料理ができなくて困ってんだ」
「えっ、そうなんですか」
「今読んでるの、レシピ本とか料理の入門書だ」
てっきりスポーツ関連の何かしらを調べているのだと思っていた。そっかあ、先生、料理出来ないんだ。
漆原先生はにこにこ笑ったまま続ける。
「あいつなあ、調理実習で伝説残すくらい料理ができないんだ」
「そんなにですか。いったい何が……」
「なんというかな……こう……な」
あの漆原先生が口ごもるとは、いったいどんな料理をするのだろう。
「ていうか、そんなに前から二宮先生のこと知ってるんですね」
「まあ、高校の時の後輩だからな」
へえ、そうなんだ。いったいどこにどんなつながりがあるのか、分からないものだなあ。
咲良は先ほどから二宮先生と、本をのぞき込んで話をしている。途中、楽しそうに笑ったかと思えば、だんだん表情がなくなっていき、最終的には無の境地ともいえる微笑になって黙ってしまった。
漆原先生はふと思い立ったように「二宮先生」と声をかける。二宮先生は顔を上げ、こちらを向いた。
「はい?」
そして、漆原先生は俺を指さした。
「えっ、何ですか」
「一条君にならうといいさ。高校生ながら、大人顔負けの料理を作れる彼にな」
「そうっすよ。一人で本読んでても、料理は上達しないっすよ」
咲良も漆原先生に続いて、軽い調子ながらも二宮先生をまっすぐ見て、真剣さもにじませながら言った。
「えぇ……」
なんとなく予想はしていた展開だ。二宮先生は、ぱっと表情を明るくすると手招きをした。漆原先生をちらっと見る。カウンター当番があるんだが……
漆原先生は、にっこり笑って頷いた。
「今日は人が少ない。こっちは俺に任せてもらっていいぞ」
「……はい」
咲良が立ち上がり、席を譲ってくる。そこに座ると、咲良は俺の隣に座って、怖いもの見たさというか、楽しそうな表情をした。
二宮先生は真剣な表情になると、聞いた。
「一条君、教えてもらえるか?」
「まあ俺に分かることなら……ていうか、俺も生きるために必要な程度の技術しかないですよ」
「それでいいんだ。俺はそもそも、生きるために必要な技術すらないからな。キャベツ焼しか作れない」
……不安だ。
「え……っと、キャベツ焼とは?」
「お好み焼きみたいなやつだ。あれは、俺が唯一作れる飯だ」
「あ、なるほど……」
それが作れるんなら、何とかなりそうだけどなあ。
「で、俺は何を教えれば」
「作り置きとかできればいいんだけどなあ。ハードル高いから、まずは、みそ汁だ」
みそ汁。こりゃまた基本というか、確かに、作れるに越したことのない料理だな。みそ汁の何を教えればいいのだろう。そう思っていたら、二宮先生は言った。
「味噌入れても、味がしないんだ。なんでだ?」
……うーん、これはもしや。
「出汁、とってます?」
「えっ。みそ汁って、出汁とんなきゃいけないの?」
「んぐぅ……」
思わず頭を抱えると、咲良が隣で「みそ汁の作り方は、小学校で習った……」とつぶやいた。先生はそれが聞こえていないようで、心底不思議そうに言った。
「米もなあ、初めて炊いた時、三合炊いたら炊飯器の蓋押し上げちゃってさあ。それ以来炊いてないんだよね。最近の炊飯器、やわだね」
それはたぶん、三合の計り方が違う。釜の線に合わせているのだろう。あれは、水です。
視界の端に、漆原先生が声を殺して笑っているのが映る。
……前途多難、とは、こういうことをいうのだろうか。
今日はばあちゃんが来てくれて、晩飯も作ってくれた。アスパラの豚肉巻きにもやしとかぼちゃのみそ汁、炊き立てご飯だ。
「いただきます」
アスパラ、うまそうだなあ。太くて食べ応えがあるが、かたくはないし筋もない。みずみずしさとアスパラ特有の青い香りが、豚ばら肉をさっぱりとさせる。アスパラ単体でもうまいものだが、肉を一緒にするとどうしてこんなにもうま味が増すのだろう。
先端の方はみずみずしさというより、ゴリゴリした食感と青い香りが強い。成長するために、と小さいころから先っぽばっかり皿にのせられていたのを思い出す。アスパラに豚肉のうま味が染みておいしい。
具だくさんのみそ汁。かつお節でとった出汁にみその味が溶け込み、香ばしく、うま味もたっぷりだ。もやしがジャキジャキとしていてみずみずしい。
