一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第四百四十八話 季節のケーキ

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 朝はずいぶん冷え込むようになってきた。昼は暖かくなるらしいので調節のできる服にしておかないと、凍えるし汗だくになる。汗かいて冷えるのが一番気持ち悪いんだよなあ。
 でも、涼しい方が本を読もうという気になるんだ。なんだろう、これ。夏は夏で読むんだけど、涼しくなってくると小説読みたくなる。だからこそ、読書の秋、なんて言われるんだろうな。
 今日は何借りるかなあ。まずは児童書の続きと、文庫本を一冊。再来週は観月の学校の文化祭に行くから、あんまり多くは借りられない。これぐらいにしとくか。
「もう開いてっかな……」
 図書館を出て隣のカフェへ向かう。ありゃ、まだ開いてないか。どうすっかなあ。近くの公園でも散策するかあ。
 紅葉、とはいいがたいがうっすらと色づき始めた葉が、時折吹く涼しい風にざわざわと揺れている。あ、甘い匂いがする。これはきんもくせいの香りだな。きんもくせいの香りを感じると、夏はとうに終わってしまったんだなと思う。
 散歩している人も何人かいたが、人影はまばらだ。これくらいの人の少なさは心地いい。
「……ん?」
 前からやってくる人に、何やら見覚えが。眼鏡をしているので誰か分かりづらかったが、漆原先生だ。向こうもこちらに気が付いたようで、ひらひらと手を振った。
「やあ、一条君。おはよう」
「おはようございます」
「今日も図書館に?」
「はい」
 立ち止まっているのもあれなので、先生と話しながら歩くことにした。ひとけがないのは気持ちがいいが、ちょっと怖い気もしたので、ほっとする。
「先生はどうしたんですか」
「俺はいつもこの時間に歩いているんだ。運動不足の解消にね」
 先生はぐっと伸びをすると、首に手を当てて笑った。
「気付いたら一日本を読んでいた、なんてことはざらにあるからな。そうするともう、体が凝って仕方がないんだ」
「スマホとか見てると、特にそうですよね」
「そうそう。スマホはなあ、危ないなあ。気づいたらあっという間に一時間過ぎてる」
「分かります」
 なんだ、先生も意外と人間らしいことやってんだな。そう思っていたら漆原先生がにやりと笑ってこちらをのぞき込んできた。
「なにか失礼なことを考えているような気がするのだが?」
「気のせいですよ」
 妙に鋭いんだな、この先生。
 しばらく歩いていると、開けた場所に出てきた。遊歩道だけではなく、広場もあるらしい。時計が立っていて、そろそろカフェの開店時間になりそうだということに気が付いた。
「一条君はこれから何か用事でもあるのかい?」
 先生に聞かれ、頷く。
「図書館の隣のカフェに行こうかと」
「おや、奇遇だな」
 先生は笑って言った。
「俺も、そこに行く予定だ。石上と待ち合わせをしていてな、よかったら、一緒に行くか」
「はい」
 正直、ここまで歩いてきて、帰り道に自信がなかったのだ。そのくせ好奇心ばかりは人よりあるので、あっちこっち行ってしまう。質が悪いなあ、と我ながら思うのである。先生が一緒なら、心配はないか。
「あそこのカフェはな、客が少なくていいんだ」
「つぶれないもんなんですね」
「平日に客が多いんだろう」
 確かに、カフェ周辺は観光地や遊び場が多いところというより、オフィスや学校が多いところといえそうだ。休日は遠出する人たちも多いだろうし、ちょっと行けばショッピングモールとかもあるから、そっちに行くんだろう。
 カフェのレジには先客がいたので、メニューをのんびり眺めながら待つ。先生は俺の後ろに並んだ。
 外がよく見えて、やわらかい光で満ちていて、トーストの香ばしい香りと紅茶やコーヒーの香りが相まって、おしゃれな雰囲気だ。へえ、平日限定、モーニングセットもあるのか。近くに住んでるなら行けるのだがなあ。
「お待たせいたしました。店内でお召し上がりですか?」
「はい」
 えーっと、結局何にしようと思ったんだっけ。食事は十分だから……
「ケーキセットを一つ」
「かしこまりました。ケーキとお飲み物をこちらからお選びください」
「季節のケーキと……紅茶を」
「ホットでよろしいですか?」
「あ、はい」
 こういうおしゃれな店はあまり慣れないので注文するのに緊張する。支払いを済ませ、横にずれて待ちながら先生をちらっと見る。やっぱ慣れてんなあ。大人の余裕ってやつなのかな。
「お待たせしました。ケーキセットのお客様」
「はい」
 おお、きれいなケーキだなあ。つやつやのチョコでコーティングが施された半球のケーキ。先生も同じのを頼んだらしい。窓際の、表の道がよく見える場所に座った。カウンターみたいになっていて、なんか、おしゃれだ。
「いただきます」
 うわあ、崩すのもったいないなあ。あ、下の方になんか付いてる。全部一緒に食いたいよなあ。
 中心にはキャラメルソースが入っていて、フォークを入れるとトロリととろけだす。ほろ苦いかと思えば、コクのあるキャラメルの風味がぶわっと花開く。チョコレートは甘めながら、くどくない。チョココーティングのすぐ下にはふわっふわの生クリームがある。
 これまた軽い食感のスポンジもうまい。チョコムースもほのかな苦みがたまらない。何層にもなっているケーキは、味わうのに忙しい。一つずつ、部分ごとに食べてもうまいのだが、やっぱり全部いっぺんに食べるのがうまい。
 ん、底に敷かれていたのはナッツだったか。飴でコーティングされているようで、香ばしくも甘く、ケーキの風味をがらりと変える。これ、うまいなあ。
「この店の、この季節限定のケーキはうまいんだ」
 先生が楽しそうに笑って、コーヒーをすすった。
「確かに、おいしいです」
 俺は紅茶を一口。渋みはあまり感じない。甘いケーキを優しい紅茶がしゅわっと溶かす。口の中でそれが相まって、鼻に抜ける香ばしさ。これ、ほんとにうまい。
 確か持ち帰りできたよな。あまり高いものでもなかったし、買って帰ろう。
「お、来た来た」
 漆原先生の言葉に顔を上げれば、石上先生が表の道を歩いているのが見えた。こちらに気が付くと驚いた表情をして、漆原先生と俺を交互に見ると、笑いをこらえるような表情にじわじわと変わる。
 漆原先生が悠々と手を振るので、それに合わせて俺も手を振る。すると、石上先生はとうとう笑って、足早に店の入り口へと向かった。
 石上先生って、あんなに笑うんだなあ。

「ごちそうさまでした」
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