一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第五百六十三話 ドーナツ

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 明日は入学試験があるとかで、今日は午前中で学校が終わる。明日は休みで、明後日はとうとうクラスマッチだ。
「これが終わったら帰れる~、そして明日は休み~」
 四時間目、クラスマッチの準備のために校庭の掃除をしながら、咲良は歌うように言った。明日は受験生にとって大事な日で、今日はその前日。でも、俺たちにとって今日は何でもない平日で、明日は休校日。同じ二日間だというのにこうも違うとは、変な感じだ。
 咲良はいつになく真剣に、手際よく掃除を進める。
「お前、今日は真面目だな」
 言えば咲良は、掃除する手を止めることなく言った。
「今日も、です~。俺はいつだって真剣に生きてるぜ」
「なんか予定でもあるのか」
「いや、特にないけど。帰れるってだけでうれしいじゃん」
 本当に嬉しそうに言うなあ、こいつ。咲良は「それに」と、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「妹は今日も明日も普通に学校あるから、のんびりできるんだよなあ~」
「ああ、そういう……」
「あいつ機嫌損ねると面倒なんだよ。気ぃ使わなくていいのは楽~」
 何しよっかなー、と咲良は上機嫌だ。
 さて……俺も午後から何しよう。

 課題はいつも通りの量だったので早々に終わり、予習も済ませた。うめずもまったりと昼寝をしていることだし、暇だ。せっかく外が暖かいんだし、自転車にでも乗ろうか。でもどこ行こう。うーん……
 あ、そうだ。あの漫画の新刊出てたな。買いに行くか。プレジャスも、平日の昼間ともなれば、人は少ないはずだ。
「今日は春みたいだなあ……」
 駐輪場から自転車を出すとき、ふわっとそよいだ風が暖かかった。ほんの少し若葉の香りがして、何となく心が浮き立つ。
 自転車を走らせると、さすがに少し冷える。でも、真冬ほどではないあたり、ちゃんと春が近づいているのだなあと思う。道端に黄色い花が見えた。菜の花かな。空もすっきり青くて、雲一つない。
 木陰がきらめく並木道を行き、交差点の信号がギリギリで赤信号になったので、停まる。日が当たるところは本当に暖かいなあ。
 休日の昼間とはまた空気が違う感じがする。のんびりしているような、騒がしいような。おばあちゃんらしき人と手をつないで歩く小さな子どもが、後ろからやってきて俺の隣に並んだ。俺もばあちゃんと散歩したっけなあ。
 小さな子どもというのは、得てして興味の向いたものをじっと見つめる。何だ、俺の何が気になるんだ。気に入ったのか、気に障ったのか、どっちなんだ。
 信号、青になった。行こう。
 休みの日より少し交通量が少ないように思う。でも、よその学校も入試準備のために下校が早いのだろう、同い年くらいの人たちの姿もよく見かける。
 極力そういうやつらとは距離を取りつつ行きたいものだ。
 プレジャスの駐輪場はどことなく哀愁がある。色褪せた雨除けにところどころ塗装が剥げて錆びた柱、そんな柱に巻き付けられ、忘れ去られたワイヤー錠、放置自転車。ここって、本当に大型ショッピングモールなんだよなあ……
 とりあえず本屋に行こう。うわあ、平日のこんな時間にここにいるって、変な感じ。
「えーっと……ああ、あった」
 いつも人がそれなりにいる本屋だが、今日は少ないので居心地がいい。本の周りにビニールを張る機械の、ゴウンゴウンという音だけがちょっと気になるけど、まあそれはいつものことだ。目的の本を手に、レジへ向かう。
「いらっしゃいませ、お預かりします」
 えーっと、千円以上になるから、ポイントカードを……あ、そういやこないだ満タンになってたのか。これを使って割り引いてもらって、新しいの作ってもらおう。
「ポイントカードはお持ちですか?」
「あ、これ使って、新しいのください」
「はい。ポイントカードの裏にお名前をお願いします」
 そうそう、割り引いてもらう時は名前を書かないといけないんだった。差し出されたボールペンで名前を書く。
「失礼します……あ、一条君?」
 急に店員さんの声音が崩れたので、ふと顔をあげる。
「ああ、こんにちは」
「こんにちは」
 なんだ、山下さんだったのか。山下さんは少しいたずらっぽく笑って言った。
「こんな時間に会うなんて、もしかしてさぼり?」
「違いますよ」
「だよね。テスト前?」
「明日、高校で入試があるんです。準備があるから、在校生は追い出されました」
「なるほど。もうそんな時期なんだねぇ」
 紙袋に本を入れてもらう。ビニール袋もいいけど、紙袋ってなんか雰囲気があっていい。かさかさという音が、なんか、とても好きだ。
「ありがとうございましたー。またねぇ」
「はい、また」
 本屋を出て、あちこちを歩いて回る。特に買うものはないが、当てもなく店内をぶらつくのは楽しい。食品売り場とか、結構見慣れないものも売ってんだ。総菜売り場で弁当を買おう。昼飯にちょうどいいんだよなあ。
 さあ、そろそろ帰ろうかな……
「……ドーナツか」
 普段であれば素通りするドーナツ屋だが、今日は無性に惹かれる。うまそうだなあ、飲食スペースに人はいないし、今がチャンスなのでは。
 この店は自分で好きなドーナツを取って会計するシステムだ。小さい頃はそれがめちゃくちゃ楽しかったなあ。今も楽しいけど。
 シンプルなチョコレートのドーナツと、もちもち食感のドーナツにする。飲み物は……無難に、紅茶にしよう。
 壁際の席に座ろうかな。
「いただきます」
 まずはもちもちの方から。表面にかかったアイシングがうまいんだよなあ。サクッとしたアイシングはほろほろと甘く、もっちもっちとした食感がたまらん。生地がちょっとしょっぱいんだよなあ。だからこそ甘さが引き立つし、あっさりと食えるのだ。
 紅茶はホットにしてみた。うん、いい塩梅。渋みのある香りのいい紅茶は、甘いものによく合うのだ。
 そしてチョコ。これ、シンプルだからって侮れないうまさがある。しっかりとした歯ごたえにほろほろとほどける口当たり、しっとりとしつつ、しつこさがない。ほろ苦くもコクがあり、上品な甘さだ。紅茶が染みると、また風味がいい。
 ドーナツって、それなりに腹にたまるし食べ応えあるけど、食べ始めるとあっという間なんだよなあ。うまいものって、なんか儚い。
 いくつか持ち帰りしようかなあ。じいちゃんとばあちゃんも好きなんだよな、ここのドーナツ。
 ペット用品の売り場には犬用のドーナツも売ってたな。うめずにも買って行こう。

「ごちそうさまでした」
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