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日常
第五百七十九話 オニオングラタンスープ
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相変わらず、今日も平和だ。空はすっきりと晴れ渡り、吹く風は心地よく、幼稚園からは子どもたちの明るく生気にみなぎった声が聞こえてくる。小さい子どもって、生命力の塊だ。悪いものも寄り付かなさそう。
今日はこれといった行事もないし、特別気を付けないといけない授業もない。何もないというのは、心地よい。頬杖を突き、ぼんやりするこの時間は、何と尊いものだろうか。
「あー、やっべぇ、落ち着かねぇ……」
そんな穏やかな空気とは裏腹に、そわそわとした様子のやつが一人。いつもの余裕そうな笑みはどこへやら、勇樹は、朝からずっとこの調子だ。
「お前どうした。挙動不審にもほどがある」
「そりゃ落ち着かねぇよ。座ってらんねえ。あぁ、どうしよう。いや、俺がどうかできることではないんだけど、いや、でも……」
「何なんだ、いったい……」
朝課外の時から妙にそわそわして、当てられたのに気付かなかったり、板書ではとんでもない誤字をしたりで、いつもの勇樹とは大違いだ。何かあるのは明白だが、それが何なのかは聞いても教えてくれない。
勇樹は手をせわしなく動かしながらうろうろし、時折教室後ろの黒板に手をつき、掃除用具入れの扉を無意味に開け閉めし、窓を開け、閉め、また開けて、一つくしゃみをして閉じた。
何をやっているんだ、こいつは。
「調子悪いなら保健室行ったらどうだ」
「保健室……保健室……」
「……お前、大丈夫?」
「あのさ」
勇樹は急に真顔になると、中村を追いやって、背もたれを前にして椅子に座った。先ほどからの勇樹を見ていた中村は少し警戒するような表情を浮かべ、大人しく椅子を勇樹に明け渡す。そして後ずさるようにして、俺の後ろに来た。
「お前らに聞きたいことがあるんだ」
「おお」
「あのな……」
いつになく低く、真剣みのある声音の勇樹に、俺も中村も固唾を飲む。勇気は一つ深呼吸をして言った。
「プロのバレー選手と、何を話せばいいと思う……?」
……ん?
「何て?」
「プロの、バレーボール選手と、いったい何を話せばいいと思う?」
「聞き間違いじゃなかったか……」
思わず、中村と視線を合わせる。勇樹は顔の前で手を組み机に肘をつき、うつむいたまま続けた。
「なんかさあ、顧問がさあ……スポドリのキャンペーンに応募したらさあ、当たっちゃったらしいんだ。プロのバレーボール選手が、学校訪問、一緒に練習、みたいな」
「すげーじゃん」
「いやほんと、ラッキーだな、とは、思う。思うけどさ……」
勇樹は長いため息をついて言いきった。
「すっ……げえ緊張する」
「だろうな」
中村と相槌が重なる。中村は楽しそうに笑って言った。
「へえー、でもいいなあ。プロ選手と一緒に練習できるなんてめったにないだろ? 楽しめばいいじゃん」
「簡単に言うなよ」
「それって見に行けるやつ? 俺、見てみたいなあ」
確かに、ちょっと気になる。
勇樹は人に話して少しすっきりしたのか、膨らんだ風船から空気が抜けるようなため息をついた。
「外廊下からなら、見学可だって。まあ見に来るといいさ」
今日はちょっと早めに帰れる日、少しくらい見に行く時間はありそうだ。何事も百聞は一見にしかず。咲良に声かけて言ってみるかな。
放課後、体育館の外廊下に集まった人の数はそれほど多くなかった。
「興味あるやつ、少ないのかね」
咲良はうきうきした様子で言った。
「まあ……野球みたいにしょっちゅう中継がある競技ではないよなあ」
「俺、割とバレーボール好きだけどなあ。中継やってたら見るし。選手の名前よく知らんけど」
「俺も同じようなもんだ」
でも、何人かテンション上がってるやつらもいるみたいだ。どれ、いったいどんな……
「おお……」
