一条春都の料理帖

藤里 侑

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第四百九十三話 ミートソーススパゲティ

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「とうとう一カ月を切ったな……」
 と、遠い目をしながら咲良が言う。
「何の話だ。というか、口を動かす前に手を動かせ。今日提出なんだろ、そのプリント」
 授業で間に合わなかったらしい数学のプリントを前に、どうしてこいつはこんなに余裕を持っていられるのか。分からん。昼休み、昼食を終えて早々に手伝わされている方の身にもなってほしいものだ。
「一カ月切ったんだよ」
「提出期限の話か? それなら一カ月どころか三時間を切ってる」
「プリントの話じゃない」
「じゃあなんだよ」
 咲良は身を乗り出し、至極真面目な表情で言ったものだ。
「俺の誕生日まで、一カ月を切ったってことだよ」
「誕生日……」
 ああ、そういやこいつ、年末ごろが誕生日だったな。忘れ去られやすい日だとかなんとか言っていたような、どうだったか。
「お前一カ月前から騒いでんのか」
「大事なことだろー! 誕生日だぞ、誕生日! 俺がこの世に生を受けた記念の日!」
 そりゃそうかもしれないが……
「そうか、それじゃあその誕生日を楽しく迎えるためにも、このプリントを終わらせないとな」
 とんとんっと指で机を叩いてプリントに視線を向けさせる。咲良はむくれながらも、再びシャーペンを握る。
「はーあ、誕生月だってのに、どうしてこんな思いをしなきゃいけないんだ?」
「それを言うなら、俺の誕生月は夏休みの課題で忙しい」
「むぅ……」
 やっと観念したのか、咲良は真面目にプリントをこなすことに決めたようだ。
 はあ、まったく手間のかかるやつだ。さてこっちも五時間目の準備をしなければ。それこそ、数学だったかな。移動教室だから、面倒だなあ。最近はすっかり冷え込んできたし、しかも移動先の教室は、昼休みには使われていない空き教室だ。人がいない教室って冷たいんだよなあ。椅子も机も。体中の熱を吸い取られるみたいに冷めたい。直前によそのクラスが授業してたら、ちっとはましなんだがなあ。
「授業中に終わらせるつもりだったんだけどなあ。寒くてやる気でなくて」
 咲良が手を止めて話を始める。またこいつは……
「窓際の席でさぁ、暖房あっても寒くて」
「手を動かせ、手を」
 そう言うと、また問題を解きはじめながらも、咲良は話すのを止めない。
「雪降りそうな空だなあ、って思って」
「予報じゃ、雪降るかもって言ってたな、そういや」
「やっぱり? 降ったら休みとか、早く帰れるとか、あるかな」
「そこまで降らないんじゃないか?」
 この辺で大雪が降るとすれば、たいてい年明けぐらいだ。十二月はまだ、ちらつくくらいはあっても、積もるほどではないだろう。
 咲良はプリントを裏返した。
「それ、裏もあったのか」
「表よりは数少ないけどねー」
 問題数は少ないが、時間のかかりそうな問題だ。証明問題が勢ぞろいである。
「やっぱ積もんないかな」
「降ってすらないしな、今」
「降り始めたら積もるかな」
「どうだろうなあ」
 積もるなら、クリスマスとかいいよなあ、と思いながら空を見る。ああ、寒そうだ。きっと風が冷たいんだろうなあ。
「ホワイトクリスマスって憧れるよな」
 ふと咲良が呟いたので、視線を教室に戻す。咲良は問題を解く手を止めないまま続けた。
「クリスマス関係の絵とかって雪がつきものだけど、実際、雪が降るクリスマスってそんなになくない?」
「……そうだな」
「なに、その間」
 消しゴムを手に取って、咲良は視線をあげた。
「お前と似たようなこと考えてたってのがなんか、何ともいえないだけだ」
「あ、春都もホワイトクリスマス思い浮かべてた? いいよねー」
「なんか幼稚園の頃、クリスマスに雪降った記憶あるんだよなあ」
 俺が通っていた幼稚園はクリスマスに特別な行事があって、その帰り道、いつもより薄暗い空から真っ白な雪が降っていたような気がする。ささやかにライトアップされた針葉樹に、静かに積もる雪を覚えている。
「まあ、記憶違いかもしれんが」
「でも案外覚えてんだよなあ、小さいころの記憶って」
 咲良は言うと、シャーペンを机に置いた。
「よし、おわりっ!」
「おーう、お疲れ」
 ちょうど予鈴が鳴り、一気に空気が慌ただしくなる。
 ああ、あの頃の、寒さをものともしないような元気が欲しいものである。

 寒いのも案外悪くない、と思うのは、家に帰ってきた瞬間である。寒くない時よりも家の温かさが愛おしく、ありがたく感じられるから。
 そんで、風呂上がりにうまそうな飯の匂いがしようものなら最高だ。今日は何かな。
「いただきます」
 ミートソーススパゲティか。手作りのミートソース、好きなんだよなあ。
 トマトがたっぷりで、ミートソースでありながら肉の量はたっぷりではない。でも、この塩梅がいいんだなあ。ごろっとしたトマトの果肉がジューシーで甘く、肉から染み出したうま味もたっぷりで、うまい。麺と一緒に食べるとき、この肉とトマトの割合がちょうどいいんだ。
 肉の食感も確かにあるから、食べ応えは十分だ。これがパンとよく合うんだ。
 香ばしい食パンにソースをのせて、食べる。うんうん、これだ、これ。サクッとした食感のパンにトマトと肉の味がしっかりと味わえるソース。これだけで一つの料理として成り立つのではなかろうか。
 麺を一緒に食べてもいい。歯を入れればプチプチと切れていく麺の食感とパンのふわふわがたまらない。
 父さんからタバスコを受け取り、母さんから粉チーズを受け取る。さあ、これをかけるのはちょっと神経を使うぞ。タバスコはかけすぎると口がひりひりするし、かといって少ないと風味が分からない。チーズもかけりゃいいってもんでもないしな。
 そういやこないだテレビで、粉チーズを料理にかけている様子を「雪が降っているようだ」って表してたっけ。確かにそう見えなくもないかもしれないが、チーズはチーズだよなあ……俺の感性がおかしいのだろうか。
 まあいいや。今は目の前の飯である。
 今日のバランスはどうかな……うん、上出来。まろやかなチーズの味わいと風味がトマトのさわやかさと肉の食べ応えを増し、広がる味わいをタバスコがピリッと引き締め、はっきりした味となる。
 パンにもよく合う。大成功だ。
 皿に残ったソースも余すことなく食べたいので、食パンで拭う。真っ白な皿の色が見えてくると、達成感すら味わえる。
 ああ、うまかった。

「ごちそうさまでした」
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