かぼちゃのほっくりとした歯触りと、ほんの少しの溶けた部分がいい。とろりと甘く、皮の部分までうまい。もやしとかぼちゃのみそ汁は、なんかこう、じわじわ来るうまさがある。しみじみするんだよなあ。
それと炊き立てご飯。うまい。
「うまいなあ……」
「どうしたの? そんな、しみじみと」
台所で作り置きのおかずを作っていたばあちゃんが笑って聞いてくる。アスパラを食べながら、今日の昼休みのことを話すと、ばあちゃんは「そういう人もいるよね」と頷いた。
「料理はねえ、実際に作ってみないことにはなんともねぇ。それでも、苦手かもしれないけど」
「そんなもんかなあ」
「春都が裁縫とか工作が苦手なのと一緒よ」
あ、そういうことか。すっごい納得した。料理は自分ができることで、日々やらなきゃいけないことだから二宮先生の様子に、余計に驚いたけど、そうか。裁縫とか組み立てとか日ごろからやってる人とか、器用にこなす人から見ると、俺の裁縫や工作は、信じられないほどびっくりするんだろうな。
人それぞれ、ってやつか。
まあ、また教えるって約束したことだし。とりあえず米の炊き方と、みそ汁の作り方をしっかり覚えてもらえると、嬉しいなあ。
……俺もせめて、ボタン付けくらいはできるように練習してみるか。
「ごちそうさまでした」
「……で、病院の帰りにカフェ寄ってさ。カフェラテ砂糖なしで飲めたんだ」
「うまかったか?」
「砂糖なしの方がうまかった。一緒にケーキも食った」
「満喫してんなあ」
扉を開け、適温の図書館の中へ。図書館のこの人口密度の低さ、落ち着くなあ。
「楽しいことの一つや二つ無いと、俺も気が滅入る……お、なんか珍しい人がいる」
「ん?」
咲良の視線の先には、二宮先生がいた。二宮先生はいつになく難しい顔をして、何かの本と向かい合っていた。机の上には、他にも本が山積みになっている。
「先生、こんにちは。何読んでんすか」
咲良は臆することも遠慮することもなく、二宮先生の向かいに座りながら声をかける。なるほど、二宮先生のことは警戒しなくていいと踏んだのだな。嫌な先生にはとことん近寄らないのが、咲良だからな。
二宮先生は顔をあげると、難しい顔をしたまま答えた。
「ああ、君か……いや、それがだな……」
俺は委員会の仕事があるので、カウンターに向かう。二宮先生、俺には気付いてないのだな。ここからだと何を読んでいるのかも見えづらいし、話声もよく聞こえない。
「どうしたんですか、二宮先生」
近くにいた漆原先生に聞くと、先生は面白そうに笑って言った。
「あいつなあ、料理ができなくて困ってんだ」
「えっ、そうなんですか」
「今読んでるの、レシピ本とか料理の入門書だ」
てっきりスポーツ関連の何かしらを調べているのだと思っていた。そっかあ、先生、料理出来ないんだ。
漆原先生はにこにこ笑ったまま続ける。
「あいつなあ、調理実習で伝説残すくらい料理ができないんだ」
「そんなにですか。いったい何が……」
「なんというかな……こう……な」
あの漆原先生が口ごもるとは、いったいどんな料理をするのだろう。
「ていうか、そんなに前から二宮先生のこと知ってるんですね」
「まあ、高校の時の後輩だからな」
へえ、そうなんだ。いったいどこにどんなつながりがあるのか、分からないものだなあ。
咲良は先ほどから二宮先生と、本をのぞき込んで話をしている。途中、楽しそうに笑ったかと思えば、だんだん表情がなくなっていき、最終的には無の境地ともいえる微笑になって黙ってしまった。
漆原先生はふと思い立ったように「二宮先生」と声をかける。二宮先生は顔を上げ、こちらを向いた。
「はい?」
そして、漆原先生は俺を指さした。
「えっ、何ですか」
「一条君にならうといいさ。高校生ながら、大人顔負けの料理を作れる彼にな」
「そうっすよ。一人で本読んでても、料理は上達しないっすよ」
咲良も漆原先生に続いて、軽い調子ながらも二宮先生をまっすぐ見て、真剣さもにじませながら言った。
「えぇ……」
なんとなく予想はしていた展開だ。二宮先生は、ぱっと表情を明るくすると手招きをした。漆原先生をちらっと見る。カウンター当番があるんだが……