体育館をのぞき込むと、すぐに分かった。なんつーか……でかい。オーラもあるし、なんか、でけぇ。遠近感狂いそうだ。
「何食ったらあんなでかくなるんだろうな」
咲良のささやきに頷く。背が高いからバレーを始めたのか、それともバレーやってるから背が高いのか。どっちなんだろう。
と、呆気に取られていると、せわしなく外廊下を行き来している人に気が付いた。見覚えのあるその人は、矢口先生だった。そういや矢口先生、バレーボール好きって言ってたな。デジカメ持って縦横無尽に動くその姿は、体育館で練習に励むバレー部員に負けないほど、生き生きしていた。
晩飯までまだ時間があるが、小腹が空いた。そういえば食パンが余っていたな。今日までだったか……晩飯と何か合わせようかとも思っていたが、今使い切っておこう。
玉ねぎもあることだし、オニオングラタンスープが食いたいな。
玉ねぎはみじん切りにしてベーコンは程よい幅に切り分ける。玉ねぎをあめ色になるまで炒めたら、ベーコンも炒める。よく炒めたら水を入れ、コンソメも投入。そして、塩こしょうで味を調える。
グラタン皿にスープを入れたら、軽く焼いた食パンを切り分けて入れる。すでにうまそうだ。しかし今日はここで終わらない。チーズをのせ、予熱したオーブンで焼く。
よし、いい感じだ。
「いただきます」
チーズのとろけ具合もいい感じだ。オニオンスープをたっぷり含んだパンをすくう。ジュワジュワしていて、口をやけどしそうだ。あふれ出すオニオンスープは香ばしく、パンのトロッとした食感が程よい。
パンの耳はちょっと噛み応えがある。もちもちというか、みっちりというか、水分を含んだパンの耳って、どうしてここまでの味が出るのだろう。
チーズの風味がいい仕事をしている。ふうわりと香るチーズの香りが、コクを出してくれる。もちもちとした食感もいい。チーズを口いっぱいに含むとなんだかうれしい気分がするのはなんでだろう。
ベーコンのうま味もいいなあ。噛みしめると滲み出す塩気もいい。
普段、特に学校に行ったときなんか、こんな手の込んだ料理はなかなか作らないのに、今日はなぜか作る気分になった。やっぱりあれだろうか。プロ選手のバレーボールを見たから、知らず知らずのうちにテンションが上がっていたのだろうか。
普段通りも悪くないが、ちょっとした刺激があるのも、悪くないな。
「ごちそうさまでした」
今日はこれといった行事もないし、特別気を付けないといけない授業もない。何もないというのは、心地よい。頬杖を突き、ぼんやりするこの時間は、何と尊いものだろうか。
「あー、やっべぇ、落ち着かねぇ……」
そんな穏やかな空気とは裏腹に、そわそわとした様子のやつが一人。いつもの余裕そうな笑みはどこへやら、勇樹は、朝からずっとこの調子だ。
「お前どうした。挙動不審にもほどがある」
「そりゃ落ち着かねぇよ。座ってらんねえ。あぁ、どうしよう。いや、俺がどうかできることではないんだけど、いや、でも……」
「何なんだ、いったい……」
朝課外の時から妙にそわそわして、当てられたのに気付かなかったり、板書ではとんでもない誤字をしたりで、いつもの勇樹とは大違いだ。何かあるのは明白だが、それが何なのかは聞いても教えてくれない。
勇樹は手をせわしなく動かしながらうろうろし、時折教室後ろの黒板に手をつき、掃除用具入れの扉を無意味に開け閉めし、窓を開け、閉め、また開けて、一つくしゃみをして閉じた。
何をやっているんだ、こいつは。
「調子悪いなら保健室行ったらどうだ」
「保健室……保健室……」
「……お前、大丈夫?」
「あのさ」
勇樹は急に真顔になると、中村を追いやって、背もたれを前にして椅子に座った。先ほどからの勇樹を見ていた中村は少し警戒するような表情を浮かべ、大人しく椅子を勇樹に明け渡す。そして後ずさるようにして、俺の後ろに来た。
「お前らに聞きたいことがあるんだ」
「おお」
「あのな……」
いつになく低く、真剣みのある声音の勇樹に、俺も中村も固唾を飲む。勇気は一つ深呼吸をして言った。
「プロのバレー選手と、何を話せばいいと思う……?」
……ん?
