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日常
番外編 井上咲良のつまみ食い④
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いつもであれば家で声をかけても無視するような妹が、人の多いショッピングモールで兄に声をかけてきた。そればかりか、駆け寄ってきて笑みを向けてきた。
これは何か裏があるに決まっている。
鈴香の兄、咲良はそう思い、そしてすぐに彼女の思惑を理解した。なるほど、こいつの目的は俺ではなく、春都だ。
友人たちとショッピングモールにやってきて、行き先がこれといって決まらないでいた昼下がり。妹をかわそうと「行くところがある」と言えば、妹は「ついてくる」と言い出したのだ。咲良はげんなりしたが、ここで断ると後からが面倒である。春都と菜々世が断ればそれまでだが、二人とも了承したので、四人で行動することと相成った。
そしてそこで、うすうす感じていたことが確信に変わった。先ほど兄に向けていた笑みは、春都にいい印象を持たせるためのものであったと。
鈴香は春都の隣をキープし、咲良と菜々世はその後ろをついていく。鈴香はしきりに春都に話しかけているが、春都は困惑したような笑みを返す。ああ、バカだなあ、春都はそんなふうにガンガン来られるの、苦手なんだって。
咲良がいろいろと思いながら二人を見ていると、菜々世が茶化すように言った。
「どうしたんだよ、咲良。なんでそんなに機嫌が悪いんだ」
咲良は何か言おうと口を開くが、これといって言葉にできず、口を閉じ、自分の中で整理しようとするもうまくいかないので「別に」とだけ言った。菜々世はなんとなく察しがついていたが、あえて違うことを言った。
「でもさ、よかったじゃん。鈴香ちゃん一人で来てるみたいだったし。この人混みの中で中学生が一人、っていうのはねえ」
「それはまあ、そうだけど」
実際、咲良もそれは少し心配であった。だが、それとこれとは話が別なのだ。
複雑そうな表情を浮かべる咲良を見、菜々世は改めて思った。多分こいつ、一条が妹にとられたみたいな気がして、面白くないんだろうなあ、と。
菜々世は春都に視線を向ける。春都は春都で大変そうだ。女子中学生どころか、普段、なかなか女子と話さないこともあって、どう対応すればいいのか分からないようだった。
そろそろ限界のようだ、と菜々世は察して、鈴香の隣に向かった。
「ね、鈴香ちゃん。見てあれ」
二人の会話……もとい、鈴香の言葉が止まった合間を狙って、菜々世が示したのは文房具の専門店だった。鈴香は「あっ!」と表情を輝かせる。鈴香は文房具が好きだということも、コレクションしているということも、そして一度店に入るとしばらく世話なしだということも菜々世は知っていた。なにせ、幼いころから咲良と一緒に遊んでいたものだから、嫌でも分かってくるのである。
そして、菜々世にはひとつ、使命が課せられていたのだ。菜々世は少し遠い目をして言った。
「実はさ、姉さんが親戚の子たちにクリスマスプレゼント渡したいから、って、買い物頼まれてるんだ。文房具だってのは決まってるけど、何がいいのか分かんなくて……よかったら鈴香ちゃん、一緒に選んでくれる?」
「いいよ~、じゃ、ちょっと私、いってきます~」
「ああ、いってらっしゃい……」
「終わったら連絡するから、どっか見て回ってていいよ~」
菜々世の言葉に、やっと解放された、というように春都は息をついた。一方、咲良は少し離れた飲食店のメニュー黒板を眺めている。その表情は何とも難しい。
「お、何だ咲良。なんか見つけたのか」
春都は咲良に近づき、声をかける。咲良はちらっと春都を見ると「んー」とだけうなった。その態度に春都は少し目を見開く。
「なんだよ」
「いや、鈴香は良いのかなと思って」
「あーなんか、文房具見てくるって言って、守本と一緒に店にいる。終わったら連絡するってさ」
「ん、そう」
この店はテイクアウト専門のスイーツ店のようで、様々なドリンクのほか、クレープも売っている。春都はそれを見ると「ふむ」と考えこむ。
「……なんか買う?」
春都が聞くと、咲良は以前不機嫌そうに「別に」と言った。春都は「あ、そう」となんでもないように相槌を打つと続けた。
