一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第四百八十五話 昼ご飯

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 最後のテスト終了まであと十分。教室にはすでに、緩い空気が流れはじめている。その空気につられて気を抜きそうになるが、見直し、もう一回しとこう。でもなあ、見直しって何度やっても不安なんだよな。見落としたところないかなーとか、これでちゃんと読んでもらえるかなーとか。
 そういう不安に駆られだすときりがないので、諦めも肝心、という部分もある。テストって、そこら辺の塩梅が難しいんだなあ。
 一組はもう前の時間で終わっているから、居残った生徒で教室が少し騒がしい。さっき先生が注意しに行っていた。百瀬はすでに帰っているようだった。何せ、席が窓際なものだから、駐輪場がよく見えるのだ。
 テスト開始を待つ間、外を覗いてみれば駐輪場から嬉々として駆け出していく百瀬が見えた。校門を出るまでは自転車に乗れないので、そわそわしていたのが二階からでもよく分かった。
 よそのクラスがテストの最中に帰れるってのはいい。テスト開始前に校門を出なければならないというドキドキ感と、自分は今から時間に縛られないのだというワクワク感、そして、掃除も何もしなくていい中、軽い鞄を持って家路につくソワソワした気分。
 あれは、なかなか味わえる感覚じゃない。
「はい、そこまで。後ろから集めていってー」
 チャイムの音と先生の声が被る。シャーペンを置き、答案を机の端に置く。
 さ、今度は俺が、その感覚を味わう番だ。何せ理系はあと一時間残っているのだ。咲良や朝比奈、早瀬には申し訳ないが、一足先に、解放感を味わわせてもらうことにするよ。
「……よし、オッケー。はい号令ー」
「起立、礼」
「ありがとうございましたぁ」
 はあ、終わった終わった。
 帰ろう。早く。

 うーん、風は冷たいが、日差しが心地よい。秋の日差しって、こんなに気持ちのいいものだったのか。
「いい気分だ」
 春を思い起こさせる日差しの中を帰る。自然と鼻歌が出てくるようだ。人通りは少なく、どこからか料理をする音が聞こえてくる。クリーニング屋の前を通ったとき、ちょうど店主のおばちゃんが出てきた。
「あらー、おかえり」
 ほんと、家族以外の人に「おかえり」って言われたときの最適解がいまだに分からない。「ただいま」と言うべきなのだろうか。
「あ、どうも。こんにちは」
 で結局、会釈しながらそう言うことになる。咲良とかだったらためらいなく「ただいまー!」って言いそうだ。クリーニング屋のおばちゃんは、俺の返答など気にする様子もなく、愛想よく笑って言った。
「さっきね、おばあちゃんがそこの野菜屋さんに来てたよ。今はどうだろう。帰ってるかな」
「あ、そうなんですね。分かりました」
「うん。気を付けて帰ってね」
「はい」
 この通りには結構広い駐車場があって、定期的に、野菜を売りに来る車がある。ばあちゃんはたまにそこで買い物をしているのだ。お、いたいた。
「ばあちゃん」
「春都。おかえり」
「ん、ただいま」
 軽ワゴン車の後ろにこんもりと積んである野菜を見ながら、ばあちゃんが言った。
「春都、みかん食べる? それかいちご」
「みかん、いちご……」
 値段を見れば、まあ、お高い。
「いや、いいよ。帰ろう」
「そう? 遠慮しなくていいよ」
「ううん。大丈夫」
「いいのに。――それじゃ、このみかんも追加でお会計お願いします」
 結局買うんだなあ。結構な大荷物だ。
 白いビニール袋に、はちきれんばかりに野菜が詰められる。
「はい、ちょうだい。持つよ」
「いいよいいよ、重いでしょ」
「大丈夫だから」
 そう言ったはいいが、確かに重い。指に食い込むようだ。うへえ、いつもこんなん抱えてんの。大変だなあ。
「そういえば、連絡来てたよ。今日の晩には帰ってくるって」
 ばあちゃんが言った。
「お父さんとお母さん。よかったね、テスト終わりの日で」
「あ、そうなんだ。まだスマホ、電源入れてないから知らなかった」
「ああ、言ってたね。学校は電源入れちゃいけないって。大変ねぇ」
 何のための携帯だろうねぇ、とばあちゃんは言った。確かに、言えてる。連絡とるためにスマホ持って来てんだもんな。マナーモードにしとけばよさそうだよな。ああ、確かに、考えてみればそうだなあ。ばあちゃん、いいこと言う~。
 店はちょうどお客さんが帰った後のようで、落ち着いていた。
「おお、おかえり、春都」
「ただいま、じいちゃん」
 ばあちゃんが家に上がりながら振り返る。
「せっかくだから、ご飯食べていきなさい」
「ありがとうございまーす」
 へへ、ラッキー。じいちゃんとばあちゃんはもう食べていたようで、じいちゃんは新車の組み立てをしていた。
「といっても、大したものはないけどね。はい、どうぞ」
 みそ汁とご飯、それにキャベツの卵とじかあ。あ、魚肉ソーセージも入ってる。十分じゃないか。
「いただきます」
 キャベツの卵とじはふわふわしていて、いい感じの火の通り具合だ。キャベツそのものが甘く、癖がなくて、食べやすい。みずみずしさとしなっとした感じがいいバランスで、卵となじんでうまい。
 卵、ふわふわだなあ。味付けが優しい。醤油かな、出汁かな。ほっとするうま味が口いっぱいに広がっていいなあ。
 魚肉ソーセージの柔らかな歯触りとほのかな魚の香りがいい。魚肉ソーセージって、そのままマヨネーズとかつけて食べてもいいけど、こうやって料理してもうまいんだ。
 ご飯にのっけてかきこんでみる。ううん、最高。白米に出汁が染みて、ちょっとした増水やお茶漬けのようでもある。
 みそ汁の具は……豆腐かあ。プルプルの熱々だ。味噌は香ばしく、わずかばかりのネギが爽やかだ。
「ふー……」
「食べた?」
「うん、おいしかった」
「それはよかった」
 ばあちゃんはさっき買ったみかんの袋を差し出してくる。
「あ、みかん」
「食後のデザートにどうぞ」
 では、一つ。
 ……甘くないことはないが、酸味が強いみかんだなあ。みかんらしくておいしい。口がうーってなるけど。ううん、のどに突き刺さるような酸味。食後に爽やかだなあ。
「酸っぱいんでしょ」
 ばあちゃんが笑いながら座る。
「んーふふ」
「じゃあ……こっち、食べてみて」
 ばあちゃんが選んでむいたみかんを食べてみる。あっ、甘い。おいしい。みずみずしくて、皮が薄くて、程よい酸味と甘みのバランスがいい。こんなに違うのか。ばあちゃん、みかん選び上手だなあ。
 母さんも上手なんだよな。遺伝なのかな。ああ、でも父さんはいつも酸っぱいの当たってんだよなあ。そっちに似ちゃったかあ、俺。
 そんなことを考えながら食べていたら、じいちゃんが来た。
「お、いいもの食べてるな」
「どうぞ、たくさんあるから食べて」
「おいしいみかんを選ぶコツとは……」
 ま、選んだみかんが酸っぱかろうと何だろうと、こうやってこたつに入って食べられる幸せよ。
 テストも終わったし、飯もうまいし、父さんも母さんも帰ってくるし、最高だぁ。

「ごちそうさまでした」
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