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日常
第三百六十七話 いなり寿司
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「あれー、二人そろってどしたん?」
百瀬と廊下を歩いていたら、咲良が声をかけてきた。
「体育」
「そっか、一組と合同なんだっけ?」
「うん」
体育祭の練習もあるにはあるが、普通に体育の授業もある。どっちかに統一してほしいというのは、運動音痴の願いである。しかも水泳となると、着替えも含めて面倒でしょうがない。
「咲良は?」
「俺? 俺は腹減ったから学食行ってきたとこ。見て、これ」
咲良が笑って見せてくるのはアメリカンドッグに似た食べ物だ。でもなんかアメリカンドッグとは見た目がちょっと違う。とげとげしているというか、でかいというか、なんか攻撃的だ。
「何それ」
「チーズドッグだって」
「ああ、なんかテレビで見たことある。こう、伸びるやつな」
ジェスチャーでチーズが伸びる様子を再現してみれば、百瀬が笑った。
「それ、甘いのとかあればいいのになー。チョコレートとか、キャラメルとか」
「お前はそうだよな」
と、咲良は頷く。
「甘いものっつったら、今日はケーキが多めに仕入れられてたみたいだぞ」
「えっ、マジ? じゃ、昼休み行ってみよ~」
「ほんと甘いもの好きだなあ」
そう言えば、百瀬は実に頼もしい表情で親指を立てて言ったものである。
「ロールケーキ一本なら、余裕です」
高校生になっても、水泳の授業中に自由時間はあるらしい。
今日は夏休み前最後、というか今年最後の水泳の授業なので、特に自由時間が長い。つっても俺がやることといえば、背泳ぎの体勢でぷかぷかと浮いているだけだ。
「あ~……」
降り注ぐ日差しは暑く、蒸し焼きになってしまいそうだ。背中はひんやりとしていて気持ちがいい。うちの学校のプールは、井戸水を使っているのだとか。井戸水って、夏場、出だしは温かいけどしばらくすると恐ろしく冷たいんだ。
セミの鳴き声が、プールの表面に広がるさざ波と生徒の騒ぎ声で、たわんで聞こえる。
「何やってんの、一条」
「おー、百瀬ぇ。気持ちいいぞこれ」
「泳がないの?」
「疲れた」
こうやって浮かんでいるだけというのも疲れるが、泳ぐほどではない。しかしそろそろ体の前面が暑さのピークだ。
トプン、とプールに浸かってみる。ジュッていいそうだな。
「なんか一条、風呂入ってるみたい」
「ん~。百瀬はさあ、泳ぐのうまいよなあ。こう、魚みたい」
「一条は平泳ぎがうまいじゃん」
楽な泳ぎ方なんだよ、それ。ずっと楽してたら、うまくなってしまった。
泳げる人って、静かに泳ぐんだよなあ。二十五メートル泳ぐときは半分くらいまで潜って泳ぐし、ターンも華麗だ。息継ぎいつしてんだろってくらい自然だし。
授業も一段落ついたっていうのに、わざわざ俺みたいなやかましい泳ぎをするやつが、水面を荒らす必要はないだろうよ。
百瀬はすいーっと泳ぎに行ってしまった。隅の方でぷかぷかとたゆたっていたら、先生が何やらこちらににらみを利かせていることに気が付いた。
自由時間なんだから、自由にしてたっていいだろうになあ。
「はー、めんど……」
その視線から逃れるように、ゴーグルをして、潜る。
頭も熱々になっていたから気持ちがいい。きれいに掃除されているプールはすがすがしい青色で、向こうの方に集まっているやつらの足がいくつも見える。水面との境目に視線が来るようにして見るのもキラキラしてきれいだけど、潜ってしんとなる耳の感じもいい。
潜るのは得意なんだよなあ。市民プールに行ったときなんかは、他の利用者が落とした耳栓を拾ったこともある。水泳自体が嫌いなのではないので、夏になると時々市民プールにも行く。強制され、急かされるのが嫌いなのだ。
息が続く限り、人がいないところをすいすいと泳いでいく。気持ちいいな。
「ぷはっ」
「一条すごいね~」
「百瀬」
どうやら、俺が泳ぎ始めたのを見てついてきていたらしい。百瀬は屈託なく笑った。
「潜って泳ぐの得意なんだねー。人魚みたい」
「人魚ってお前……」
