一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第五百四十話 わたがし

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「はぁー、なんかめっちゃ疲れたぁ……」
 そう言いながら、咲良は図書館のカウンターにもたれかかる。勉強合宿だろうとなんだろうと、委員会の仕事は当然のようにある。本来なら今日は、俺の担当日ではないのだが、欠席者が続出しているということで、急遽手伝いに来たのだ。
「あと二時間残ってるけどな」
 咲良の隣で雑誌を読みながら言えば、咲良は「うえぇ~」とうなった。手伝いなどいらないほど、のどかな昼下がりである。
「ああ、そうか。君たち、今、勉強合宿中か」
 図書館内を一通り見て回っていた漆原先生が、カウンターに戻ってきてそう言う。先生は笑い、椅子に座った。
「今日で終了か?」
「そーなんすけどぉ、もう午後からの元気残ってねぇっすよ」
「はは、よく頑張ったな」
「あーなんか体は元気なのに、脳みそが疲れてる~」
 咲良はそう言うが、咲良が持ってきた問題の数々を解いたのは、ほとんど俺か朝比奈だ。自分で頑張ってるところもあろうが、適当に漫画読んで休んでるぞ、こいつ。
「お前言うほど問題解いてねぇぞ」
「解くことっていうより、それを理解するのが疲れた」
「ああ、そういうこと」
「キャパオーバーだっての。そもそも自力で解けねえもんを解いてもらって理解しようとしてるわけだし? そりゃしんどいわ」
「確かになあ」
 脳みそっていうのは、ありとあらゆることで疲れるからな。普段の授業と違う形態で勉強してる、ってのも案外疲れるのかもしれない。最初の方はワクワクしてんだけどな。
「学年末テスト、もうすぐだよな?」
「えっと……」
 咲良に聞かれ、頭の中で、年間の予定表をたどる。
「二月に入ってちょっとしてじゃないか?」
「だよなー。ま、そのための合宿って感じでもあるからなあ」
「俺としては、その後のクラスマッチの方が嫌だな」
 雑誌を元あった場所に戻しに行くために立ち上がる。漫画の雑誌とか置いてほしいなあ。
「あー、クラスマッチ。あったなあ、そういや」
 咲良は上体を起こして伸びをした。
「春都、試合出るのか?」
「まさか」
 特に読みたい雑誌もないので、手ぶらで席に戻る。
「出るわけないだろ」
「じゃあ、さぼり?」
「さぼったらうちの学校、結構成績に響くからな。そうしたいのは山々だが、さぼりはしない。雑用係」
「そっか、それもいいな」
 咲良はのんびりと相槌を打つと、漆原先生を振り返って聞いた。
「やっぱ、学校行事休むと成績がっつり引かれるんすかね?」
「どうだろうな」
 知っていてはぐらかしているのか、それとも、本当によく知らないのか分からない表情と口調で、先生は続けた。
「俺たちが学生の時も、普段の授業を休むより行事を休んだ方が痛手だって、言われてたのはあるがな。実際のところはよく知らん」
「ほんとっすか?」
 咲良が疑わし気に漆原先生を見る。漆原先生はくすくすと笑うと、最近は他の色が見えないシンプルな黒色の髪を撫でつけ、深緑色のカーディガンのよれを直しながら言った。
「知ってても言わんよ。あとが面倒だ」
「あー、それもそうっすね。企業秘密っつーの?」
「その表現は正しいのか?」
 聞くと咲良は「雰囲気は似たようなもんだろ?」とのんきに笑った。
 と、チャイムが鳴り、昼休み終了五分前を告げる。
「さあ、残り二時間、頑張っといで」
「はーい」
 先生に送り出され、図書館を後にする。しかし、昼飯も食ってそれなりにのんびりしたというのに、咲良が言うように頭が疲れ切っている。
「でも、楽しみだな、今日」
 階段を上りながら、咲良はとっておきの内緒話をするように無邪気に笑って囁いた。
「そうだな」
 今日は放課後のために、甘いもの、少し我慢だ。

 帰りのホームルームも終わり、安堵と疲労の空気に満ちた廊下を人の少ない方へ進む。渡り廊下を過ぎた先は、ひんやりと冷たくて不気味なくらいだ。薄暗いし、夕方や夜には極力近寄りたくないなあ。
 そういえば、放送部は文化祭の時かなり遅くまで残っていたよな。放送部入ったの体育祭から……しかも途中からだし、本格的に放送部として行事に関わったこと、ないな。
 どうなるんだろ。暗闇の学校って、なんか怖そう。しかも最終下校時間ギリギリだったり、過ぎたりしたら、生徒指導の先生が怖いんだ。それはもう、べらぼうに。ま、今から心配してもしょうがないか。
「失礼しまーす」
「やあ、一条君。来たな」
 図書館には漆原先生以外誰もいなかった。先生は詰所からひょっこりと顔を出すと、にこにこと笑みを浮かべてこちらに手招きをした。
「はい」
「では、これを」
 先生が差し出してきたのは小さな袋……めちゃくちゃデフォルメされた動物の絵が載っている、かわいらしい袋だった。
「お、今年はわたがしですか」
「なかなかいいだろう?」
 先生は毎年、勉強合宿が終わると、図書委員に限って、ちょっとしたお菓子をくれる。これがうれしいのなんの。
「ありがとうございます。最高です」
「はは、気に入ってもらえて何よりだ」
 そう頷いて笑う先生の手元には、コンビニのビニール袋が握られていて、そこには同じようなわたがしの袋がいくつも入っていた。

 晩飯の後、わたがしをたべる。
「いただきます」
 なんか、枕の中身みたいだ。少しむしって、一口。
 シュワッと溶ける甘さ、ほんのりとした香料。少しサクサクとしたような歯ごたえがある気もするし、ない気もする。砂糖の甘さが口いっぱいに広がって、絶対後で歯磨きしないとなあ、って気持ちがよぎる。
 久しぶりに食べたけど、うまいなあ、わたがし。そういやわたがし使った飯もあったなあ。要するに砂糖だもんな、これ。使っても問題ないのか。香料あるときつそうだが。
 ふわシュワもいいが、つぶして、ぶどう糖の塊みたいにして食うのも好きなんだよなあ。甘いジャーキー食ってるみたいで、不思議な感じがして楽しい。丸めるのもいいな。
 でもやっぱ、わたがしの醍醐味って、ふわっとした口当たりもつかの間、シュワリと儚く溶けていく感じだと思う。口にたまった甘味がなんとも言えない。
 ああ、もうなくなった。早いなあ。
 今度自分でも買ってこようかな。

「ごちそうさまでした」
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