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日常
第四百六話 マカロニグラタン
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朝課外の時間に合わせて家を出ると、より空気がひんやりしているなあと感じる。
「行ってきます」
「気を付けてね」
「父さんと母さんも、気を付けて」
今日から二人も仕事に出る。今度帰ってくるのはまあ、あまり間を置かないとは言っていたけど、どうなるだろうな。予定より早めに帰ってくることもあるし、逆に、仕事が立て込んで予定通り帰ってこないこともある。今回はどうなるだろうか。
エントランスを出て、部屋を振り仰ぐ。
真夏よりも少し薄くなった青色の空に、建物がくっきりと影を作る。ベランダに出てきた父さんと母さんがこちらに向かって手を振っていたので、ゆるゆると振り返した。
息を吐いても白くはならないが、肌に張り付くような空気の冷たさがある。
過ごしやすいといえば、過ごしやすい。でもなあ、今日くらい、うだるような暑さの朝でもいいだろうになあ。
朝課外が終わる頃にもなると、空がまぶしくなってくる。そうするとだんだん暑さも増してきて、クーラーが程よくなってくる。
本を読むような気分にもならず、机にうなだれてぼんやりする。
この席も随分慣れたものだ。うまくやれば先生の死角に入って、あてられづらい。まあ勇樹はしょっちゅうあてられてるけど。体育祭終わったら席替えするっつってたなあ、どこがいいかな。やっぱ窓際かな。でも窓際だと、廊下に荷物取りに行くときが面倒……あ、辞書。一時間目古文だったな。
「うわ」
廊下は蒸し暑い。クーラーが心地よいとはいえ、教室とあまり変わらないかとも思ったが、やっぱりまだまだ暑いんだなあ……
「よぉ、一条」
「朝比奈」
もだもだしながらロッカーから辞書を取り出していたら、朝比奈が来た。手には学級日誌が握られている。
「なんか久しぶりだなー」
「そうだな」
朝比奈はふむ、と考えこむ。
「図書委員の集まり以来か?」
「ああ、あの後はなかなか予定合わなかったもんな」
ふと思い出して聞いてみる。
「治樹は元気だったか?」
「ご心配なく」
「そうか、大変だったな」
前は手伝いに行ったなあ。あの日一日だけでも大変だったのに、ひと夏一緒に過ごすとなると、たまったものではない。想像しただけでもうんざりする。
朝比奈はすがすがしい笑みを浮かべた。
「今はとても、気が楽だ。奴の相手をするくらいなら、学校で課題に追われている方がましだ」
「奴て」
「なになに、何話してんの~?」
「おっ、百瀬……ぐえっ」
背後から百瀬が突進してきた。なかなかの衝撃だ。百瀬は俺と朝比奈の間に割り込むようにして場所をとり、俺と朝比奈の顔を交互に見ると、言った。
「さっき女子が『いいもん見た』って言ってたよ」
「なんだ、いいもんって」
聞けば百瀬は、にやっと笑って答えた。
「朝比奈の微笑み」
妙に語呂がよくて思わず笑ってしまう。朝比奈は決まり悪そうに前髪をいじり、百瀬は得意げに胸を張って言った。
「貴志はさ~、めったに笑わないんだよ。だからさ、そんな貴志の笑顔を見ることができたら……」
嬉しいとか、自慢できるとか、そういう感じなのだろうか。百瀬は言った。
「なんかいいことあるって」
あっ、そういう感じなんだ。
少しむくれたような表情の朝比奈に聞いてみる。
「縁起もの扱いなのか?」
「知らん。周りが勝手に言ってるだけだ」
「でも実際、いいことあるらしいよ。テストの点数がよくなったとか、大会でいい成績残せたとか」
「へぇ~、やるなぁ、朝比奈」
