一条春都の料理帖

藤里 侑

文字の大きさ
上 下
430 / 854
日常

第四百十話 魚の煮つけ

しおりを挟む
 今日は朝から咲良の機嫌がいい。昨日、先生たちとか家族とかといろいろ話し合った結果、あの子犬を引き取ることに決まったからだろう。子犬は、飼われていた犬が脱走してきたというより、そこで生まれたか、別の場所で生まれた犬が避難してきた、って感じに見えたから、おそらくは咲良の家に定住することになるだろうな。
「はぁ~、家にアンデスがいるって思っただけで頑張れる~」
 体育祭の練習のため校庭に向かう道すがら、咲良がうきうきした様子で言った。
「アンデス?」
「あの子犬の名前だよ」
 もう名前をもらったのか、あいつ。
「なんでアンデスなんだ?」
「じいちゃんがつけた。なんか、アンデス山脈が好きだから、だって」
「へぇ……」
 名付けの理由というのはいろいろとあるんだなあ。
「うめずは? なんであの名前になったんだ?」
「梅干し作るときに出るうめずって分かるか? あれだよ」
「へー、梅の季節に来たからって感じ?」
「いや……」
 渋滞する階段をのろのろ下りながら話をする。
「梅酢ってさ、腹の調子が悪いときにいいんだよな。で、母さんが昔っからあんま腹が強くなくて、よくお世話になってたんだと。で、うめず」
「おぉ……予想外の理由」
「子犬の頃は、よく腹にのせてたよ」
 今のせようものなら、とても苦しくて休むどころではない。寄り添うぐらいがちょうどいい。
「色々教えてくれよな」
「ああ」
 今度はじっくり、アンデスと遊んでみたいものである。

「あっ、ちょうどよかった。一条、井上、ちょっといいか」
 昼休み、食堂で昼食をとった後、お菓子をつまみながら話をしていたら、早瀬がやってきた。
「おー、いいぞ。まあ座れ」
 咲良の隣に座り、早瀬は早々に話を切り出した。
「実はな、折り入って頼みがあるんだが……」
「今更遠慮すんなって」
「なんかあったのか」
 早瀬に、パーティー開けしたポテチを差し出す。のり塩味だ。早瀬は一つつまみ、食べてから言った。
「放送部ってさ、しゃべるだけじゃなくて機械の運搬とかもしないといけないんだよな。それで、今までは先輩に運搬要員がいたんだけど、今、俺とあと一人くらいしかいないんだよ」
 なんでも、今の部員でやれないこともないが、とても効率が悪いのだという。体育祭の練習はもちろん、様々なイベントごとで機械の運搬をするらしいのだが、どうにもうまくいかないのだとか。
 それで、顧問の先生から「運搬要員を探してこい」との命を受けたらしい。
「それでさあ、二人にお願いしたいんだけど。運搬要員として放送部に入ってくんねえ?」
 早瀬は困ったように笑った。
「体育祭なんかは競技中にもいろいろ頼むことになるから、競技に出ないでいいようにするから、な?」
 なんと、願ったり叶ったりではないか。運搬はまあ体力を使うし神経も使うが……競技に参加するより、ずっといい。
「そういうことなら、喜んで」
「本当か? 助かるよ」
「春都がやるなら俺もやる~」
 と、咲良も楽しそうに言った。
「大会とか出ないなら、めっちゃいいじゃん。な、春都!」
「そうだな」
 その会話を聞いていた早瀬は、ついっと視線をそらしながら小声で言った。
「まあ、うん。大会ね……その辺はまあ、うん。出ない方向性で話を進めていこうとは思ってるよ」
「おう、よろしく頼むぜ」
「競技には出なくていいんだよな? じゃあ、午後からは参加しなくていいってことだな?」
「それはちゃんと話つけとくし、そうしてもらって構わないぜ」
 早瀬は立ち上がると、いつもの様にニコニコ笑った。
「実は朝比奈にも声かけてて、喜んで引き受けてくれたんだ。三人もいてくれたら心強い」
 ああ、朝比奈もなのか。
 早瀬は時計を確認した。
「あ、それじゃ俺、職員室行ってくる! 午後は視聴覚室に集合な! とりあえず今日は運んでもらって、機材についてあれこれ覚えてくれたらいいから!」
 さらに詳しい話は明日、とのことらしい。
 これは、面白いことになってきた。

