一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

番外編 朝比奈貴志のつまみ食い④

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 日曜日、学校に行く時と同じか、それよりも早い時間に、朝比奈のスマホのアラームが鳴る。
「うぅん……眠い……」
 そう言いながらアラームを消し、朝比奈は掛布団を巻き込むようにして縮こまった。そして間もなくして、勢いをつけて起き上がる。部屋の温度は適温で、起きるのにも寝るのにもちょうどいい。
 とはいえ、中庭に面した廊下は寒い。深緑色のはんてんを着て、もこもこの靴下とふかふかのスリッパをはいて、朝比奈は洗面所に向かう。手入れの行き届いた中庭は、真っ白な雪で覆われている。まだ薄暗い時間帯ではあるが、まぶしいように感じるのは雪のせいだろう。
 身支度を整え部屋に戻ると、朝比奈は勉強机に着いた。
「っし、やるか」
 朝比奈の視線の先には、充電中のゲーム機とたくさんのゲームカセットがあった。
 朝比奈は、リュックサックからいくつか問題集を取り出し、付箋を付けたページを開くと、中学入学の時から愛用している革製の筆箱から、高そうなシャーペンを取り出した。
 本来であれば、今日は家庭教師が昼から来る予定だったが、昨日から降り続いた雪のせいで来れなくなったということで、急遽、休みになったのだ。となればのんびり寝ていてもよさそうなものだが、朝比奈は違った。
 どうせ丸一日休みなのであれば、心ゆくまでゲームをやりたい。
 その想いで早朝からこうやって頑張っているのである。家の者たちはみな、まだ寝静まっている。そんな彼の姿を姉の志津香が見れば、何もそんな早く起きなくてもゲームは逃げないのだから、と呆れるだろう。
 確かにそうだ。普段通り起床して課題をこなしたとしても、午後からはずっとゲームができよう。しかし、朝比奈はそれで満足しない。費やせる時間はすべて費やす。何事にも、妥協はしたくなかった。
 卓上の時計で時折時間を確認しながら、朝比奈は着々と課題を進めていく。
「よし、数学終わり。次は……生物」
 分厚い生物の問題集のページをめくり、付箋を確認すると、ノートに問題を解いていく。
 その問題も終わりに差し掛かったころになって、だんたんと家全体が目覚めていく気配がした。ノートと問題集を閉じ、朝比奈は時計を確認する。
 そろそろお手伝いさんが朝食の準備を始める頃である。その時間を大まかに計算し、朝比奈はリュックサックを開いた。
「……あと一つ」
 今度は薄い古典のワークを取り出す。
 これで学校の課題は終わりで、家庭教師から出された課題は残っているが、それは朝食後にすればいいだろう、と朝比奈は考えた。
 そして、ちょうどワークを終えたところで、廊下に人の気配がした。
「おはようございます。朝ごはんの支度が出来ましたよ」
 お手伝いさんの声である。朝比奈は荷物を片付けると、廊下に出た。廊下にいたお手伝いさんは執事然とした初老の男性で、真野といった。朝比奈が幼いころからこの家に通っている。
「……おはよう」
「おや、もう準備はお済みで?」
「……早く起きたから」
 朝比奈が言うと、真野は優しく笑った。
「そうですか、ご自分で朝の支度ができるようになったとは。ご立派になりましたな」
「……いつのころと比べてるんですか」
 生まれる前から自分のことを知っている真野に対しては、朝比奈は敵わない。少し照れ臭そうに笑う朝比奈に、真野は言った。
「背の丈もとうに追い越されました。子の成長は早い。私も年を取るわけです」
「うーん……そうかなあ……」
「して、今日は何か予定でもあるので? 見たところ、お勉強の途中のようでしたが」
「ゲームしたいだけですよ。せっかく休みになったんだし」
 朝比奈が言うと真野はいさめるでもなく「そうでしたか」と言って笑うだけだった。
 家族そろっての朝食の後、朝比奈はそそくさと部屋に戻り、残りの課題を仕上げてしまった。
「やり残しはないかな……」
 明日の準備も終え、家庭教師からの課題もきれいにこなし、朝比奈はそれを二通り確認すると、廊下に出た。
 手洗いやら何やらもすっかりしてしまって、心に何も残すことなく、部屋に戻る。もちろん、飲み物を忘れてはいけない。
 座椅子を出し、テーブルも出し、攻略本とカセットを山積みにしたらゲームをテレビにつなぐ。手を支えるために、クッションも準備する。攻略本がないゲームは攻略情報を調べるため、傍らにスマホを置いておく。充電はもちろん満タンだ。ゲーム機はカセットの入れ替えがしやすいように、机の上まで持ってくる。
「よし、まずはこれからっと……」
 カセットを入れ、さっそくプレイする。待ちに待った瞬間というのは、どうしてこんなに緊張して、逆にそれを始めるのにためらってしまうのだろう、と朝比奈は頭の隅で考えたが、それも一瞬のことである。
 あっという間にゲームの世界に意識を没頭し、瞬きも忘れて画面を見つめた。

「……っふー」
 ぶっ通しで数時間、さすがに疲れたらしい朝比奈は、手洗いに行き少し頭を冷やすことにした。首を回すと、勉強しているときでも出ないような鈍い音が鳴った。少し涼しい廊下を歩くうちに、すっかり気分は元に戻り、部屋に帰る頃には次のゲームのことを考えていた。
 カセットをセットし終え、いざ始めようとしたところ、画面に『更新データがあります』とポップアップが現れた。はい、を選択すると、どうやら更新にずいぶん時間がかかることが判明し、中断しようかどうか迷った挙句、朝比奈は諦めたようにコントローラーを机に置いた。
「貴志さん、今、よろしいでしょうか」
 真野はいつも間がいい。そう思いながら朝比奈は扉を開けた。
「……どうしたんですか?」
「お客様から頂き物です。よろしかったら、どうぞ」
 そう言って真野が持ってきたのは、ショートケーキと紅茶だった。
「あ、ショートケーキ」
「食べ終わりましたら、廊下に出していただければ取りに伺いますので」
「ありがとうございます」
 座椅子に座りなおし、朝比奈はさっそくフォークを手に取った。
「いただきます」
 美しい絵の施された白い皿にのったケーキは、どう見ても高級なものであった。ふわふわのクリームにしっとりとしたスポンジ生地、いちごジャム……ではなく、生のいちごのスライスが挟まっており、丸々としたいちごが頂点に鎮座している。春都が見れば正座して食べそうなものであるが、朝比奈にとっては、これが普段見るショートケーキであった。
 すっととろける生クリームは、牛乳のコクがありつつも上品な甘さだ。スポンジもくどくなく、クリームとの相性が抜群である。
 いちごは酸味と甘みのバランスが程よい。すべてが計算された、ケーキであった。
 そこに、真野が準備した紅茶を一口。真野は、紅茶にこだわる志津香も納得するほど、おいしいお茶を入れる。渋みも程よく、甘味も感じられる紅茶は、ショートケーキによく合っていた。温かい紅茶がクリームを溶かし、実に上品な味わいだ。
 最後に、いちごをたっぷりのクリームとともに食べ終えた時、ゲームの更新も終わった。朝比奈は少し心が揺らいだが、台所まで盆を持って行くことにした。
 同じころ、祖母の手作り黒糖饅頭をたらふく食べた春都がゲームに興じていたのは、また別のお話である。

「ごちそうさまでした」
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