「だから知らないって」
そうか。朝比奈の微笑を見たらいいことがあるのか。だったら今日は、何かうまい飯にでもありつけるだろうか。まあ、期待するのも悪くない。
「おっ、やっと笑った~」
百瀬の無邪気な言葉にハッと我に返る。
「なに」
「いや、なんかさ。井上が言ってたんだよ。一条の元気がないっぽいから、元気づけてやれってさ」
あいつは俺の何なんだ。そう思いながら、口では別のことを言う。
「本人が来ればいいのに」
「……宿題忘れて、呼び出しくらってるんだとさ」
朝比奈がぼそりとつぶやいた言葉に、盛大に吹き出してしまった。それなら、あいつも元気がないだろう。あとで元気づけてやろうかね。
「おっ」
迷信も、時には大当たりするものである。
冷蔵庫に入っているのは焼く前のマカロニグラタン。母さんが作っておいてくれたらしい。これにチーズをかけて焼けば……おお、うまそうな色だ。
「いただきます」
トロトロのホワイトソースにまぎれる、つるんとしたマカロニ。
うん、いい茹で具合。もちもちした食感が残りながら、とろりととろけるような口当たり。ソースもうま味があっていい。コク深いホワイトソースは、チーズとの相性が抜群だ。まろやかでしっかりと味がついているが、こってりしすぎない。マカロニからソースがあふれ出す。熱い。
鶏肉はぷりぷりだ。なんとなくクリームシチューっぽい味わいでもある。玉ねぎの甘味がしつこくなくていい。
これにパンを浸して食う。しみこんだホワイトソースがジュワッとあふれ出し、マカロニとはまた違った香ばしい小麦の風味がうまい。
チーズのモチモチがいいなあ。染み出す塩気とうま味、食感。つい最後に残して、いっっぺんに食べてしまうのだ。
はあ、うまかった。今度、朝比奈にはお礼のお供えをしないとなあ。
「わふっ」
「ん? うめずもうまかったか」
「わう」
いつもほとんど同じ飯だが、うめずはうまそうに飯を食う。
今度野菜でも茹でようか。
「ごちそうさまでした」
「行ってきます」
「気を付けてね」
「父さんと母さんも、気を付けて」
今日から二人も仕事に出る。今度帰ってくるのはまあ、あまり間を置かないとは言っていたけど、どうなるだろうな。予定より早めに帰ってくることもあるし、逆に、仕事が立て込んで予定通り帰ってこないこともある。今回はどうなるだろうか。
エントランスを出て、部屋を振り仰ぐ。
真夏よりも少し薄くなった青色の空に、建物がくっきりと影を作る。ベランダに出てきた父さんと母さんがこちらに向かって手を振っていたので、ゆるゆると振り返した。
息を吐いても白くはならないが、肌に張り付くような空気の冷たさがある。
過ごしやすいといえば、過ごしやすい。でもなあ、今日くらい、うだるような暑さの朝でもいいだろうになあ。
朝課外が終わる頃にもなると、空がまぶしくなってくる。そうするとだんだん暑さも増してきて、クーラーが程よくなってくる。
本を読むような気分にもならず、机にうなだれてぼんやりする。
この席も随分慣れたものだ。うまくやれば先生の死角に入って、あてられづらい。まあ勇樹はしょっちゅうあてられてるけど。体育祭終わったら席替えするっつってたなあ、どこがいいかな。やっぱ窓際かな。でも窓際だと、廊下に荷物取りに行くときが面倒……あ、辞書。一時間目古文だったな。
「うわ」
廊下は蒸し暑い。クーラーが心地よいとはいえ、教室とあまり変わらないかとも思ったが、やっぱりまだまだ暑いんだなあ……
「よぉ、一条」
「朝比奈」
もだもだしながらロッカーから辞書を取り出していたら、朝比奈が来た。手には学級日誌が握られている。
「なんか久しぶりだなー」
「そうだな」
朝比奈はふむ、と考えこむ。