「俺は買うけど。タピオカ。お前と二人で遊びに行ったときに買っただろ? あれ以来気に入ってな。家でも冷凍のとかでやってたけど、たまには店の飲みたいし」
それを聞いて、咲良の表情が少し揺れる。
「……じゃあ俺もなんか買う」
「無理しなくていいんだぞ」
「買う、食う」
結局、咲良も何か買うことにしたらしい。
春都は黒糖ミルクのタピオカにして、咲良はクレープにしたようだった。生クリームとイチゴのクレープは、目の前で作られるらしい。春都もタピオカを待ちながら、クレープが作られていく様子を見ていた。
「あ、そういやさ、職場体験の二日目って、お前、誕生日だろ。なんかほしいもんあるか?」
何気なく発された春都の言葉に、咲良の不機嫌はどこかへ行ってしまい、驚いたような表情を浮かべた。
「……覚えてたのか?」
「いやまあ、一カ月前からあんだけ言ってたら覚えるわ」
二人は各々の頼んだ商品を受け取り「ありがとうございます」と言った。近くのベンチに座り、荷物を置く。
「いただきます」
黒糖ミルクは甘いながらも黒糖の風味が香ばしく、タピオカはもちもちと歯ごたえがいい。春都は幸せそうにタピオカを咀嚼し、再び、ストローに口をつける。
「やっぱ黒糖ミルクうまいな。紅茶もいいけど、俺、黒糖の方が好き」
「ほんと、うまそうに飲むよな、春都」
咲良も自分のクレープを食べ始める。
薄焼きのクレープ生地は香ばしく、もっちりとしている。生クリームの甘さは控えめで、ストロベリーソースの酸味が爽やかだ。生のイチゴも巻いてあって、程よい甘さと酸味のバランスがちょうどいい。
春都は半分ほど飲み干して、タピオカの残量を確認しながら言った。
「で、何がいい。誕生日」
「何でもいいのか?」
「できる範囲で頼む」
すっかり咲良は上機嫌になって「そうだなあ……」と考えこむ。春都はタピオカを慎重にすすりながら言葉を待つ。
「じゃあさ、弁当作ってくれよ。俺の分も」
「あ? 物じゃなくていいのか?」
思いがけない言葉に、春都は聞き返す。咲良は「おう!」と元気よく言った。
「俺、春都の弁当がいい!」
「そうかよ」
春都はくすぐったそうに笑い、咲良は実に幸せそうに笑った。
それからは先ほどから妹に占領されていた春都との会話を取り戻すかのように、咲良は矢継ぎ早に話し始めた。
春都は時折呆れたような相槌を打ちながらも、楽しそうな笑みを浮かべていたのだった。
「ごちそうさまでした」
これは何か裏があるに決まっている。
鈴香の兄、咲良はそう思い、そしてすぐに彼女の思惑を理解した。なるほど、こいつの目的は俺ではなく、春都だ。
友人たちとショッピングモールにやってきて、行き先がこれといって決まらないでいた昼下がり。妹をかわそうと「行くところがある」と言えば、妹は「ついてくる」と言い出したのだ。咲良はげんなりしたが、ここで断ると後からが面倒である。春都と菜々世が断ればそれまでだが、二人とも了承したので、四人で行動することと相成った。
そしてそこで、うすうす感じていたことが確信に変わった。先ほど兄に向けていた笑みは、春都にいい印象を持たせるためのものであったと。
鈴香は春都の隣をキープし、咲良と菜々世はその後ろをついていく。鈴香はしきりに春都に話しかけているが、春都は困惑したような笑みを返す。ああ、バカだなあ、春都はそんなふうにガンガン来られるの、苦手なんだって。
咲良がいろいろと思いながら二人を見ていると、菜々世が茶化すように言った。
「どうしたんだよ、咲良。なんでそんなに機嫌が悪いんだ」
咲良は何か言おうと口を開くが、これといって言葉にできず、口を閉じ、自分の中で整理しようとするもうまくいかないので「別に」とだけ言った。菜々世はなんとなく察しがついていたが、あえて違うことを言った。
「でもさ、よかったじゃん。鈴香ちゃん一人で来てるみたいだったし。この人混みの中で中学生が一人、っていうのはねえ」
「それはまあ、そうだけど」
実際、咲良もそれは少し心配であった。だが、それとこれとは話が別なのだ。
複雑そうな表情を浮かべる咲良を見、菜々世は改めて思った。多分こいつ、一条が妹にとられたみたいな気がして、面白くないんだろうなあ、と。
菜々世は春都に視線を向ける。春都は春都で大変そうだ。女子中学生どころか、普段、なかなか女子と話さないこともあって、どう対応すればいいのか分からないようだった。
そろそろ限界のようだ、と菜々世は察して、鈴香の隣に向かった。
