一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第五百三話 エクレア

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「プリント、後ろまで回ったか?」
 今日の七時間目は自習時間だと聞いていたが、チャイムが鳴って早々、プリントを配られた。何だこれ……ああ、職場体験か。冬休みの二日間か……課外がその分、減るんだな。咲良が喜びそうだ。
「手短に話すから、よく聞いとけよ」
 プリントには職場体験の説明と行き先が書かれてある。行き先といってもそのすべてが書いてあるわけではなく、教育系とか飲食系とかジャンルが示されていて、その一例が書かれているだけだ。で、下の方に切り取り線があって、希望表になっている。
「第一希望から第三希望まで書いて、来週までに提出するように。体験先にも連絡しないといけないから、締め切りは必ず守れよ」
「はーい」
「必ずしも第一希望になるとは限らないから、そのつもりで」
 そこまで言うと先生は「はい、それじゃ自習開始」と雑に言った。プリントはとうにしまわれ、パイプ椅子に座り、ブックカバーがついた本を読み始める。周囲もしばらくはざわついていたが、間もなく静かになった。
 職業体験かあ……

 放課後、掃除のために外に出る。冬場の外掃って、冬場の雑巾がけと匹敵するくらいにはしんどい。はーあ、なんでこのタイミングで、回ってきたのかなあ。
 でもまあ、落ち葉の量も減ってきたし、教室のこもった空気の中にいるよりは気分がいい。
 ぶわっと風が吹き、コンクリートの上を落ち葉がカラカラと音を立てながら通り過ぎていく。おお、寒い寒い。
「職場体験、どこにするんだ、一条」
 竹ぼうきで掃除をしながら、中村と話をする。ここは事務室の近くだが、先生たちの目がないので結構自由が利くのだ。
「やっぱり飲食?」
「やっぱり……ってなんだよ」
「食べるの好きだろ」
「そういうので決めていいのか、こういうことを」
 言えば中村は笑った。
「いいんじゃねーの? 別に一生の就職先決めるわけでもないし。好きなもんと関係ある方が、やる気も出るだろ」
「そういうもんか」
「真面目だなー、一条は」
 なんか、最近、中村の印象が変わってきた。思ったより真面目じゃないし、思ったより怖くない。話もそれなりに合うし、冗談も通じる。やっぱり、人って見た印象だけでは分からないものだなあ。
「で、どこにするんだ?」
「俺は……じいちゃんとばあちゃんの店に行きたい」
 素直に言えば、中村はきょとんとした。
「何それ」
「自転車屋なんだよ。学校近くにある」
「はー、なるほど。確かに、そりゃいいな」
「昼飯の心配もしなくていいし」
「やっぱり飯じゃん、心配なのは」
 面白そうにそう指摘され、ぐうの音も出ない。
「飲食は、まかないも出るらしいぞ」
「ああ、それは聞いた」
 それはそれで、魅力的なんだよなあ。和洋中、いろいろあるらしいし。特に中華料理屋のまかないは絶品なんだとか。他にもケーキ屋とかになるとお土産をくれるらしいし、昼ご飯の時にデザートが出るんだっけ。いいよなあ、それも捨てがたい。
「中村はどうするつもりなんだ?」
 聞けば中村は少し考えてから言った。
「俺は調理系かな。なんか楽しそう」
「調理系か……」
 わざわざ職場体験でまで料理しなくていいかな、俺は。
 チャイムが鳴ったので掃除道具を片付けて教室に戻る。同級生とすれ違う度に聞こえてくる話題は、職場体験のことばかりだ。聞く限りじゃ、教育系……というか、小学校や中学校を希望するやつが多いようだ。まあ、分からなくもない。自分が小中学生の時に来ていた高校生たち、楽しそうだったもんな。
 ただ、行く学校によっては給食の当たりはずれがあるからなあ……そこが考えどころかなあ。
「仲いいやつと示し合わせて決めるやつもいるみたいだな」
 席に着き、プリントを眺めながら中村が言った。そして顔をあげると、当然のことのように聞いてきたものだ。
「井上と話し合って決めたら?」
「なんでだよ」
「だって仲いいし」
 そりゃ……咲良がいるかいないかでいえば、いた方が気が楽かもしれないけれども。気を使わなくていいかもしれないけれども。
 それを自分から認めるのはなんだか癪なので、とりあえず。
「示し合わせたところで、同じ場所に行くとも限らないからな」
 と答えておいた。
「それもそうか」
「あいつも行きたいところあるだろうし、わざわざ示し合わせる必要もない」
「とか言いながら、偶然、希望が一緒になるとかありえそう。お前ら」
 中村から楽しそうに言われ、何ともいえなかった。

 夕食後、こたつに入りプリントとにらめっこする。こうしていれば、俺に合った職業体験先がにじみ出てこないだろうか。ないよなあ。
 いいや、とりあえずデザート食おう。今日はエクレアがあるんだなあ。
「いただきます」
 最近ではいろいろなエクレアがあるものだが、今日のは王道な感じのやつだ。いわゆるエクレアらしい形で、シュー生地の上半分にはチョコレートがかかっている。
 ガブッとかぶりつけば、たっぷりのカスタードクリームが口の中にあふれ出す。これこれ、生クリームとはまた違う、もったりまったりした感じの薄黄色い、バニラビーンズが所々に見えるクリーム。甘さは程よく、卵のコクを感じる。バニラの香りもいいなあ。
 シュー生地もさっぱりしていて、濃厚なチョコレートとの相性は抜群だ。ほろ苦いチョコレートと甘いカスタードのバランスも最高だ。
 こんなうまいもんが食えるんなら、ケーキ屋もいいなあ。百瀬とか、ケーキ屋一択って感じがするよなあ。朝比奈はやっぱ医療系なのだろうか。先生たちも、色々考えて配置するんだろうし……ま、気楽に考えよう。
「職場体験?」
 向かいに座った母さんが、同じエクレアを食べながら聞いてくる。
「うん。どこにしようかなーって」
「いろんなところに行けるんだな」
 父さんはすでに食べ終わってしまっている。緑茶をすすりながら、プリントをのぞき込んできた。
「どこに行きたいんだ、春都は」
「じいちゃんとばあちゃんのとこ」
 言えば父さんも母さんも「あー、なるほど」と笑った。
 エクレアって、緑茶に合うなあ。コーヒーとか紅茶も合うんだろうけど、この熱さとほのかな渋み、茶葉の香りが、エクレアの少しひんやりとした甘さをとろとろと溶かしていく、その口当たりと温度がたまらない。
「図書館とかいいんじゃない?」
 と、母さんが言う。図書館か、それもありだな。
「希望通りになればなあ……」
「そっか、先生が最終的に決めるんだっけ」
「そうそう」
 さて、それじゃあ、糖分補給もしたことだし、早いとこ決めてしまおうかな。
 こういうのは思いついた時に書いて提出しとかないと、忘れるからなあ。

「ごちそうさまでした」
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