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日常
番外編 百瀬優太のつまみ食い③
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早朝、暗闇の中を自転車の明かりを頼りに進む。時折通る車のヘッドライトは眩しく、闇に慣れた目にはちかちかするようだ。
「ちょっとは涼しいかなあ」
風を感じつつ、ふと呟いてみる。返事はない。そりゃそうだ。周辺には人の気配はない。返事があったらむしろ怖い。
急な坂というほどではないが、そこそこの坂が長く続く道を行く。
「よいしょーっ」
坂を上り切った先は、橋だ。大きな川に架かる橋の上を行くのはなんとなく身がすくむ。暗闇で底が見えない川、ずいぶん成長し、風に吹かれてざわめく雑草、人ひとりいない河川敷、明かりがちらほらと灯る民家。
見慣れているが、なんとなく不気味な感じがする。まあ、気分にもよるんだけど。日によってはすがすがしいとも思うくらいだ。
おっ、そろそろ日が昇ってきたな。空の色がグラデーションになって、きれいだ。
帰りも晴れてるといいなあ。
教室はなんだかだるんとした空気に満ちていた。体育祭の練習が始まり、それぞれにたまった疲れが空気にまで滲み出しているみたいだ。
確かに、この気温と湿気の中、外で過ごすのはなかなかに疲れる。でも体動かすのは嫌いじゃないし、先生たちにいろいろ言われるのはいただけないけど、体育祭期間っていうのは案外好きだ。
「あ、やば。これ、提出いつだっけ?」
やけに通る声が聞こえてふと教室の後ろに視線をやる。窓際の一番前の席は、教室を見渡すのに結構いい場所だ。
ああ、チアの子かな。いわゆるスクールカースト上位の子たちが集まっている。実行委員とか応援関係の役は基本、誰がなってもいいものだが、普段からよく目立っている子がなる率が高いのは何だろう。まあ、目立ちたくないやつはそもそも立候補しないか。高校にもなると特に、得手不得手がはっきりしてくるからなあ。
「一昨日じゃない? ほら、放送部が言ってた」
「やばー、ウケる! 忘れてたわ!」
甲高い笑い声が耳に響く。ひとしきり笑って、チアの一人が言った。
「まあ、ペナルティとかないでしょ? だったら大丈夫じゃね? ほら、手直しとかすることもあるんだしさ」
裏方って、そんなゆるい感じなんだろうか。放送部はあまり目に入らないし、よく分からない。
「てかこういうの放送部が作ってくれたらよくない? 慣れてんでしょ、こういうの」
「言えてる。こっちは練習もあるんだし」
「ねー、大変だよねー」
そう言いながら、チアの方々はふとこちらに視線を向けた。かと思えば、こちらにやって来るではないか。えっ、俺?
「百瀬くーん、あのさー、放送部の子と友達だよね?」
「えっ?」
放送部の知り合いなんていたかな?
考え込んでいたら、チアの一人が言った。
「ほら、背の高い、何だっけ? 理系の子。いつも一緒にいるじゃん」
「あー……もしかして、たか……朝比奈のこと?」
「そうそう! その子に渡しといてくんない?」
あれ、貴志って放送部だっけ。図書委員で一緒のやつが放送部だっては聞いたけど、どうなんだ。そういえば練習のとき見なかったような、でもどっかで見たような……
「ね、いいでしょー。私ら練習あるから~」
考え事をしている隙に、チアの子はCDを机の上に置いた。いやいや、まだ了承してないんですけど。
「え、いや、無理だけど」
きっぱりはっきりそう言うけど、チアの子たちは本気にしていないようだった。
「えーっ、いいじゃん、渡すだけだって」
「放送部行くの結構緊張するんだよねえ」
自分がやんなきゃいけないのにやりたくないから人にやらせるって、なんだそれ。やりたいことだけやれたらそりゃ楽だろうけど。
CDをチアの子に返しながら言う。
「そもそも俺はチアじゃないし、渡さないよ」
「あっ、百瀬君チア似合いそう~」
またはぐらかそうとする。
「だからさ、俺は責任持てないし、そもそもこれは君らが渡さなきゃいけないものでしょ。いや、期限内に渡さなきゃいけなかったもの、か。ちゃんと説明しなきゃダメだよ」
そこまで言うと、さすがに諦めたようだった。しぶしぶCDを受け取ると「えー、やだなあ」とのんきに笑って言った。
「やだなあ、ねえ」