「今年の夏は、みんなでプールとか行きたいね~」
百瀬は楽しげに笑った。
まだ何も決まっていない夏休みだが、なんだか今年は、いつもよりずっと騒がしくなりそうな気がした。
「春都、眠そう」
教室で咲良を待っていたらうとうとしてしまった。水泳の授業があるとどうも睡魔が襲ってきてしょうがない。自分や周りから少し香る塩素の匂いが余計に眠気を増すのだ。
「プールあると眠いよな」
「日差しもあるからな……」
学食に行かなくていいだけいい。今日は咲良も弁当のようだ。
「いただきます」
今日の弁当はいなり寿司だ。母さんが朝から作ってくれて、弁当箱にぎっちりと隙間なく詰め込んでくれた。もちろん、卵焼きやいくつかの野菜のおかずもある。
しかしやはり最初はいなり寿司だろう。
カプリと噛めば、ジュワアッと染み出す甘い汁。程よい甘さで、コク深く、風味もいい。歯切れがよくて食べやすいのもいいなあ。
そして酢飯には、ごまが混ぜ込んである。酸味ばかりではなく、香ばしさとうま味もしっかりあって、疲れた体に心地いい。甘さと酸味、この組み合わせこそ、いなり寿司の醍醐味というものだ。
そして寿司には、お茶が合う。
「俺は午後から水泳。で、古典」
「そんなん寝るって」
「そ。だから先生、ちょっとだけ授業の最初の方に休憩くれんの」
そうそう、先生によっては休ませてくれるんだ。まあ、先生によっては、泳いだから元気だろうと言うこともあるが。
いなり寿司の酸味を味わった後は、卵焼きの甘さをいつになく感じる。ちらし寿司を食った後の口の中っぽい。
プチトマトはこないだ収穫したやつだ。はじける酸味と青い香り、追って出てくる甘味。ピーマンをただ塩こしょうで炒めただけのやつもうまい。
いなり寿司って、際限なく食べられるんだよなあ。決して軽い食べ物ではないんだけど、パクパクいける。ごまが入っていると特に、プチッとはじける香ばしさで、余計に腹が減るんだ。
特に腹減ってると、いつまでも食えそうだ。
まだ揚げはあるって言ってたよなあ……また作ってもらうか、自分でいろいろ作ってみるかな。
いなり寿司のバリエーションも結構あるんだ。楽しめそうだ。
「ごちそうさまでした」
百瀬と廊下を歩いていたら、咲良が声をかけてきた。
「体育」
「そっか、一組と合同なんだっけ?」
「うん」
体育祭の練習もあるにはあるが、普通に体育の授業もある。どっちかに統一してほしいというのは、運動音痴の願いである。しかも水泳となると、着替えも含めて面倒でしょうがない。
「咲良は?」
「俺? 俺は腹減ったから学食行ってきたとこ。見て、これ」
咲良が笑って見せてくるのはアメリカンドッグに似た食べ物だ。でもなんかアメリカンドッグとは見た目がちょっと違う。とげとげしているというか、でかいというか、なんか攻撃的だ。
「何それ」
「チーズドッグだって」
「ああ、なんかテレビで見たことある。こう、伸びるやつな」
ジェスチャーでチーズが伸びる様子を再現してみれば、百瀬が笑った。
「それ、甘いのとかあればいいのになー。チョコレートとか、キャラメルとか」
「お前はそうだよな」
と、咲良は頷く。
「甘いものっつったら、今日はケーキが多めに仕入れられてたみたいだぞ」
「えっ、マジ? じゃ、昼休み行ってみよ~」
「ほんと甘いもの好きだなあ」
そう言えば、百瀬は実に頼もしい表情で親指を立てて言ったものである。
「ロールケーキ一本なら、余裕です」
高校生になっても、水泳の授業中に自由時間はあるらしい。
今日は夏休み前最後、というか今年最後の水泳の授業なので、特に自由時間が長い。つっても俺がやることといえば、背泳ぎの体勢でぷかぷかと浮いているだけだ。
「あ~……」
降り注ぐ日差しは暑く、蒸し焼きになってしまいそうだ。背中はひんやりとしていて気持ちがいい。うちの学校のプールは、井戸水を使っているのだとか。井戸水って、夏場、出だしは温かいけどしばらくすると恐ろしく冷たいんだ。
セミの鳴き声が、プールの表面に広がるさざ波と生徒の騒ぎ声で、たわんで聞こえる。
「何やってんの、一条」
「おー、百瀬ぇ。気持ちいいぞこれ」
「泳がないの?」
「疲れた」