漆原先生は、にっこり笑って頷いた。
「今日は人が少ない。こっちは俺に任せてもらっていいぞ」
「……はい」
咲良が立ち上がり、席を譲ってくる。そこに座ると、咲良は俺の隣に座って、怖いもの見たさというか、楽しそうな表情をした。
二宮先生は真剣な表情になると、聞いた。
「一条君、教えてもらえるか?」
「まあ俺に分かることなら……ていうか、俺も生きるために必要な程度の技術しかないですよ」
「それでいいんだ。俺はそもそも、生きるために必要な技術すらないからな。キャベツ焼しか作れない」
……不安だ。
「え……っと、キャベツ焼とは?」
「お好み焼きみたいなやつだ。あれは、俺が唯一作れる飯だ」
「あ、なるほど……」
それが作れるんなら、何とかなりそうだけどなあ。
「で、俺は何を教えれば」
「作り置きとかできればいいんだけどなあ。ハードル高いから、まずは、みそ汁だ」
みそ汁。こりゃまた基本というか、確かに、作れるに越したことのない料理だな。みそ汁の何を教えればいいのだろう。そう思っていたら、二宮先生は言った。
「味噌入れても、味がしないんだ。なんでだ?」
……うーん、これはもしや。
「出汁、とってます?」
「えっ。みそ汁って、出汁とんなきゃいけないの?」
「んぐぅ……」
思わず頭を抱えると、咲良が隣で「みそ汁の作り方は、小学校で習った……」とつぶやいた。先生はそれが聞こえていないようで、心底不思議そうに言った。
「米もなあ、初めて炊いた時、三合炊いたら炊飯器の蓋押し上げちゃってさあ。それ以来炊いてないんだよね。最近の炊飯器、やわだね」
それはたぶん、三合の計り方が違う。釜の線に合わせているのだろう。あれは、水です。
視界の端に、漆原先生が声を殺して笑っているのが映る。
……前途多難、とは、こういうことをいうのだろうか。
今日はばあちゃんが来てくれて、晩飯も作ってくれた。アスパラの豚肉巻きにもやしとかぼちゃのみそ汁、炊き立てご飯だ。
「いただきます」
アスパラ、うまそうだなあ。太くて食べ応えがあるが、かたくはないし筋もない。みずみずしさとアスパラ特有の青い香りが、豚ばら肉をさっぱりとさせる。アスパラ単体でもうまいものだが、肉を一緒にするとどうしてこんなにもうま味が増すのだろう。
先端の方はみずみずしさというより、ゴリゴリした食感と青い香りが強い。成長するために、と小さいころから先っぽばっかり皿にのせられていたのを思い出す。アスパラに豚肉のうま味が染みておいしい。
具だくさんのみそ汁。かつお節でとった出汁にみその味が溶け込み、香ばしく、うま味もたっぷりだ。もやしがジャキジャキとしていてみずみずしい。
かぼちゃのほっくりとした歯触りと、ほんの少しの溶けた部分がいい。とろりと甘く、皮の部分までうまい。もやしとかぼちゃのみそ汁は、なんかこう、じわじわ来るうまさがある。しみじみするんだよなあ。
それと炊き立てご飯。うまい。
「うまいなあ……」
「どうしたの? そんな、しみじみと」
台所で作り置きのおかずを作っていたばあちゃんが笑って聞いてくる。アスパラを食べながら、今日の昼休みのことを話すと、ばあちゃんは「そういう人もいるよね」と頷いた。
「料理はねえ、実際に作ってみないことにはなんともねぇ。それでも、苦手かもしれないけど」
「そんなもんかなあ」
「春都が裁縫とか工作が苦手なのと一緒よ」
あ、そういうことか。すっごい納得した。料理は自分ができることで、日々やらなきゃいけないことだから二宮先生の様子に、余計に驚いたけど、そうか。裁縫とか組み立てとか日ごろからやってる人とか、器用にこなす人から見ると、俺の裁縫や工作は、信じられないほどびっくりするんだろうな。
人それぞれ、ってやつか。
まあ、また教えるって約束したことだし。とりあえず米の炊き方と、みそ汁の作り方をしっかり覚えてもらえると、嬉しいなあ。
……俺もせめて、ボタン付けくらいはできるように練習してみるか。
「ごちそうさまでした」
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