「大体遅れたのってあたしらのせいじゃないし」
チアの方々の事情なんてどうだっていい。
俺は今、違うことが気になってしょうがないのだ。
「ああ、うん。入ったよ」
こういうことを青天の霹靂というのだろうか。食堂で行列に並びながら真偽のほどを貴志に聞けば、何でもないようにそう答えるではないか。
「そうだったんだー、へー、びっくりしたー。まあ、俺も誘われはしたけど、へえぇ」
「言おうと思いながら、忙しくてなかなか言えなくて」
貴志は申し訳なさそうに眉を下げる。
「びっくりしたけど、そっか、楽しい?」
食券をおばちゃんに渡し、待ちながら話をする。貴志はいつものポーカーフェイスに戻ったけど、ちょっと楽しそうな感じがにじんでいた。
「まあ、競技出なくていいから」
「あはは、そっか」
今日の昼食は、小盛の親子丼だ。開いていた席を素早く陣取る。
「いただきます」
ここの親子丼、卵がふわふわなんだよね。肉も臭くなくておいしいし、甘いのがいい。
貴志は大盛りの牛丼に箸をつけながら話を続けた。
「でも大変。締め切り守らない係もいるし、文句ばっかつけてくる奴もいるし……放送部って、こんなブラックなんだなあ、と」
「ブラック企業ならぬ、ブラック部活ってやつ?」
「部員とか顧問の先生は悪くないけどな」
へえ、放送部って思いのほか大変なんだなあ。そんだけ疲れるんならそりゃ、そんだけ大盛りの飯も食うか。
「一条と、井上も一緒だ」
「えっ、あの二人もなんだ」
なんか想像つかない。井上はともかく、一条とか特になあ。なんかこうあいつ……飯って印象しかないんだよなあ。
「へー、そっかあ……」
半分ほど食べたところでふと思う。疲れ切った一条はきっと、こんな小盛の飯ではもたないだろう。というか、俺がこれだけしか食ってないっていうところを見たら、きっと顔に出るはずだ。
あいつ今日は何食ってんだろ。ここの親子丼は食ったことあんのかな。
俺にとってはうまいけど、一条にとってはどうなんだろう。食ったらなんて言うのかなあ。
「ごちそうさまでした」
「ちょっとは涼しいかなあ」
風を感じつつ、ふと呟いてみる。返事はない。そりゃそうだ。周辺には人の気配はない。返事があったらむしろ怖い。
急な坂というほどではないが、そこそこの坂が長く続く道を行く。
「よいしょーっ」
坂を上り切った先は、橋だ。大きな川に架かる橋の上を行くのはなんとなく身がすくむ。暗闇で底が見えない川、ずいぶん成長し、風に吹かれてざわめく雑草、人ひとりいない河川敷、明かりがちらほらと灯る民家。
見慣れているが、なんとなく不気味な感じがする。まあ、気分にもよるんだけど。日によってはすがすがしいとも思うくらいだ。
おっ、そろそろ日が昇ってきたな。空の色がグラデーションになって、きれいだ。
帰りも晴れてるといいなあ。
教室はなんだかだるんとした空気に満ちていた。体育祭の練習が始まり、それぞれにたまった疲れが空気にまで滲み出しているみたいだ。
確かに、この気温と湿気の中、外で過ごすのはなかなかに疲れる。でも体動かすのは嫌いじゃないし、先生たちにいろいろ言われるのはいただけないけど、体育祭期間っていうのは案外好きだ。
「あ、やば。これ、提出いつだっけ?」
やけに通る声が聞こえてふと教室の後ろに視線をやる。窓際の一番前の席は、教室を見渡すのに結構いい場所だ。
ああ、チアの子かな。いわゆるスクールカースト上位の子たちが集まっている。実行委員とか応援関係の役は基本、誰がなってもいいものだが、普段からよく目立っている子がなる率が高いのは何だろう。まあ、目立ちたくないやつはそもそも立候補しないか。高校にもなると特に、得手不得手がはっきりしてくるからなあ。
「一昨日じゃない? ほら、放送部が言ってた」
「やばー、ウケる! 忘れてたわ!」
甲高い笑い声が耳に響く。ひとしきり笑って、チアの一人が言った。
「まあ、ペナルティとかないでしょ? だったら大丈夫じゃね? ほら、手直しとかすることもあるんだしさ」
裏方って、そんなゆるい感じなんだろうか。放送部はあまり目に入らないし、よく分からない。
「てかこういうの放送部が作ってくれたらよくない? 慣れてんでしょ、こういうの」
「言えてる。こっちは練習もあるんだし」
「ねー、大変だよねー」
そう言いながら、チアの方々はふとこちらに視線を向けた。かと思えば、こちらにやって来るではないか。えっ、俺?