こうやって浮かんでいるだけというのも疲れるが、泳ぐほどではない。しかしそろそろ体の前面が暑さのピークだ。
トプン、とプールに浸かってみる。ジュッていいそうだな。
「なんか一条、風呂入ってるみたい」
「ん~。百瀬はさあ、泳ぐのうまいよなあ。こう、魚みたい」
「一条は平泳ぎがうまいじゃん」
楽な泳ぎ方なんだよ、それ。ずっと楽してたら、うまくなってしまった。
泳げる人って、静かに泳ぐんだよなあ。二十五メートル泳ぐときは半分くらいまで潜って泳ぐし、ターンも華麗だ。息継ぎいつしてんだろってくらい自然だし。
授業も一段落ついたっていうのに、わざわざ俺みたいなやかましい泳ぎをするやつが、水面を荒らす必要はないだろうよ。
百瀬はすいーっと泳ぎに行ってしまった。隅の方でぷかぷかとたゆたっていたら、先生が何やらこちらににらみを利かせていることに気が付いた。
自由時間なんだから、自由にしてたっていいだろうになあ。
「はー、めんど……」
その視線から逃れるように、ゴーグルをして、潜る。
頭も熱々になっていたから気持ちがいい。きれいに掃除されているプールはすがすがしい青色で、向こうの方に集まっているやつらの足がいくつも見える。水面との境目に視線が来るようにして見るのもキラキラしてきれいだけど、潜ってしんとなる耳の感じもいい。
潜るのは得意なんだよなあ。市民プールに行ったときなんかは、他の利用者が落とした耳栓を拾ったこともある。水泳自体が嫌いなのではないので、夏になると時々市民プールにも行く。強制され、急かされるのが嫌いなのだ。
息が続く限り、人がいないところをすいすいと泳いでいく。気持ちいいな。
「ぷはっ」
「一条すごいね~」
「百瀬」
どうやら、俺が泳ぎ始めたのを見てついてきていたらしい。百瀬は屈託なく笑った。
「潜って泳ぐの得意なんだねー。人魚みたい」
「人魚ってお前……」
「今年の夏は、みんなでプールとか行きたいね~」
百瀬は楽しげに笑った。
まだ何も決まっていない夏休みだが、なんだか今年は、いつもよりずっと騒がしくなりそうな気がした。
「春都、眠そう」
教室で咲良を待っていたらうとうとしてしまった。水泳の授業があるとどうも睡魔が襲ってきてしょうがない。自分や周りから少し香る塩素の匂いが余計に眠気を増すのだ。
「プールあると眠いよな」
「日差しもあるからな……」
学食に行かなくていいだけいい。今日は咲良も弁当のようだ。
「いただきます」
今日の弁当はいなり寿司だ。母さんが朝から作ってくれて、弁当箱にぎっちりと隙間なく詰め込んでくれた。もちろん、卵焼きやいくつかの野菜のおかずもある。
しかしやはり最初はいなり寿司だろう。
カプリと噛めば、ジュワアッと染み出す甘い汁。程よい甘さで、コク深く、風味もいい。歯切れがよくて食べやすいのもいいなあ。
そして酢飯には、ごまが混ぜ込んである。酸味ばかりではなく、香ばしさとうま味もしっかりあって、疲れた体に心地いい。甘さと酸味、この組み合わせこそ、いなり寿司の醍醐味というものだ。
そして寿司には、お茶が合う。
「俺は午後から水泳。で、古典」
「そんなん寝るって」
「そ。だから先生、ちょっとだけ授業の最初の方に休憩くれんの」
そうそう、先生によっては休ませてくれるんだ。まあ、先生によっては、泳いだから元気だろうと言うこともあるが。
いなり寿司の酸味を味わった後は、卵焼きの甘さをいつになく感じる。ちらし寿司を食った後の口の中っぽい。
プチトマトはこないだ収穫したやつだ。はじける酸味と青い香り、追って出てくる甘味。ピーマンをただ塩こしょうで炒めただけのやつもうまい。
いなり寿司って、際限なく食べられるんだよなあ。決して軽い食べ物ではないんだけど、パクパクいける。ごまが入っていると特に、プチッとはじける香ばしさで、余計に腹が減るんだ。
特に腹減ってると、いつまでも食えそうだ。
まだ揚げはあるって言ってたよなあ……また作ってもらうか、自分でいろいろ作ってみるかな。
いなり寿司のバリエーションも結構あるんだ。楽しめそうだ。
「ごちそうさまでした」
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