「図書委員の集まり以来か?」
「ああ、あの後はなかなか予定合わなかったもんな」
ふと思い出して聞いてみる。
「治樹は元気だったか?」
「ご心配なく」
「そうか、大変だったな」
前は手伝いに行ったなあ。あの日一日だけでも大変だったのに、ひと夏一緒に過ごすとなると、たまったものではない。想像しただけでもうんざりする。
朝比奈はすがすがしい笑みを浮かべた。
「今はとても、気が楽だ。奴の相手をするくらいなら、学校で課題に追われている方がましだ」
「奴て」
「なになに、何話してんの~?」
「おっ、百瀬……ぐえっ」
背後から百瀬が突進してきた。なかなかの衝撃だ。百瀬は俺と朝比奈の間に割り込むようにして場所をとり、俺と朝比奈の顔を交互に見ると、言った。
「さっき女子が『いいもん見た』って言ってたよ」
「なんだ、いいもんって」
聞けば百瀬は、にやっと笑って答えた。
「朝比奈の微笑み」
妙に語呂がよくて思わず笑ってしまう。朝比奈は決まり悪そうに前髪をいじり、百瀬は得意げに胸を張って言った。
「貴志はさ~、めったに笑わないんだよ。だからさ、そんな貴志の笑顔を見ることができたら……」
嬉しいとか、自慢できるとか、そういう感じなのだろうか。百瀬は言った。
「なんかいいことあるって」
あっ、そういう感じなんだ。
少しむくれたような表情の朝比奈に聞いてみる。
「縁起もの扱いなのか?」
「知らん。周りが勝手に言ってるだけだ」
「でも実際、いいことあるらしいよ。テストの点数がよくなったとか、大会でいい成績残せたとか」
「へぇ~、やるなぁ、朝比奈」
「だから知らないって」
そうか。朝比奈の微笑を見たらいいことがあるのか。だったら今日は、何かうまい飯にでもありつけるだろうか。まあ、期待するのも悪くない。
「おっ、やっと笑った~」
百瀬の無邪気な言葉にハッと我に返る。
「なに」
「いや、なんかさ。井上が言ってたんだよ。一条の元気がないっぽいから、元気づけてやれってさ」
あいつは俺の何なんだ。そう思いながら、口では別のことを言う。
「本人が来ればいいのに」
「……宿題忘れて、呼び出しくらってるんだとさ」
朝比奈がぼそりとつぶやいた言葉に、盛大に吹き出してしまった。それなら、あいつも元気がないだろう。あとで元気づけてやろうかね。
「おっ」
迷信も、時には大当たりするものである。
冷蔵庫に入っているのは焼く前のマカロニグラタン。母さんが作っておいてくれたらしい。これにチーズをかけて焼けば……おお、うまそうな色だ。
「いただきます」
トロトロのホワイトソースにまぎれる、つるんとしたマカロニ。
うん、いい茹で具合。もちもちした食感が残りながら、とろりととろけるような口当たり。ソースもうま味があっていい。コク深いホワイトソースは、チーズとの相性が抜群だ。まろやかでしっかりと味がついているが、こってりしすぎない。マカロニからソースがあふれ出す。熱い。
鶏肉はぷりぷりだ。なんとなくクリームシチューっぽい味わいでもある。玉ねぎの甘味がしつこくなくていい。
これにパンを浸して食う。しみこんだホワイトソースがジュワッとあふれ出し、マカロニとはまた違った香ばしい小麦の風味がうまい。
チーズのモチモチがいいなあ。染み出す塩気とうま味、食感。つい最後に残して、いっっぺんに食べてしまうのだ。
はあ、うまかった。今度、朝比奈にはお礼のお供えをしないとなあ。
「わふっ」
「ん? うめずもうまかったか」
「わう」
いつもほとんど同じ飯だが、うめずはうまそうに飯を食う。
今度野菜でも茹でようか。
「ごちそうさまでした」
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