 慣れない力仕事と情報のオンパレードに疲れて家に帰れば、いい香りが漂ってきた。
「おかえり。お疲れ様」
「ばあちゃん。ただいま」
 台所ではばあちゃんがご飯を作ってくれていた。
「お母さんから電話があったのよ。体育祭の練習とかで疲れてるだろうから、ご飯を作ってくれると助かる、って」
 それはもう、とてもうれしいことである。疲れ果てて家に帰ったら、おいしいご飯が待っている。それだけでどんなに喜ばしいか。
 汗だくだったので先に風呂に入ってさっぱりする。
 食卓には、小松菜の炒め物と魚の煮つけ、みそ汁に炊き立てご飯が並んでいた。
「いただきます」
「たくさん食べてね」
「うん」
 やっぱりまずは魚の煮つけだろう。これは……サバだ! サバの醤油煮。脂がのったところとほくほくの身のところ。どちらから食べるか悩ましいが……今日はほくほくの身からいこう。
 箸から伝わる身のふっくらした感じ。醤油の味付けはこっくりとしていながらどこかさっぱりとしている。ショウガと、梅干しの風味がそうさせているのだろう。ギュッと噛めばじゅわりとうま味が染み出す。
 脂がのっているところはとろりとしている。甘みが強く、まったりしていてまた違ったおいしさがある。この煮汁をかけてかきこむ白米のうまいことよ。
「はぁ~、おいしい~」
「ふふ、よかった」
 小松菜の炒め物は、その塩分が体に染みわたるようだ。かといってしょっぱいだけではない。小松菜のシャキシャキとした食感に、にじみ出るほのかな苦みとうま味。一緒に炒められているちくわもいい味だ。
 みそ汁の具はなめこか。このプチプチ食感がたまらないんだよなあ。きのこの味はささやかながらもちゃんとあって、とろみのついた汁がまたご飯に合う。
「学校はどう?」
 片づけを終えたばあちゃんが向かいに座って聞いてくる。
「機材運ぶ要員として、放送部に入ることになった」
「あら、いいじゃないの。せっかくなら放送もすればいいのに」
「それは……練習の時間がいるし、ご飯食べる時間もいるし……」
「ちゃんと作りに来てあげるよ」
 なんだか、ばあちゃんの方がノリノリだ。
 そういやあ、早瀬、大会の話を出したら妙に歯切れが悪かったなあ。なんかあるんかな。
 ……まあいい、ともかく今は、飯がうまい。気がかりなことはいったん忘れて、楽しむことにしよう。

「ごちそうさまでした」
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

「一晩一緒に過ごしただけで彼女面とかやめてくれないか」とあなたが言うから

キムラましゅろう
恋愛
長い間片想いをしていた相手、同期のディランが同じ部署の女性に「一晩共にすごしただけで彼女面とかやめてくれないか」と言っているのを聞いてしまったステラ。 「はいぃ勘違いしてごめんなさいぃ!」と思わず心の中で謝るステラ。 何故なら彼女も一週間前にディランと熱い夜をすごした後だったから……。 一話完結の読み切りです。 ご都合主義というか中身はありません。 軽い気持ちでサクッとお読み下さいませ。 誤字脱字、ごめんなさい!←最初に謝っておく。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

「今日でやめます」

悠里
ライト文芸
ウエブデザイン会社勤務。二十七才。 ある日突然届いた、祖母からのメッセージは。 「もうすぐ死ぬみたい」 ――――幼い頃に過ごした田舎に、戻ることを決めた。

サンスクミ〜学園のアイドルと偶然同じバイト先になったら俺を3度も振った美少女までついてきた〜

野谷 海
恋愛
「俺、やっぱり君が好きだ! 付き合って欲しい!」   「ごめんね青嶋くん……やっぱり青嶋くんとは付き合えない……」 この3度目の告白にも敗れ、青嶋将は大好きな小浦舞への想いを胸の内へとしまい込んで前に進む。 半年ほど経ち、彼らは何の因果か同じクラスになっていた。 別のクラスでも仲の良かった去年とは違い、距離が近くなったにも関わらず2人が会話をする事はない。 そんな折、将がアルバイトする焼鳥屋に入ってきた新人が同じ学校の同級生で、さらには舞の親友だった。 学校とアルバイト先を巻き込んでもつれる彼らの奇妙な三角関係ははたしてーー ⭐︎毎日朝7時に最新話を投稿します。 ⭐︎もしも気に入って頂けたら、ぜひブックマークやいいね、コメントなど頂けるととても励みになります。 ※表紙絵、挿絵はAI作成です。 ※この作品はフィクションであり、作中に登場する人物、団体等は全て架空です。

処理中です...