「ね、鈴香ちゃん。見てあれ」
二人の会話……もとい、鈴香の言葉が止まった合間を狙って、菜々世が示したのは文房具の専門店だった。鈴香は「あっ!」と表情を輝かせる。鈴香は文房具が好きだということも、コレクションしているということも、そして一度店に入るとしばらく世話なしだということも菜々世は知っていた。なにせ、幼いころから咲良と一緒に遊んでいたものだから、嫌でも分かってくるのである。
そして、菜々世にはひとつ、使命が課せられていたのだ。菜々世は少し遠い目をして言った。
「実はさ、姉さんが親戚の子たちにクリスマスプレゼント渡したいから、って、買い物頼まれてるんだ。文房具だってのは決まってるけど、何がいいのか分かんなくて……よかったら鈴香ちゃん、一緒に選んでくれる?」
「いいよ~、じゃ、ちょっと私、いってきます~」
「ああ、いってらっしゃい……」
「終わったら連絡するから、どっか見て回ってていいよ~」
菜々世の言葉に、やっと解放された、というように春都は息をついた。一方、咲良は少し離れた飲食店のメニュー黒板を眺めている。その表情は何とも難しい。
「お、何だ咲良。なんか見つけたのか」
春都は咲良に近づき、声をかける。咲良はちらっと春都を見ると「んー」とだけうなった。その態度に春都は少し目を見開く。
「なんだよ」
「いや、鈴香は良いのかなと思って」
「あーなんか、文房具見てくるって言って、守本と一緒に店にいる。終わったら連絡するってさ」
「ん、そう」
この店はテイクアウト専門のスイーツ店のようで、様々なドリンクのほか、クレープも売っている。春都はそれを見ると「ふむ」と考えこむ。
「……なんか買う?」
春都が聞くと、咲良は以前不機嫌そうに「別に」と言った。春都は「あ、そう」となんでもないように相槌を打つと続けた。
「俺は買うけど。タピオカ。お前と二人で遊びに行ったときに買っただろ? あれ以来気に入ってな。家でも冷凍のとかでやってたけど、たまには店の飲みたいし」
それを聞いて、咲良の表情が少し揺れる。
「……じゃあ俺もなんか買う」
「無理しなくていいんだぞ」
「買う、食う」
結局、咲良も何か買うことにしたらしい。
春都は黒糖ミルクのタピオカにして、咲良はクレープにしたようだった。生クリームとイチゴのクレープは、目の前で作られるらしい。春都もタピオカを待ちながら、クレープが作られていく様子を見ていた。
「あ、そういやさ、職場体験の二日目って、お前、誕生日だろ。なんかほしいもんあるか?」
何気なく発された春都の言葉に、咲良の不機嫌はどこかへ行ってしまい、驚いたような表情を浮かべた。
「……覚えてたのか?」
「いやまあ、一カ月前からあんだけ言ってたら覚えるわ」
二人は各々の頼んだ商品を受け取り「ありがとうございます」と言った。近くのベンチに座り、荷物を置く。
「いただきます」
黒糖ミルクは甘いながらも黒糖の風味が香ばしく、タピオカはもちもちと歯ごたえがいい。春都は幸せそうにタピオカを咀嚼し、再び、ストローに口をつける。
「やっぱ黒糖ミルクうまいな。紅茶もいいけど、俺、黒糖の方が好き」
「ほんと、うまそうに飲むよな、春都」
咲良も自分のクレープを食べ始める。
薄焼きのクレープ生地は香ばしく、もっちりとしている。生クリームの甘さは控えめで、ストロベリーソースの酸味が爽やかだ。生のイチゴも巻いてあって、程よい甘さと酸味のバランスがちょうどいい。
春都は半分ほど飲み干して、タピオカの残量を確認しながら言った。
「で、何がいい。誕生日」
「何でもいいのか?」
「できる範囲で頼む」
すっかり咲良は上機嫌になって「そうだなあ……」と考えこむ。春都はタピオカを慎重にすすりながら言葉を待つ。
「じゃあさ、弁当作ってくれよ。俺の分も」
「あ? 物じゃなくていいのか?」
思いがけない言葉に、春都は聞き返す。咲良は「おう!」と元気よく言った。
「俺、春都の弁当がいい!」
「そうかよ」
春都はくすぐったそうに笑い、咲良は実に幸せそうに笑った。
それからは先ほどから妹に占領されていた春都との会話を取り戻すかのように、咲良は矢継ぎ早に話し始めた。
春都は時折呆れたような相槌を打ちながらも、楽しそうな笑みを浮かべていたのだった。
「ごちそうさまでした」
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