一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

番外編 石上彰彦のつまみ食い②

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 そろそろ体育祭の練習が本格的に始まった。今日は運動場の準備だそうだ。
 クーラーの効いた事務室には、運動場で盛り上がる生徒の声や、指示を出す先生たちの声が聞こえてくる。元気だなあ。
「む……」
 冷めきったコーヒーを飲もうとしたら、空だ。いつの間に飲み干していたのだろう。
 事務室には外から死角になる位置にちょっとした台所のようなところがある。電気ケトルで湯を沸かす間、一番在庫が多いコーヒーのパックを開けて、マグカップにセットしておく。甘いものはどうも好かない。頭が痛くなる。
「お疲れ様でーす」
「あ、お疲れ様です」
 二人、職員が来たので場所を空ける。二人は話に花を咲かせたまま、棚から自分のマグカップを取り出した。
「自分が学生の頃は、体育祭どんなだったかなあ。テント立てとかあったなあ」
 と、一人はキャラメルマキアートの袋を手に取った。
「準備って結構大変ですよねえ」
 もう一人は抹茶ラテだと。ここにある甘いもののツートップじゃないか。よく入るなあ。
「そうそう。校庭中の石集めるとか」
「白線引くのも大変ですよ~」
「道具も一年使わないと埃まみれだもんね」
 湯が沸いたが、先に二人に入れてもらった。コーヒーはドリップ式なので少し時間がかかるのだ。
 ふわりと香るコーヒーの匂いに少し落ち着く。
 体育祭なあ……自分は、どうだっただろうか。もう忘れてしまった。大した思い出も、思い入れもない。
 席に着き、仕事を再開する。
 しばらくパソコンと向かい合っていたら、来客があった。カウンターに一番近い席の自分が相手をする。
「こんにちは」
「こんにちは。こちらの紙に必要事項を書いていただけますか?」
 来客カードに必要事項を書いてもらう間、来客用の名札を用意する。
「こちらをお持ちください」
「はい。あ、進路指導室はどこにありますか?」
「進路指導室でしたら二階に上がって……」
 来客は礼を言うと、階段を上って行った。
 ふと外に視線をやる。ここからは運動場が結構見えるんだ。お、見覚えのあるやつがいるぞ。ちまちまと作業をしている彼は一条君だ。隣にいるのは井上君か。なんだかんだいって彼ら、真面目だなあ。
「何見てる? 石上」
「漆原か」
 わりと評判のいい愛想笑いとは違う、気だるげな表情を浮かべて漆原はカウンターに寄りかかる。
「いや、あそこに見知った顔がいるな、と」
「ん? ……ああ、一条君と井上君か。お、朝比奈君と百瀬君もいるじゃないか」
 四人の少年たちは相変わらず真面目に作業をしていたが、少々疲れたらしく、日陰に移動して休憩しようとしていた。この日差しじゃあ、すぐばててしまうよな。
「あ」
 思わず漆原と声がそろう。少年四人は運悪く体育教師に見つかり、どうやら怒られているようだ。
 漆原は苦笑して言う。
「おや、さっきまでちゃんとしてたのになあ」
「タイミングが悪かったな」
 少年四人はごみ捨てを命じられたらしい。重そうなゴミ袋を一人二つずつ抱え、ゴミ捨て場まで向かっているようだった。
 一条君は無の表情で前を見つめ、井上君は何やら文句を言っているようである。朝比奈君とやらも恨めし気に目をすぼめ、百瀬君はご立腹のようだ。
「ずいぶん外は暑そうだな」
 漆原は頬杖をつき、ずいぶん穏やかな瞳で彼らを見つめる。
「俺だったら、休憩なしであんだけ動きゃ、次の日は再起不能だな」
「弱いな、お前」
「彼らが若いんだ」
 四人が見えなくなると、漆原は体勢を戻した。
「お前もちゃんと昼食わないとばてるぞ。食ってんのか?」
「水分と栄養が入れば十分だろう」
「……石上、お前は一度、一条君から色々と教わった方がいいんじゃないか」
 何だその憐れむような眼は。
 俺だって一応、いろいろ気にしてるんだぞ。最近じゃ自炊……は、あまりしないけど、飯買う時も野菜とか意識してるし……
「よし、今日はお前昼、ちゃんと食え」
 漆原は唐突にそう言って笑った。
「昼休み前にまた来るぞ」
「なんでだよ」
「食堂に連行するためさ」
 そう言って漆原はひらひらと手を振って図書館に戻って行ってしまった。なんと勝手なやつだ。
 まあいい。それがあいつだ。
 席に戻って作業を再開する。事務室の裏、ゴミ置き場から明るい笑い声が聞こえてきた。
 若いなあ。

 生徒たちは授業中。そんな食堂はとても静かだ。
「俺はパンでいいんだが……」
「しっかり食っとけ。本当にばてるぞ」
 うーん……何食うかなあ。暑いと食欲がなくなるんだよ。お、冷やし中華があるじゃないか。これならいいな。
 漆原は日替わり定食にしたようだ。
「いただきます」
 麺をほぐし、たれに絡ませる。ごまだれもうまいが学食の冷やし中華はポン酢らしい。爽やかな酸味がいい感じだ。具もシンプルに、ハム、トマト、キュウリ、錦糸卵ときた。紅しょうが、うまいな。
 ふむ、きくらげやもやしのボリュームもいい。ナムル風にしてあるから、具材だけでもいける。何というか……
「酒が欲しくなる味だな」
「っはは! お前はほんと、そればっかりだな」
 向かいに座る漆原が笑う。その顔は、高校の時とあまり変わらない幼さがある。
「なんだよ。別にいいだろう」
「いや、悪くない、悪くないぞ。むしろ安心したよ」
「ふん」
 高校の時は逆に、俺が漆原を引っ張って学食に来たものだが……当然、その時に酒の話などは出ない。
 体育祭に向けての喧騒と、普段の授業という日常。それらがないまぜになった空気の中、飯を食う。なんか、昔に戻った気分がした。
 うるさいほどにセミが鳴いている。
 それも、悪くないと思えた。やっぱ飯って大事だな。

「ごちそうさまでした」
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