「何て?」
「プロの、バレーボール選手と、いったい何を話せばいいと思う?」
「聞き間違いじゃなかったか……」
思わず、中村と視線を合わせる。勇樹は顔の前で手を組み机に肘をつき、うつむいたまま続けた。
「なんかさあ、顧問がさあ……スポドリのキャンペーンに応募したらさあ、当たっちゃったらしいんだ。プロのバレーボール選手が、学校訪問、一緒に練習、みたいな」
「すげーじゃん」
「いやほんと、ラッキーだな、とは、思う。思うけどさ……」
勇樹は長いため息をついて言いきった。
「すっ……げえ緊張する」
「だろうな」
中村と相槌が重なる。中村は楽しそうに笑って言った。
「へえー、でもいいなあ。プロ選手と一緒に練習できるなんてめったにないだろ? 楽しめばいいじゃん」
「簡単に言うなよ」
「それって見に行けるやつ? 俺、見てみたいなあ」
確かに、ちょっと気になる。
勇樹は人に話して少しすっきりしたのか、膨らんだ風船から空気が抜けるようなため息をついた。
「外廊下からなら、見学可だって。まあ見に来るといいさ」
今日はちょっと早めに帰れる日、少しくらい見に行く時間はありそうだ。何事も百聞は一見にしかず。咲良に声かけて言ってみるかな。
放課後、体育館の外廊下に集まった人の数はそれほど多くなかった。
「興味あるやつ、少ないのかね」
咲良はうきうきした様子で言った。
「まあ……野球みたいにしょっちゅう中継がある競技ではないよなあ」
「俺、割とバレーボール好きだけどなあ。中継やってたら見るし。選手の名前よく知らんけど」
「俺も同じようなもんだ」
でも、何人かテンション上がってるやつらもいるみたいだ。どれ、いったいどんな……
「おお……」
体育館をのぞき込むと、すぐに分かった。なんつーか……でかい。オーラもあるし、なんか、でけぇ。遠近感狂いそうだ。
「何食ったらあんなでかくなるんだろうな」
咲良のささやきに頷く。背が高いからバレーを始めたのか、それともバレーやってるから背が高いのか。どっちなんだろう。
と、呆気に取られていると、せわしなく外廊下を行き来している人に気が付いた。見覚えのあるその人は、矢口先生だった。そういや矢口先生、バレーボール好きって言ってたな。デジカメ持って縦横無尽に動くその姿は、体育館で練習に励むバレー部員に負けないほど、生き生きしていた。
晩飯までまだ時間があるが、小腹が空いた。そういえば食パンが余っていたな。今日までだったか……晩飯と何か合わせようかとも思っていたが、今使い切っておこう。
玉ねぎもあることだし、オニオングラタンスープが食いたいな。
玉ねぎはみじん切りにしてベーコンは程よい幅に切り分ける。玉ねぎをあめ色になるまで炒めたら、ベーコンも炒める。よく炒めたら水を入れ、コンソメも投入。そして、塩こしょうで味を調える。
グラタン皿にスープを入れたら、軽く焼いた食パンを切り分けて入れる。すでにうまそうだ。しかし今日はここで終わらない。チーズをのせ、予熱したオーブンで焼く。
よし、いい感じだ。
「いただきます」
チーズのとろけ具合もいい感じだ。オニオンスープをたっぷり含んだパンをすくう。ジュワジュワしていて、口をやけどしそうだ。あふれ出すオニオンスープは香ばしく、パンのトロッとした食感が程よい。
パンの耳はちょっと噛み応えがある。もちもちというか、みっちりというか、水分を含んだパンの耳って、どうしてここまでの味が出るのだろう。
チーズの風味がいい仕事をしている。ふうわりと香るチーズの香りが、コクを出してくれる。もちもちとした食感もいい。チーズを口いっぱいに含むとなんだかうれしい気分がするのはなんでだろう。
ベーコンのうま味もいいなあ。噛みしめると滲み出す塩気もいい。
普段、特に学校に行ったときなんか、こんな手の込んだ料理はなかなか作らないのに、今日はなぜか作る気分になった。やっぱりあれだろうか。プロ選手のバレーボールを見たから、知らず知らずのうちにテンションが上がっていたのだろうか。
普段通りも悪くないが、ちょっとした刺激があるのも、悪くないな。
「ごちそうさまでした」
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