一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第四百四十三話 グラタン

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 校門に向かう人波を見た途端、回れ右をして家に帰りたくなった。たまにあるんだよなあ、こういう日。極力人と関わりたくないような、そんな日が。しかしそういうわけにもいかないので、水に潜るような気持ちで人波にまぎれる。ああ、息苦しい。
 こういう日はどういうわけか、咲良が寄り付かない。なんだろうな、あれ。野生の勘ってやつだろうか。そろそろ人と話してもいいかなってタイミングで現れるんだ。
 教室に入り、自分の席についたら朝課外の準備を終わらせて机に突っ伏す。機嫌が悪いわけではないが、気がのらないせいで無駄ないざこざを増やすのも面倒だ。まあそもそも、暇つぶしのためにわざわざ俺の元までやって来て話しかけてくるような奴は、咲良のほかにいない。
 昼休みは、図書館にこもるかなあ。

「あれ……なんか暗い?」
 もともとから照明が薄暗い図書館は、開館しているのかどうか分かりづらい。出入り口まで行って、扉が開いているかどうかで判断しなければならないことが多いのだ。
「閉まってる」
「一条君じゃないか」
「石上先生」
 諦めて図書館から立ち去ろうとしたとき、通りがかった石上先生に声をかけられた。石上先生は図書館に視線をやると、なるほど、というように頷き、こちらを見てありがたく教えてくれた。
「今日は、学校司書の集まりに行ってるから、休館なんだ」
「あっ、そういう……」
 気分がのらないからとか、さすがにそういう理由ではなかったか。いや、そうでないにしても、季節の変わり目、あの先生は風邪ひきそうだ。
「漆原先生、ちゃんと先生やってるんですね」
 立ち去るタイミングを見失い、沈黙が気になってそう言えば、石上先生は盛大に笑った。
「あっはは! そうだなあ、あいつも一応先生だからなあ。面倒くさがってはいたが、仕事はちゃんとやるやつだよ」
 職員室に向かう途中だったみたいなので、二階まで一緒に行って、石上先生とはそこで別れた。さて、それじゃあ、屋上にでも行くか。
 人と関わりたくないときは図書館か屋上に限る。
「うっ、寒い」
 風がぶわっと吹くと、とても寒い。カーディガン着てきといてよかった。しかし日が当たるところは心地よい暖かさだ。人もいないし、これはいい。
 結構頻繁に掃除されているので、いつも屋上はきれいだ。昼寝するために来る生徒もいるらしいが、気持ちは分かる。特に今日は絶好の昼寝日和だ。日当たりがいいところに横になれば、背中にじわじわと暖かさが伝わってくる。
 ゆったりと雲が流れる空、近くの道を通り過ぎる車のエンジン音、けたたましい笑い声、鳥のさえずり。いいねえ、こういうの。こういう時間が過ごしたかった。教室は騒がしくておちおち居眠りもしていられない。
 それに、咲良が話しかけてこない今、誰も俺なんかに話しかけてこないだろうと踏んでいたのだが、勇樹やら山崎やら、うちのクラスにはやたらと話好きなやつがいたのが誤算だった。悪い奴じゃないが、人と関わることに気がのらないという感覚の分からん奴らって感じだからなあ……
 宮野と中村はなんとなく察してくれて、そっとしてくれているなあと分かるけど。咲良の場合は気を使っているというより、自分がとばっちりを受けたくないという感じだ。
「ふわぁ……眠いな」
 本格的に寝てしまったら、授業までに起きられなさそうだ。ちょっとだけ、仮眠をとるつもりでまぶたを閉じる。音が鮮明になり、肌にあたる風のささやかな感触が分かるようになる。
 今日は朝から、なんとなく夢の中にいる感覚だ。眠るのに、そう時間はかからなかった。

 頭がゆらゆらとする感覚の中、目が覚める。あれ、俺今どこで寝てたっけ。
「……屋上だ」
 腕時計を見る。昼休み終了まであと十分といったところか。うん、ちょうどいい時間に目覚めたな。それに、なんだか気分がいい。すっきりとした目覚めで、すがすがしい限りだ。
 昼寝をすると高確率でうなされるものだが、今日はうまく眠れたようだ。
 上体を起こし、柵に背を預ける。頭は通らないくらいだが、向こう側がよく見える幅の柵を背にするとなんとなくぞっとする。折れることはないのだろうが、吹き抜ける風がそうさせるのだ。
「いーい天気だなぁ……」
 このままずっとぼーっとしていたいが、授業がある。とっとと教室に戻るとしよう。
 屋上に来てよかったな。図書館はまた行くとしよう。ああ、今週末はまた電車に乗ってあの図書館へ行こう。読み終わった本を返して、別のを借りて、近くのカフェで飯を食うのもありだなあ。
 遠い休日に思いをはせる平日の昼下がり。この時間が何気に一番、充実している気がするのは俺だけかな。

「あ、今日はグラタンか」
 家に帰り、台所の調理台に並ぶ食器を見て言えば、母さんは笑って頷いた。
「そう、ジャガイモのグラタン。いいでしょ」
「完璧」
「チーズはたっぷりのせようねえ」
 グラタンなんて、自分じゃ滅多に作らないからうれしい。パンがあるらしいので、俺はそれを焼く係だ。ちなみに、父さんはテーブルの準備である。
 パンがチリチリと焼ける香ばしい香りに、グラタンがじわじわと焼ける匂い。それが相まって腹が鳴る。くぅ~、匂いだけでここまでとは。恐れ入る、手作りグラタンよ。
「はーい、できた」
 手際よく母さんは、グラタンをテーブルに持って行った。
「いただきます」
 焦げ目がなんとも魅力的なチーズは、宣言通りたっぷりとかけられている。パリッとした表面にスプーンを入れれば、もっちりとしたチーズの層にたどり着き、薄く切ったジャガイモのほくほくが現れる。香りだけでもうまそうだが、目にもおいしいとはこのことだろう。
 味も当然、うまい。ジャガイモは程よく食感が残り、ホワイトソースと絡み合ってとてもまろやかだ。ジャガイモにはほんのり塩気があるのもまたいい。チーズはもちもちしたところとサクサクのところと、両方楽しめるのがうれしい。あっ、ベーコン見っけ。なんかうれしい。
 パンにグラタンをのせて食う。間違いないよなあ。香ばしい小麦の香りがするパンにまろやかなグラタンはよく合う。ご飯でもうまい。だが、パンにはパンの良さがあるというものだ。
 少し醤油を垂らすと、和風っぽくなってこれもまたうまい。玉ねぎの甘味もよく分かり、グラタンだけでも香ばしく、おかずらしさが増すのである。
 そんでもってパンは、グラタン皿に残ったソースをぬぐって食うのにもいいわけで。カリッカリのチーズも余さず食べてこそ、グラタンというものだろう。
「はー、きれいに食べるねえ」
 父さんが感心したように言う。
「洗ったお皿みたい」
「え、そんなでもないでしょ」
「いやいや」
 そうかなあ。うまいから、余さず食べたいと思っているだけなのだが、まあ、洗ったようにきれいに食べきれたのであれば、嬉しい限りだ。
 うまいもんたらふく食って、しっかり寝れば、また明日にはいつも通りになっているだろう。
 いや、いつもより機嫌よくなってるかもな。

「ごちそうさまでした」
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