「百瀬くーん、あのさー、放送部の子と友達だよね?」
「えっ?」
放送部の知り合いなんていたかな?
考え込んでいたら、チアの一人が言った。
「ほら、背の高い、何だっけ? 理系の子。いつも一緒にいるじゃん」
「あー……もしかして、たか……朝比奈のこと?」
「そうそう! その子に渡しといてくんない?」
あれ、貴志って放送部だっけ。図書委員で一緒のやつが放送部だっては聞いたけど、どうなんだ。そういえば練習のとき見なかったような、でもどっかで見たような……
「ね、いいでしょー。私ら練習あるから~」
考え事をしている隙に、チアの子はCDを机の上に置いた。いやいや、まだ了承してないんですけど。
「え、いや、無理だけど」
きっぱりはっきりそう言うけど、チアの子たちは本気にしていないようだった。
「えーっ、いいじゃん、渡すだけだって」
「放送部行くの結構緊張するんだよねえ」
自分がやんなきゃいけないのにやりたくないから人にやらせるって、なんだそれ。やりたいことだけやれたらそりゃ楽だろうけど。
CDをチアの子に返しながら言う。
「そもそも俺はチアじゃないし、渡さないよ」
「あっ、百瀬君チア似合いそう~」
またはぐらかそうとする。
「だからさ、俺は責任持てないし、そもそもこれは君らが渡さなきゃいけないものでしょ。いや、期限内に渡さなきゃいけなかったもの、か。ちゃんと説明しなきゃダメだよ」
そこまで言うと、さすがに諦めたようだった。しぶしぶCDを受け取ると「えー、やだなあ」とのんきに笑って言った。
「やだなあ、ねえ」
「大体遅れたのってあたしらのせいじゃないし」
チアの方々の事情なんてどうだっていい。
俺は今、違うことが気になってしょうがないのだ。
「ああ、うん。入ったよ」
こういうことを青天の霹靂というのだろうか。食堂で行列に並びながら真偽のほどを貴志に聞けば、何でもないようにそう答えるではないか。
「そうだったんだー、へー、びっくりしたー。まあ、俺も誘われはしたけど、へえぇ」
「言おうと思いながら、忙しくてなかなか言えなくて」
貴志は申し訳なさそうに眉を下げる。
「びっくりしたけど、そっか、楽しい?」
食券をおばちゃんに渡し、待ちながら話をする。貴志はいつものポーカーフェイスに戻ったけど、ちょっと楽しそうな感じがにじんでいた。
「まあ、競技出なくていいから」
「あはは、そっか」
今日の昼食は、小盛の親子丼だ。開いていた席を素早く陣取る。
「いただきます」
ここの親子丼、卵がふわふわなんだよね。肉も臭くなくておいしいし、甘いのがいい。
貴志は大盛りの牛丼に箸をつけながら話を続けた。
「でも大変。締め切り守らない係もいるし、文句ばっかつけてくる奴もいるし……放送部って、こんなブラックなんだなあ、と」
「ブラック企業ならぬ、ブラック部活ってやつ?」
「部員とか顧問の先生は悪くないけどな」
へえ、放送部って思いのほか大変なんだなあ。そんだけ疲れるんならそりゃ、そんだけ大盛りの飯も食うか。
「一条と、井上も一緒だ」
「えっ、あの二人もなんだ」
なんか想像つかない。井上はともかく、一条とか特になあ。なんかこうあいつ……飯って印象しかないんだよなあ。
「へー、そっかあ……」
半分ほど食べたところでふと思う。疲れ切った一条はきっと、こんな小盛の飯ではもたないだろう。というか、俺がこれだけしか食ってないっていうところを見たら、きっと顔に出るはずだ。
あいつ今日は何食ってんだろ。ここの親子丼は食ったことあんのかな。
俺にとってはうまいけど、一条にとってはどうなんだろう。食ったらなんて言うのかなあ。
「ごちそうさまでした」
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